​トガルための100作品

​オンラインマガジン「トガル」では、特集企画として「トガルための100作品」を企画しました。「トガルための100作品」とは、読者の皆さまの心に残るトガった作品を広く募集し、そのなかから100作品を選び出し、紹介しようという企画です。2021年8月にアンケートを始めたところ、すでにたくさんの方々から回答をいただきました。ご回答を下さった皆さん、ありがとうございます。また、アンケートは継続していますので、皆さんもぜひ回答していただければ嬉しいです。

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『ことばが劈かれるとき』が教えてくれるもの

                                若林佐恵里                                  

 

 

第1回である今回は、複数の方から名前のあがった一冊を紹介したいと思います。竹内敏晴著『ことばが劈かれるとき』(筑摩書房)です。理由は「からだと声について考えさせられた」というものや「著者によるからだと声をつなげたレッスンに魅了された」というものでした。かくいうわたしも数年前に読んだ印象的な本のひとつでした。

 

竹内敏晴は1925年、東京に生まれました。幼い頃に難聴になり、音の聞こえない中で成長しました。その後、薬の開発などで、次第に聴力を回復していきましたが、幼児期までに獲得できたであろう言葉を獲得できておらず、思春期になってから、意識的に獲得していったのです。『ことばが劈かれるとき』には、自分自身がどうやって言葉を獲得していったかが詳細に書かれています。

 

印象的なシーンがあります。聴力をいくらか回復させた著者が高等学校のコンパで自己紹介する場面です。自分では何を話せばいいかわからないながらも、同級生や先輩後輩の前で話す著者。すると、「何を言っているのかわからないぞ」「はっきり話せ」という野次が飛ぶのです。そしてその時、筆者はこう思います。

 

ことばを持たない、ってことは、考えを持っていないということだと感じだ。私の中にはいろんな、見定めきれない感動が動いているのに、それがなんであるのかを、私は言えない。ということは、知らない、わからない、見定められない、ということだ、と感じた。言葉を見つけなければ、私は、ほかの人とまじわることができない、一緒に生きることができない……。(p43より引用)

 

この一文で、ふと思い出したことがありました。1999年にメキシコにスペイン語の語学留学をしていた時のことです。スペイン語の授業に出ても何も言えず、先生には「どうして何も言わないの?アジア人だからなの?」と言われ、ホームステイの家族にもこれと言ったことは話せませんでした。「ああ、言葉ができないだけで、自分は孤独だな」と感じたものです。その後、ホームステイからルームシェアに変わり、友達ができてから少しずつ話せるようになりました。

 

伝えたいことはたくさんあるのに、それが言葉となって口から出てこないもどかしさ。その土地の言葉がわからないというだけで、なんだか子どものように扱われる悔しさは、言葉にハンデがある人なら味わう体験だと思います。しかし、そこから、言葉が伝わるという段階にいくと景色がひらけたような気分を味わえることもあるような気がします。

 

話を本に戻します。言葉と格闘しつつ、演出家となった筆者の関心は、野口三千三の野口体操などを通して、からだへと移っていきます。その中心となるのが「こえ」です。

 

筆者はともすればごちゃ混ぜにして考えてしまいそうな「こえ」と「ことば」をいったん別にして「こえ」とは何かということを教えてくれています。

 

話しかけるということは相手にこえで働きかけ、相手を変えることである。ただ自分の気持ちをしゃべるだけではダメなのである。(中略)相手にこえが届くとはどういうことか。こえで相手にふれるのだ。(P149−150より引用

 

また、自分の話で申し訳ないけれど、日本語教師になったばかりの頃、確実に学習者たちにこえが届いていませんでした。学習者たちは、ポカンとしながら、こちらを見ているだけでした。学習者のからだはこえをだす準備すらできておらず、ただ、こちらが一方的に話すだけです。

 

そうなると、こちらの体温は上がり、呼吸は浅くなり、言葉数は増えます。いつの間にか、教壇にたつと必ず赤面するようになっていました。これにはしばらく悩まされました。わたしは日本語教師には向いてないと落ち込みました。でも、なんとか克服して、日本語教師を続けたいという気持ちがあり、師匠の門を叩きました。師匠はフリーアナウンサーで「伝わる言葉」をテーマにして活動している人です。実は、その師匠に「読みなさい」と言われたのが何をかくそう『ことばが劈かれるとき』だったのです。10年ほど前のことです。

 

では、どうすればいいのかということは、ぜひ本書を手に取って読んでもらいたいと思います。

 

著者はことばとこえとからだをつなぐ「竹内レッスン」という演劇的レッスンを基にした「ことばとからだ」のワークショップを主宰していました。そこには、「こころとからだ」に問題を抱えた人々が訪れます。「治癒としてのレッスン」として、こえとことばに困難を抱える人たちと誠実に向き合い、彼らのからだを劈かせてゆく筆者。

 

今まで考えたこともなかったような「こえとことば」の本当が治癒としてのレッスンにはあります。その具体的なレッスンの様子は、日本語教師にとっても参考になるのはもちろん、自分のことばを振り返るきっかけにもなり得るものです。

 

教師はいつも、学習者のことばだけを見てしまいがちです。でも、一歩立ち止まって、自分のからだに意識を集中させてみると、緊張のために肩が上がっていたり、表情が硬かったりしていることも多いものです。

 

自分のからだを劈いてみると、それに呼応して、学習者も心を開いてくれることも多いのではないでしょうか。そして、学習者にこえで働きかける。そうすれば、その場にはなにかが生まれます。それこそが「ことばが劈かれるとき」なのかもしれないと思います。

 
 
 

​オンラインマガジン「トガル」では、特集企画として「トガルための100作品」を企画しました。「トガルための100作品」とは、読者の皆さまの心に残るトガった作品を広く募集し、そのなかから100作品を選び出し、紹介しようという企画です。2021年8月にアンケートを始めたところ、すでにたくさんの方々から回答をいただきました。ご回答を下さった皆さん、ありがとうございます。また、アンケートは継続していますので、皆さんもぜひ回答していただければ嬉しいです。

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【トガルための100作品#3-8】

教材は自分で作ってナンボ!

〜小山真理さんに聞く教材作りの楽しさ〜

 

―アンケートでは、いろいろな素材を教材にしてきたけれど、失敗作もたくさんあるとのことで、そこに興味を持ちました。まず、基本的にどんなものを教材にされてきたんですか。

 

教材としてけっこう長く使っていたのは、中学校の教科書にも採用されるような向田邦子の「字のないハガキ」とか太宰治の「走れメロス」でした。あと、星新一のショートショートですね。最後のオチの部分を考えさせたりしてました。「走れメロス」は俳優が朗読している新潮社のCD(当時はテープ)もすごくいいんです。「疲れ果てて眠ってしまったメロスはどうしたでしょう?」って考えさせて、答え合わせも兼ねて朗読を聞かせていました。締めくくりとして「自分がメロスだったらどうするか」というテーマで作文を書いてもらいましたね。

 

「字のないハガキ」は上級教科書なんかにも採用されるようになってきてますよね。「走れメロス」は国で読んだことがあるとか、もう日本語学校でやっているという学生もいたんです。最後にどうなるかを考えさせたいのに、答えを知っている人がいると、やっぱりモチベーションが下がりますよね。それで、これまで扱ったことのない素材で新たな教材にトライしていきました。

 

―どんな教材ですか。

 

例えば、さだまさしの「親父の一番長い日」。四字熟語が入っていたので使いました。歌自体がすごく長いので、寝ちゃうんじゃないかと思ったんですが、お父さんを思い出して泣き出す学生もいました。それから、映画の『エンディングノート』とか。砂田麻美という女性監督の父親の葬儀から始まるんですよ、いきなり。癌の告知を受けてから、自分で葬儀場を決めて、身辺整理をして、最期を迎えるまでの密着ドキュメンタリー。娘自らカメラを回して、軽妙な語り口でナレーションをつけながら記録しているんです。いろいろな意味で多くの人に見てほしい映画です。私はデス・エデュケーションに興味があって、すでに授業でも扱っていたので、ユーモア満載で重くないし、これは見せたいなと思って教材にしました。

 

―失敗作というと、どんなものがあるんですか。

 

清水義範の「ビビンパ」。家族4人が焼肉屋で食事しているシーンなんですが、話し言葉を教えたくて。ほとんど説明がなく、会話だけで構成されている部分を取り出して、誰が話しているかを考えさせるワークを作ったんです。でも、難しかったみたいで、「やっぱり役割語を理解するのは難しいんだな」と思いました。

 

それから、向田邦子の『男どき女どき』に入っているエッセイで、筆者が筆立てを壊して「壊れました」と言ったら、お父さんが「お前が壊したんだ、壊れたんじゃない」って言って叱るのがあるんですけど、それって自他動詞の使い方の問題なんですよね。みんなが「自他動詞わかんない!いやだ!」って雰囲気の時にやったりしました。「壊れる」と「壊す」じゃ全く意味合いが変わってくるんだぞ、と伝えたつもりが、余計にこんがらがる時も…。向田作品は昭和の雰囲気や言葉がなかなか伝わりづらく、上級レベルじゃないと厳しい時もありました。

 

ずっとやりたいと思っていたのに、1回しかできなかったのはナンシー関の『記憶スケッチアカデミー』です。雑誌の一般読者が何も見ないで、出されたお題を自分の記憶だけでスケッチするんです。それに筆者がコメントをするというものなんですが、そのコメントが秀逸!それで、同じようにお題を出して、学生ひとり一人に絵を描かせて、他の人がコメントを書くというのをやってみたんですけど、ただ見たまんまを書くだけの真面目なものが多くて、ユーモアを言葉にする難しさを感じました。

 

あと、朝日新聞の連載を書籍化した『中島らもの明るい悩み相談室』シリーズですね。読者のどうでもいい悩みに対して、中島らもが絶妙な答えを返すんです。まず、悩み相談を読んで、「あなただったらどうアドバイスしますか?」っていう教材を作ってみたんです。で、最後に「中島らもさんはこう答えました」と言っても、学生は笑えるポイントがわからない。逆に、学生が書いたもののおもしろさがわからんってこともありましたね。(笑)

 

―結構ありますね。

 

そうですねえ。あとは、辞書を引く楽しさと大切さを伝えたくて、赤瀬川原平の『新解さんの謎』や群ようこの「日常的に楽しむ辞書」にもトライしました。おもしろかったのはネット上にあった「天使の辞典」「悪魔の辞典」ですね。ひとつの言葉を、全く違った2つの視点から定義するもの。どっかの教科書で見たんだっけかな…。例えば電話だったら、「遠くにいる人とも話せる便利なもの」だけど、別の視点から見ると「昼夜かまわずかかってきてうるさいもの」というように…。筒井康隆の『現代語裏辞典』も参考にして、例文を考えましたけど、難しかったです!学生にも考えさせたのは、酷だったかも。あ、でも、今ならできそう。もう1回やってみようかな。(笑)

 

『ニッポンの誤植』っていう抱腹絶倒の本もあるんですが、文字通り誤植ばかり集めたもので、すでに絶版になってます。その中に、中国で出版された日本語の教科書が「誤植界のバイブル」として紹介されているんですけど、どこを探してもないので、一度、国会図書館に探しに行こうと思ってます。でも、『ニッポンの誤植』自体は下ネタも多いし、お勧めできる本じゃありません。実際、教材化もできませんでした。

 

―笑える本がお好きなんですね。「おもしろい」「笑える」っていうものを共有したいってことですよね。

 

そうですね。自分がおもしろくないと、学生もおもしろくないだろうし…。私は落ち込んだ時とかに「あはは」と笑うためにいつも手元に置いてます。使えるものも、使えないものも、いっぱいありますけど、そこだけ切り取って使うというのは、なかなか難しい。ショートショートはやっぱり短くて使いやすかったです。何か読ませるなら、ある程度は話の流れが必要なんですよね。

 

―でも、どうして教材を作るようになったんですか。

 

私は最初、日本語学校にいて、そこで教材作成プロジェクトに携わっていたんです。初めて作ったのは、リスニング教材、その後、中級教科書の作成メンバーにも入れてもらいました。そこで知ったのは教材を作る楽しさ。しかも、みんなでわいわい言いながら作ったんですよ。だから、リスング教材の名前も『楽しく聞こう』!(笑)一応、課の担当は決めてましたけど、互いの課について正直に意見をぶつけ合いました。他の先生方には実際に授業で使っていただいて「ここはこうしたほうがいい」ってフィードバックをもらって、どんどんいい教材にしていく過程が楽しかったです。ありがたい環境だったし、いい時代でもありました。現在は大学にいるのですが、やっぱり一人で作るという寂しさもありますし、アイディアの枯渇も感じます。誰かとできたらいいなあっていつも思います。

 

―経歴を教えてください。

 

私、体育会系で中高大とバレーボール一筋だったんで、ちゃんと勉強しようと思って大学院受けたんです。にもかかわらず、1年目に休学して、高校で国語の教師やってました。産休補助教員を1年、復学して非常勤講師を1年、修士論文を提出したあとは、しばらくフリーターでしたね。研究していたのは漢字音韻論で、おもしろかったけど、地道な作業なんで、ずっと続けるのはきついなあという気持ちがありました。そうこうしているうちに知人の紹介で、JICAなどで教える日本語教師の教材準備とか、教務としてアルバイトすることになって…。そこで授業を見学させてもらったりしてたんですね。そしたら、ある日突然、「担当の先生が来られないから授業やって」と言われて教壇に立ったんです。そこで「あ、これ楽しいかも!」と思いました。そのあと、10月に日本語学校の募集があって採用されました。途中で同じ学園内の大学に異動になって、現在に至ります。

 

―小山さんにとって、うまくいった授業はどんな時で、反対にうまくいかなかったのはどんな時ですか。

 

学生が理解して笑ってるとか、楽しそうにやってる時はうまくいったなって思います。答え探しみたいなものを真剣にやろうとしているとか。もちろん、そういう時は自分も楽しいですし、何より、意外な答えが返ってきた時が嬉しいですね。教材を作った時、どんな答えが返ってくるか、ある程度予想してますけど、その予想を越えてくると、自由で柔軟な発想にびっくりするし、すばらしいって思います。

 

ダメなのは難しすぎて理解できない場合。ユーモアもそうですが、言葉をどんなに説明しても「先生、これ、きっとおもしろいんだと思うんですけど、おもしろさがわかりません」って言われた時は「ああ、ダメか~」と思いました。

 

―小山さんにとって教材とは?

 

そうですね。教材は作ってナンボだと思ってます。本当は何人かで作るのがいいんですけど、一人でも教科書を使うよりは楽しい、というか、授業を学生と一緒に作ってるという感覚になりますね。教科書があるとラクだけど、それに縛られると、こなすことで精一杯になっちゃったりしますから…。

 

―ああ、そうですね。わかります…。では、最後に小山さんにとって「トガル」とはなんでしょうか。

 

「アンテナ」ですかね?分野にこだわらず、いろいろなものにアンテナを張って少しずつ突っついてみたいです。うまく言えませんが……。

 

昔から「ノーボーダー」「ボーダレス」という言葉が好きでした。国を越えて留学生に日本語を教えるなんていう仕事に携わっているのだから、まずは、自分自身がいろいろなところでボーダーを引くべきじゃないと思ってきました。

 

国境や国籍はもちろん、性別、年齢、人種、人間関係、分野…世の中にはいろいろなボーダーがあって、ときには、それが何かを阻害してしまうこともありますよね。だから、これは理想でしかないかもしれないけれど、私にとっての「トガル」は「アンテナを張りつつ、ボーダーを突き抜ける」ことかもしれません。

 

―今日はありがとうございました。

 

トガルための100作品  

 

砂田麻美『エンディングノート』

清水義範『ビビンパ』

向田邦子『男どき女どき』

ナンシー関『記憶スケッチアカデミー』

中島らも『中島らもの明るい悩み相談室』 

赤瀬川原平『新解さんの謎』