
トガル特別企画
座談会
自由な教育のあり方をめぐって
―第7回ALCE年次大会をふりかえる会

2021年3月5日-7日にわたり、「アートする」教育というテーマでALCEの年次大会が開催されました。これは、年次大会参加者有志によって開催された大会をふりかえる座談会の記録を編集したものです。当日は、平日の夜遅くにかかわらず15人の言語教育関係者が集まり、主に大会の委員企画トークセッション、およびシンポジウム*1をふりかえり、言語教育者の視点から議論しました。
発言者:三代純平(武蔵野美術大学)、内山喜代成(名古屋学院大学)、佐藤正則(山野美容芸術短期大学)、平澤栄子(フリーランス)、稲垣みどり(山梨学院大学)、古屋憲章(山梨学院大学)松田真希子(金沢大学)
―ALCE年次大会の宿題
〇三代:本日は、お集まりいただきありがとうございました。このような場を『トガル』編集委員会の主催で設ける一つのきっかけとしては、編集会議で委員の内山喜代成さんがALCEの第7回年次大会「「アートする」言語教育」に参加し、たくさん宿題をもらった気がすると言っていたことがあります。僕自身、なんかその言葉がすごくしっくりきたというか、僕も同じような感覚を持ったんです。内山さん、どうですか。
〇内山:そうですね、シンポジウムを聞いていて、「自分でなんかこれはできるな、ここまではできない、ここまではできるかな、でもこれはたぶん誰かとの交渉がいるな」とか、自分のできることとできないこと、あとは諦めちゃってることみたいなのもあぶり出された。
自由のために、自分が望ましいと思っている自由な学習環境を整えるために、いろんな枠組みの中で折り合いをつけています。枠組みっていうのは機関だったり、他の先生だったり、コロナっていう状況だったりです。その中で自分が意味づけできる、学習者が意味づけできるために、「どこまでできたか、ここまでできたから」というのを考えました。で、できなかったことは、できたこと以上に残るので、なんでできなかったのか、それが枠組みに関することであれば、次につなげるためにどう枠組みを考えていくか、他の人と交渉していくかっていうのを考えさせられました。「折り合い」っていうことばにあきらめとか、妥協が入っていたんだと思います。来学期、4月から留学生が誰も来ないかもしれないなと思いながら、「来れたらこれやりたいな、ここはちょっとこうしてみたいな」とか考えたのが私のもらった宿題です
〇佐藤:僕がもらった宿題もいいですか。本当にシンポジストの4人の方々が自由にやっていて、僕自身が日本語教師になる前に演劇をしていて、学生時代はロシア語劇団だったんですけど、そのあと就職できずに、自分のキャリアを考えられずに、自分で劇団作って10年間ぐらい小劇場で、まわりはつまらないと思ったかもしれないけど、自分は「社会と闘ってるんだ」みたいな感じで芝居をやってたんです。
ですが、そのあと日本語教師になったときに、そこまでの経歴をみんな切っちゃった感じがするんです、自分の中で。封印しちゃったというか。あの当時は演劇的なワークショップ、声のワークショップとか、身体性とかすごいやっていたのに、それを一度ブチって切って日本語教師になって、教師養成講座で習ったことを、最初はオーディオリンガルみたいな感じでやってたんです。それがなんかおかしいなっていうのはずっと感じていたんだけど、どうやったら封印した過去、その演劇的なものと今をつなげられるかっていうのが自分の中で分かんなくて。教師になってからの自分の体の固さというか、自分は表現するのがすごい嫌いになっちゃってるんですね。
詩のワークショップ*2に僕も出たんですけど、出た瞬間、「詩作るのか。やめよう」と思って抜けようとしたんですよ、瞬間。そのあとやったんですけど、そのぐらい自己表現することがおっくうになっている自分がいて。ちょっとそこと闘っていこうかなっていうのがこの間のシンポジウムで受け取った宿題なんです。
〇平澤:私もちょっと関係する感じなんですけど、私がなんでフリーランスになったかっていうと、その前組織に属していて、むちゃくちゃ制約があったんですよ。その中で「自由にやっていいよ」って言われたんで、かなり自由にはやらしてもらったんですけど、やっぱり社会的な、特に外国人材を取り巻く制度ってガチガチじゃないですか。で、制度や組織といつもけんかしなくちゃいけなくって、これがきつくて、「もう組織なんかで働いてやるもんか」っていう感じでフリーランスになったんです。
でも、実はフリーランスになって今のほうが不自由で、例えば、こういう学会とか出るときも必ず所属を言ってくださいって言われる。何かあると所属を書かなきゃいけないとかっていうところで、まず自分が何を書けばいいのか分からない。何か自分で事業をやろうとか思ったときに、まったく自分のことを知らない人たちにまず自分が何者かっていうところから説明しなきゃいけないんですよね。あとはもう自分が何をしたいのかっていうことを一個一個説明していかなきゃいけないので、自己表現が必要だなっていうことを感じています。
〇稲垣:結構、私もいい歳なんで、自分の中の制約とか枠組みとかいろいろ考えて、絶えずその不自由さとぶつかって、時には抑圧してくる存在だったりとか、自分がまあ抑圧してる側に回ってるとか。
私、大学出たあとはすぐ学校教員になったんですよ。演劇学をやって、演劇やっていた大学生からいきなりその中学高校の教員になったときのギャップがすごくて、今まで自由を謳歌していたのに、今度校則で自由を締め付けて、髪の毛、スカートの長さ、そういうガチガチの所に入って、もうその2年間が耐えられなかったんですね。で、2年で辞めて海外に行っていうことになったんですけど、今、結構歳をとってから思うのは、自分の欲する自由をどう実現化するのか、ということです。
だから、トークセッションのテーマは「表現の自由をめぐる交渉」だったじゃないですか。あいちトリエンナーレの助成金が下りないってことになったときに、それぞれの方がどのように周囲と交渉していったかって、非常に具体的な話だったんですよね。抽象的な話じゃなくて、そういうのを聞きながら自分の中で、じゃあもしも自分の自由を制約するような、あるいは抑圧するような、理不尽だって自分が思えるような、そういう状況に自分が直面したときに、いかなる方法でそういう状況と交渉していけばいいんだろうっていうことをすごく考えながら聞いてました。
それが言語教育の実践にもつながると思うんですけ。自由を求めて闘うぞっていうステージはたぶんもう過ぎてるんですよね、若い時期にそういう時期があって。今になってくると、じゃあそういった自分を実現させるために周囲とどのように交渉するか、そのように具体的な手順を考える、で、着々とかたちにしていく。それで実現できるところはあると思うんですね。本当に自分の身のまわりから徐々にじわじわと広げていく。今回の大会の最初のトークセッションにそういう視点があったことは面白いなと思いました。
そういうストラテジーっていうのかな、こっちもクレバーになるっていうか、戦略的に私の自由をこれからどう実現すればいいんだろうってことを今すごく考えてますね。自分の仕事でも人間関係でも。それが宿題といえば宿題。自由の実現化っていうのが、交渉っていうのがやっぱり私の宿題かなって感じです。
―自由への交渉
〇古屋:そのシンポのことで言うと、その鷲田さんだと思うんですけど、雪かきの話してましたよね。雪かきを誰がするのか。あれがなんか、そのときはそうでもなかったんですけど、すごく印象に残っています。一見とても細かい話なんだけど、「ああ、こういうことなのかな」と思って。自分たちが美術館の自由を確保するため、そういうすごく細かい細かいことをやっていく。
自分はそういうふうにできてないと思うんですけど、「自由を求めて闘うぞ」みたいな感じじゃなくて、実はそういう細かい交渉をするとか、お金をどっから持ってくるかとか、そういうことが結局自由を実現するってことなのかなって思ったんですね。
〇内山:やっぱり自由って、自分で何かして手につかまないと感じられないのかなって思います。でも、そこはたぶんすごく地味な、すごく丁寧な人とのやり取りが必要になる。そういうのがめんどくさくなって、不自由って不満を言ってちゃいけないんだなってのは思いました。ちゃんと一つずつやっていかなきゃいけないなって。
〇古屋:いやあ、分かる。だから話だけ聞いてたらすごい細かい話なんだけど、でもその背景にやっぱり信念があるわけですね。それに支えられてそういう細かい作業がある。たぶん信念というか、理念っていうか、そういうのがないと原動力がないし、だからといって信念だけあってもたぶんどうにもならない。それは一見どうでもいいように思われる細かい作業に支えられてるんだなってのを思いました。
だから、トークセッションで鷲田さんは、雪かきの話を淡々としていたのが印象的なんですよ。信念があるんだろうなと思って。だからあの話が淡々とできるんだなって。
だから、情熱だけでもあかんし、かといって細かい作業だけしていてもしょうもないし、両方支え合いながらちょっとずつ実現していくみたいな感じかなって思いましたね。
〇平澤:今の古屋さんの話で、地味な交渉を黙々としていくっていうのは、本当によく分かります。実は今日、初めて今住んでる町で30代から70代までの人が集まってZoomで読書会をするっていうのをやったんですよ。これを実現するまでに3カ月かかってるんです。緊急事態宣言が出て、もう集まれないみたいな話をずっと繰り返して。その前から本当に地味な交渉をずっとして、「どうするか、こうするか」っていうので行ったり戻ったり、本当に大変だったんですけど、今日ようやくそれができたっていうので、「やった」と思ったんです。だけど、まだやっとZoomが使えるようになったっていう段階なんで、これからまだまだ先が長いんですけど、今の古屋さんの話を聞いて、本当に地味な交渉が必要だなっていうことを感じました。
〇古屋:そういうのがないと、変な話ですけど、革命を起こすしかないみたいになるじゃないですか、結局。ひっくり返すしかないみたいな。で、革命政権は大体権力化するっていうから、上から抑えつけるようになるんですよね。それはなんでかっていうと、元がやっぱりその交渉じゃなくてひっくり返してるから、だから「一気に変えちゃおう」みたいな。
〇松田:表現の自由をめぐる交渉については、トークセッションでは、登壇者が三人三様の交渉のあり方を出してくれたなと思っています。最初の鷲田さんは、もう古屋さんがおっしゃったように、地道に対話的に交渉してそういう場を作っていくということだと思いますし、藤井さんは、巧妙にそれとは分からないようにだんだんと交渉を実現していくというアプローチかなと思いますし、星野さんは、どちらかというと革命的だというか、もっとレジスタンスしろっていうようなアプローチだったと思うんですよね。もう本当にそれぞれのものがよかったなと本当に思っています。
で、私はいま国立大学にいますけど、国立大学もやはり税金によって成り立っているんですけれども、じゃあ自由に向けていろんな革命的、なんか大胆なことをしてはいけないのかと言ったら、そんなことはないと思うんです。けど、どうしても忖度してしまって、文科省の言いなりのような教育になってると思うんですね。「グローバル、グローバル」って言ったら、もうみんなTOEIC何百点とか、言語教育イコールなんかそういう数値化されるものとして、何かできるとか、履歴書に書ける、何か商品を手に入れるような教育ばかり目指すようになっていて。そういうのも含めて、いろんな形の柔軟な交渉のあり方を皆さんと考えていけたらいいなと私は思って聞いておりました。
〇稲垣:もうすごい面白かったです。三者三様の交渉のあり方があって、最初も言いましたけど、「私はどのタイプかな」とか思いながら聞いていて、私も結構レジスタンスでわーって行っちゃう感じなんですけど。でも「もうちょっと違うアプローチもあるよね」とか反省したりとか、日々それで反省が積み重なっていくんです。でもすごい面白いのは、大人になってからのほうが私自由だなって感じるんですよ。今もう50なんですけど、徐々に自由度が上がってきたなっていうのは、たぶんできることが増えてきて交渉術が上がってきたからだと思うんですよ。
「こうしたいな」ってことがあったら、地道に考えて、一個一個実現できると結構うれしいじゃないですか。だから、じわじわと自分の自由が交渉によって、自分の立てた戦略に従ってちょっと拡大をしていくとそれにやりがいを感じて、「もうちょっと、もうちょっと」ってやってるその過程がすごく楽しいんですね。
―自由な場としてのALCE
〇内山:ALCEでの研究も、たぶん10年・20年前ってわりと少数派の研究グループだったと思います。一つの「乱」で終わるのか、歴史的な転換になる「変」になるのかみたいな。
でも、ゆっくりとした「変」として、この流れは続いていると思うんです。一時的な反乱で終わってつぶされて終わりとかじゃなくて。なので、急激に革命みたいに変わらなくても、徐々に徐々に、考え方は違っても何となくやりたいことが似ていたりとか、面白いって思うものが似ているグループっていうのが少しずつ集まって、少しずつ声が大きくなってくっていうプロセスっていうのはすごく面白いなっていうのはあります。
自分がすぐにどういう実践をしたいかはまだ言えませんが、こういう場でヒントをもらったりとかっていうのが、たぶん以前よりもできるようになっている。場が整っているというか、「あ、こういうこともできるんだ、こういうこともできるんだ」みたいなのを知る場としてALCEがあると思うので、そういうのを続けていけたらって思います。
〇佐藤:いま、内山さんの話を聞いて感動したんですよ。何を感動したかというと、私はもうそれなりの歳をとってしまいましたが、内山さんみたいな若い人たちがこうやって学会に増えてきて、いろいろ失敗してくれるというか、自由にやってくれて、それができる場なんだよっていうことにこの学会の意味があるのかなと思います。だから、ALCEの立ち上げに最初から参加させてもらってすごくうれしくなりました。
〇古屋:僕も思った、それは。僕はALCE自体も、ある種自由になるための活動だったと思うんですよね。だから、そういう思いを持って始めたことなので、そういう場として感じてくれた人がいるんだったら、それはありがたいなって。ALCEの立ち上げのころは、とにかくもう花火打ち上げまくれみたいな、とにかくいろいろやるみたいな感じのときとかもあって、だから、そうやってなんかいろいろやってきた中で、ここはこういう、そういう場所なんだっていうふうに思われたら、それはうれしいですね。
やりにくいこと、どこにもないことがあって、「だったら自分らでやればいいや」みたいな感じで始めたと思うんですね。だから、その感じがなくなったらALCEは終わりやと思ってるんで、だから、今回の年次大会はそういう意味で僕が思ってるALCEらしいなって思ったんです。だからすごくよかったなと思ったし、参加者が年次大会を通して、「ああ、ここは自由に自分の発想でやっていい場なんだ」って思ってくれたら、自分にとってもうれしいなっていう感じはありますね。
〇三代:ALCEを作るって決めたのは、住里福(じゃりふ)っていう早稲田の中華屋で食べながら話していたときですよね。僕と古屋さんとあと2人、4人で「もうやるか?」みたいな勢いで。本当は学会ってそんなふうに作っちゃいけないと思うんだけど。
だけど、そのときから言ってたのは、ほかの学会がやらないことをやろうみたいなこと。それまで大学院時代に自分たちが関わっていた学会というのはお堅いイメージだったし、まだ院生や駆け出しの教員だった自分たちが主体的に関われるわけではなかったので、自分たちが、自由に好きなことをやれる場所になればいいとは思っていました。で、2014年の立ち上げ以来、打ち上げ花火じゃないですが、立ち上げのメンバーを中心にいろいろなことをやってきました。それは本当に楽しかったんですが、最近、実は、そのフェーズはもう終わったんじゃないかなと感じるようになりました。数名の仲間からはじまった学会ですが、今は会員も約500人の学会になり、新しい人がどんどん参加してくれるようになりました。そういう意味で、今回の年次大会は、アートという切り口で、自由というテーマにアプローチすることで新しいALCEの可能性を示してくれたんじゃないかなって思いました。ALCEの第二のフェーズが始まったという予感を覚えましたね。
だから、内山さんとか若い人たち、いや年齢は関係ないですね、だれでもいいですが、学会に参加してくれた人たちがもっともっと自由にやりたいことをやってほしいです。そして、いろんな人が好き勝手やれる場を作って、守っていかないといけないと思います。それが第二フェーズのALCEでの立ち上げメンバーの役割なんじゃないかな。
だから、この学会こそが一つのアート作品として、百年後とかもあったらいいなって最近は思います。立ち上げたときは10年ぐらい花火打ち上げて終わっちゃえばいいやと思ってたんだけど、ちょっと最近考え方が変わって、自由に議論できる場っていうのは守っていかなきゃいけない、交渉して作り上げていかなきゃいけないなっていうふうに考えるようになりました。
〇古屋:そうなんですよね、だから、僕はやっぱりだんだん形骸化していくのをすごく恐れる。もちろん細かい交渉はいると思うんですが、挑戦的なっていうか、誰でもやってないようなことを実現していくという精神がなかったらやる意味がないと思ってるから、だから、そういうのがALCEで継承されていったらいいですね。ただ形が残るんじゃなく。
収録日:4月20日(火)21:00-23:00
編集:三代純平(『トガル』編集委員)
*1 委員企画トークセッション「表現の自由をめぐる交渉」登壇者:藤井光(美術家),星野太(美学者),鷲田めるろ(十和田市現代美術館館長),モデレーター:松田真希子(金沢大学)。大会シンポジウム「アートが拓くことばの教育の未来」シンポジスト:岩瀬直樹(軽井沢風越学園),熊倉敬聡(芸術文化観光専門職大学),藤井光(美術家),三澤一実(武蔵野美術大学),モデレーター:嶋津百代(関西大学)
http://alce.jp/annual/2020/proc.pdf
*2 フォーラム「「聲にならない」をアートする―「共に在る」ためのことば学」発表者:横田和子(広島修道大学),岡本能里子(東京国際大学),岩坂泰子(広島大学)