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New Face of Japan

インタビュー記事

「日本人」とは

あんなさん(Part3/3)

2023年8月号

New Face of Japanは、多様でインクルーシブな日本社会の発展を目指して活動しています。多様なルーツを持つ方々にインタビューを行い、その声をイラストやインタビュー記事を通して発信しています。

Project Director: Richa Ohri (千葉大学)
Project Manager: Ryota Takahashi, Nanami Goto

前回(Part1Part2に引き続き、今回のインタビュイーは、日本とアメリカのミックスで、TwitterやInstagramで女性蔑視や人種差別に対して批判を投げかけ続けているあんなさん。このインタビューでは、彼女が今までたどってきたルーツ、そして今の世の中に思うことを語っていただきました。

インタビュアー:ななみ、あおい

「日本人」の定義はとても狭い/多様性を可視化し、個人を尊重する原則を広めて

▶血、文化的プラクティス、名前、外見が全部そろって初めて日本人とされる

▶血、文化的プラクティス、名前、外見が全部そろって初めて日本人とされる

ななみ:    その人が日本人かそうでないかを、周りの人はどのように判断していると思いますか?

 

あんなさん:  うーん、難しいですよね。私の人生においては、外見で非日本人と判断されていることが多

いですね。私の場合は名字が日本っぽくて、話し方にアクセントもありません。なので、例えば電話でレストランの予約を取る時、「明日○時から○人でお願いします」「お名前は?」「鈴木(仮名)です」というやりとりの中では、「え?」と思われることは一回もないですよね。しかし、お店に実際に現れると外見でジャッジされる、というのはあります。反対に、私の在日コリアンのパートナーの場合は、名字がキム(仮名)なので、電話でもすぐに外国人と判断されます。だけど、外見からは在日コリアンと分からないので、街を歩いていても判断されない。

 

日本における日本人の定義ってすごく狭いものだと思っています。

 

いわゆる日系○○人の方々も、すごく外国人的扱いをされていると聞きます。 特に90年代以降、日本へ労働・出稼ぎに来られた日系ブラジル人の方の体験談では、日本人として扱われることが圧倒的に無かった。多くの方が失望して、ブラジルに帰る人もいれば、日本に残った人はブラジル人としてのアイデンティティをどんどん強めていったという研究があります。でも、彼らの「血」は日本人なわけですよね。しかし育ちはブラジルだったので、ブラジリアンな文化の中で育っています。

血、文化的プラクティス*に加え、名前、外見というような要素が全部そろって初めて、そうだ(日本人だ)という風に認識される。どれか一つでも欠けていたら、日本人ではないとか、日本人だけど外国的要素がある、という扱いを受ける。

 

*プラクティス…日常的な活動、習慣

アイデンティティ研究をしているニラ・ユヴァイルデイビス(Nira Yuval-Davis)さんの論文を私の研究で引用しましたが、そこに「ビロンギング(Belonging)」という概念があります。「私はここに属している・ 属す」という概念は二方向で、まず私自身が「私は日本人だ」と思うこと、そして社会が「あなたは日本人だ」とすること、その二つの矢印が一致して初めて、人間は「属している」と感じると書かれています。本当にそうだな、とすごく共感します。私は本当に「日本人だ」というアイデンティティを持っているけど、日本社会においてそれを否定されることが多い。日本にいても「完全に日本社会に属している」という経験ができないのは、あちら側の矢印が私に向いていないからだとすごく思います。日本社会からこちらに矢印を向けていただくには、先ほどの4つの要素(血、文化的プラクティス、名前、外見)全てを持っていないとダメなんだなっていうのは感じますね。

▶「日本人かどうか」は、本人のアイデンティティを尊重して

ななみ:​    あんなさん自身は、これから先、どのような基準で「日本人である」と判断してほしいと考え

ていますか?今は見た目等が大きな判断要素とのことでしたが。

 

あんなさん:  まず第一に、その人が自分をどう思っているか、というのが多分いちばん大事ですね。例え

ば、ノーベル文学賞を受賞したカズオ・イシグロさんは、生まれは日本であるものの完全にイギリスに帰化されています。帰化して何十年も経っているのに、報道では「『日本で生まれた』カズオ・イシグロがノーベル賞を…」と言われました。私が思うに、 数十年イギリスに住んで帰化もしていて、彼のアイデンティティが仮にイギリス人なのだとしたら(直接話したわけではないので分かりませんが)、その報道って一見「日本に入れてあげてる」みたいな感じですけど、実は彼自身のアイデンティティをすごく否定しているようなものですよね。ハイフネイティッド・アイデンティティ(※インタビューPart1)の話に戻りますけど、もしかしたら彼はジャパニーズイングリッシュなのかもしれない(確認のしようがないですけど)。アイデンティティにおいて当事者がどう思ってるかを、全く配慮してないんだなというのはたびたび感じます。その人が「自分は日本人なんだ」と言うなら、それは受け入れるしかないですよね。国籍、ジェンダー、セクシュアリティ全てにおいてそうですが、勝手な前提でその人を見ないことが大事なんだと思います。

一方、行政の観点でというのであれば、完全にドライに「国籍」に基準を置いて考えればいいだけだと思うんですね。ただ、日本の感じを見ている限り、国籍のみでの判断はなかなかされていないようです。

なので、どちらかだと思います。統計や数字でドライに「日本人」というものを作るのなら国籍で判断すればいいし、そうではなく目の前にいる人(がどう思っているか)なのであれば、その人のアイデンティティを最も尊重することが大事ではないかと思います。

▶日本社会が生きやすい社会になるために

ななみ:    最後に、多様性の観点から、日本社会がどのように変わっていけばもっと生きやすい社会にな

ると考えますか?

 

あんなさん:  昨日のNHKの番組で、障害を抱えた方のキャリア相談をテーマにしていましたが、「多様性に

理解のあるスタッフが働いている」というような言葉が使われていました。「多様性に理解のある」って何だそれ、と思って。「多様性」はよく言われていますが、どれだけ目を背けようともう既にあるものなんです。これだけ変化している社会の中で、もはや日本は一般的に思われているほど、ホモジーニアス(同種、均質の)というか単一文化国ではないですよね。まずは、自分が思うほど日本国は単一ではないんだという自覚をもつ。

 

(1) 行政・職場・学校におけるレプリゼンテーション
そういう人々の多様性についてのレプリゼンテーション*ですよね。それはメディアだけでなく政治もそうだと思っています。

*レプリゼンテーション…映画、広告、政治、スポーツなどさまざまなシーンにおいて、多様性を適切に表現すること

 

(2) ある程度のアファーマティブ・アクション
アファーマティブ・アクション(積極的格差是正措置) は、もう現代においては一定数必要なんじゃないかと思っています。行政だけでなく大学や職場で多様性を可視化していく。水面下になっている「多様性」を、どんどん引っ張りあげて可視化していくことが大切です。目の前にあれば否定しようのない事実なので、そこから始めていく。

(3) 教育を通じて一般原則を共通認識として広げていく

さらには教育ですよね。広く一般的に人権教育。最近はヘイトスピーチという言葉が乱用されていますが、差別とは何かという本当に基本的な理解を広げていく。あとは、(私は法律がバックグラウンドなのでどうしても偏ってしまうんですけれども、)ヘイトスピーチ撤廃の法律を作るなど、差別をすることが社会一般的に許されないことだという雰囲気作りが大切だと思います。

先ほど、その人個人のアイデンティティが大事だと言いましたが、皆さんが日本人とみなしている人の中にも、そうじゃないアイデンティティを持っている人達はいるんです。例えば、琉球やアイヌの方たちは、歴史的になぜか日本というものに入れられちゃったけれども 、彼ら自身は「私は琉球の人です」「私はアイヌの人です」と言うんですね。古来から日本という土地に住んでいる人の中にも、一般則に当てはまらない人たちはいて、彼らの生き方や文化を尊重することも大切です。

ミックスルーツというのはその一角でしかありません。一般的な原則(差別をしないとか、各々のアイデンティティを尊重する等)さえ広まれば、その中に当てはまる要素が変わっても問題は生じないはずなんです。「○○を尊重する」に入るのは、ルーツ、ジェンダー、セクシャリティなど何でもいいんです。その方程式みたいなものをしっかり社会一般に広げていかなければいけない、ギリギリの状態になっているんじゃないかなと思います。

ななみ:    ありがとうございます。いろんな場所でいろんな方面から変わっていくのが大切なんですね。

 

あおい:    インタビューをする身としてだけではなく、大学生としても学ばせていただくような、ありが

たいお話をいただきました。ありがとうございます。

あんなさん:  そう言っていただけると嬉しいです。ありがとうございます。

インタビューPart3を終えて

(インタビュアー ななみ)

印象に残ったのは、自分のアイデンティティを確固たるものにするには、自分で自分を「こうだ!」と思う以上に、周囲にそれを受け入れられることが大切なのだということです。当事者だけでどうにかなる問題ではないのだと実感しましたし、今の日本においてはこうした部分での繊細な考慮が足りていないと思いました。

▶「日本人かどうか」は、本人のアイデンティティを尊重して
▶日本社会が生きやすい社会になるために
インタビューPart3を終えて
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