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​トガルための100作品

​オンラインマガジン「トガル」では、特集企画として「トガルための100作品」を企画しました。「トガルための100作品」とは、読者の皆さまの心に残るトガった作品を広く募集し、
そのなかから100作品を選び出し、紹介しようという企画です。
2021年8月にアンケートを始めたところ、すでにたくさんの方々から回答をいただきました。
ご回答を下さった皆さん、ありがとうございます。
また、アンケートは継続していますので、皆さんもぜひ回答していただければ嬉しいです。

#1『ことばが劈かれるとき』が教えてくれるもの(若林佐恵里)

#2 尖りまくりのヒーロー、ブラック・ジャック(福村真紀子)

#3-8 教材は自分で作ってナンボ!
―小山真理さんに聞く教材作りの楽しさ―(小山真理)

#9 映画『男はつらいよ』
―映画の魅力と教材の価値―(中山英治)
#10 「三月の水」Antônio Carlos Jobim & Elis Regina(藤川純子)
#11 フィクショナルな言語世界と感情のリアリティ
―滅びゆく言語のロールプレイング・ゲーム『ダイアレクト(Dialect)』―(石田喜美)
#12 台湾に残ってしまった「傷跡」としての日本語
―台湾映画『悲情城市』(侯
孝賢監督1989年)―(犬山俊之)
#13 活動の場をつくる、そのプロセスを見る
―映画『Dogtown & Z-boys』―(山座寸知)
#14 「言葉を知り、世界を知り、君を知る。」そして、わたし自身を知る。
―ヴィジュアルノベル・ゲーム「7 Days to End with You」―(石田喜美)
#15 トガるためのヒント
―谷口忠大著『ビブリオバトル 本を知り人を知る書評ゲーム』文春新書―(松本剛次)
#16 我々は自分自身を生きているか
―映画『金子文子と朴烈』が問うもの―(松島調)
#17 トガルために『新版國語元年』を読もう(若林佐恵里)
#18 「知ることで遊ぶゲーム(knowing game)」を超えて、言葉と出会う
―辞書ゲーム「図書館たほいや」―(石田喜美)
#19 「My Small Land」が問いかける日本社会の未来
―難民問題と多文化共生を考える―(今井新悟)
#20 「書くこととやさしさ」(汐見稔幸)
―『なぜ人は書くのか』補遺―(佐藤慎司)
#21 もし、小さな日本語教室の日本語教師が「もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら」を読んだら(Izumi Massa)
アンカー 1
#1『ことばが劈かれるとき』が教えてくれるもの

若林佐恵里

 

第1回である今回は、複数の方から名前のあがった一冊を紹介したいと思います。
竹内敏晴著『ことばが劈かれるとき』(筑摩書房)です。
理由は「からだと声について考えさせられた」というものや
「著者によるからだと声をつなげたレッスンに魅了された」というものでした。
かくいうわたしも数年前に読んだ印象的な本のひとつでした。

竹内敏晴は1925年、東京に生まれました。
幼い頃に難聴になり、音の聞こえない中で成長しました。
その後、薬の開発などで、次第に聴力を回復していきましたが、
幼児期までに獲得できたであろう言葉を獲得できておらず、
思春期になってから、意識的に獲得していったのです。
『ことばが劈かれるとき』には、自分自身がどうやって言葉を獲得していったかが詳細に書かれています。

印象的なシーンがあります。
聴力をいくらか回復させた著者が高等学校のコンパで自己紹介する場面です。
自分では何を話せばいいかわからないながらも、同級生や先輩後輩の前で話す著者。
すると、「何を言っているのかわからないぞ」「はっきり話せ」という野次が飛ぶのです。
そしてその時、筆者はこう思います。

ことばを持たない、ってことは、考えを持っていないということだと感じだ。
私の中にはいろんな、見定めきれない感動が動いているのに、
それがなんであるのかを、私は言えない。
ということは、知らない、わからない、見定められない、ということだ、と感じた。
言葉を見つけなければ、私は、ほかの人とまじわることができない、
一緒に生きることができない……。(p.43より引用)

この一文で、ふと思い出したことがありました。
1999年にメキシコにスペイン語の語学留学をしていた時のことです。
スペイン語の授業に出ても何も言えず、
先生には「どうして何も言わないの?アジア人だからなの?」と言われ、
ホームステイの家族にもこれと言ったことは話せませんでした。
「ああ、言葉ができないだけで、自分は孤独だな」と感じたものです。
その後、ホームステイからルームシェアに変わり、
友達ができてから少しずつ話せるようになりました。

伝えたいことはたくさんあるのに、それが言葉となって口から出てこないもどかしさ。
その土地の言葉がわからないというだけで、なんだか子どものように扱われる悔しさは、
言葉にハンデがある人なら味わう体験だと思います。
しかし、そこから、言葉が伝わるという段階にいくと
景色がひらけたような気分を味わえることもあるような気がします。

 

話を本に戻します。
言葉と格闘しつつ、演出家となった筆者の関心は、
野口三千三の野口体操などを通して、からだへと移っていきます。
その中心となるのが「こえ」です。

 

筆者はともすればごちゃ混ぜにして考えてしまいそうな「こえ」と「ことば」を
いったん別にして「こえ」とは何かということを教えてくれています。

 

話しかけるということは相手にこえで働きかけ、相手を変えることである。
ただ自分の気持ちをしゃべるだけではダメなのである。(中略)
相手にこえが届くとはどういうことか。
こえで相手にふれるのだ。(pp.149-150より引用

 

また、自分の話で申し訳ないけれど、日本語教師になったばかりの頃、
確実に学習者たちにこえが届いていませんでした。
学習者たちは、ポカンとしながら、こちらを見ているだけでした。
学習者のからだはこえをだす準備すらできておらず、ただ、こちらが一方的に話すだけです。

 

そうなると、こちらの体温は上がり、呼吸は浅くなり、言葉数は増えます。
いつの間にか、教壇にたつと必ず赤面するようになっていました。
これにはしばらく悩まされました。
わたしは日本語教師には向いてないと落ち込みました。
でも、なんとか克服して、日本語教師を続けたいという気持ちがあり、師匠の門を叩きました。師匠はフリーアナウンサーで「伝わる言葉」をテーマにして活動している人です。
実は、その師匠に「読みなさい」と言われたのが
何をかくそう『ことばが劈かれるとき』だったのです。
10年ほど前のことです。

 

では、どうすればいいのかということは、ぜひ本書を手に取って読んでもらいたいと思います。

 

著者はことばとこえとからだをつなぐ「竹内レッスン」という
演劇的レッスンを基にした「ことばとからだ」のワークショップを主宰していました。
そこには、「こころとからだ」に問題を抱えた人々が訪れます。
「治癒としてのレッスン」として、こえとことばに困難を抱える人たちと誠実に向き合い、
彼らのからだを劈かせてゆく筆者。

 

今まで考えたこともなかったような「こえとことば」の本当が
治癒としてのレッスンにはあります。
その具体的なレッスンの様子は、日本語教師にとっても参考になるのはもちろん、
自分のことばを振り返るきっかけにもなり得るものです。

 

教師はいつも、学習者のことばだけを見てしまいがちです。
でも、一歩立ち止まって、自分のからだに意識を集中させてみると、
緊張のために肩が上がっていたり、表情が硬かったりしていることも多いものです。

 

自分のからだを劈いてみると、それに呼応して、
学習者も心を開いてくれることも多いのではないでしょうか。
そして、学習者にこえで働きかける。
そうすれば、その場にはなにかが生まれます。
それこそが「ことばが劈かれるとき」なのかもしれないと思います。

#1
#2 尖りまくりのヒーロー、ブラック・ジャック

福村真紀子

 

かろうじて「キャンディ・キャンディ」にハマった時期がちょっとありましたが、
子どもの頃からナヨナヨした恋愛を描く少女漫画より、
ブレない一つのテーマに取り組むヒーローが登場する少年漫画に惹かれていました。
「あしたのジョー」「おれは鉄平」「釣りキチ三平」のヒーローもシャキーンと尖っていますが、
なんといっても「ブラック・ジャック」(以下、BJ)の尖り方は最高です。
BJの概要はWikipediaをご覧いただければこと足りるので、
ここではジェンダーイシュー、多言語多文化共生、言語文化教育に関心を寄せる私から見た
尖りまくりのBJの魅力をお伝えします。

魅力1:マザコン

「マザコン」にマイナスイメージを持つのなら「母親想い」に置き換えてください。
無責任な不発弾処理により爆発の被害にあった少年BJと母。
父は愛人とともに海外に。
両手足をなくし言葉も発せない母と目で会話をするBJ。
母は亡くなり、BJはその後ずっと母を慕い続け、憎む相手への復讐も果たします。
かわいい息子を残して死んでいった母のことを思うと、
同じく息子を持つ私の胸はズドーンと重くなるのですが、
死後もBJから慕われ愛され続ける彼の母は幸せだなあと思うのです。
生死を超えた永遠の愛と言いましょうか。

魅力2 : マイノリティ

無免許の医者なのに手術の依頼人にべらぼうな治療費を請求するBJは社会の嫌われ者です。
奇形嚢腫からBJの手によってつくられたピノコだけは彼にゾッコンですが、
たいがいの人は彼に近寄りません。
ですが、BJは非常に情が深く、ピノコの命は懸命に守り、貧しい人からは手術料は取りません。
爆発事故に遭った時は友達のタカシから皮膚移植を受けました。
タカシの皮膚は黒いので、BJの顔面はツートンカラーに。
皮膚の色を変える手術のチャンスはいくらでもあるのに、
彼はタカシからもらった皮膚を後生大事にするのです。
BJは社会的マイノリティにこそ命の価値を見出し、
自らもマイノリティとして生きているのではないかと思います。

魅力3:人間臭いかわいさ

過酷な手術後、大いびきをかきながらソファで寝入るBJ。
スーパー医師も疲れてスキを見せるんだなと、なんだかほっとします。
また、見かけは子どもだけれど中身は18歳のピノコがBJの妻であると主張して
あからさまに愛情を表現してくる時、BJは彼女を子ども扱いしつつ、彼女の愛情を照れながら受け入れます。さらに、「如月恵」「ブラック・クイーン」との恋愛が成就できないストーリーにはグッと惹かれます。
ナヨナヨ恋愛ではなく、キッパリさっぱり身を引くBJ。非常に人間臭いかわいさを見せてくれるのです。

ここまで私のヒーロー、BJについて3つの魅力をお伝えしましたが、
どこがジェンダーイシュー、多言語多文化共生、言語文化教育と関係あるの? という声が聞こえます。
その疑問にお答えするなら、
女性をリスペクトしていること、
社会的マイノリティに当事者として寄り添うこと、
絶妙なタイミングでスキを見せて読者に人間性をアプローチするコミュニケーション力を持っていることが
ポイントだと言えます。
また、BJの周辺の登場人物もとてもユニークで魅力的です。
例えば、命の恩人であり師匠でもある本間丈太郎。
私は超渋キャラの彼の大ファンでもあります。
本間先生が手術中のBJに投げかけたセリフを以下に紹介します。

 これだけは きみも キモにめいじておきたまえ

 医者は 人をなおすんじゃない

 人をなおす手伝いをするだけだ

 なおすのは・・・本人なんだ

 本人の気力なんだぞ!

 

「医者」を「日本語教師」に、
「人をなおす」を「学習者にことばを習得させる」に置き換えてみてください。
医者なのに人をなおすのではないという理念、尖りが伝わってきます。
BJが手術を施した人に全く恩着せがましくなくむしろ冷淡なのは、
この理念によるものなのだな、と
納得できます。
学習者を何も知らない、何もできない存在と考えることほどカッコ悪い思い上がりはないですね。

#2
#3-8 教材は自分で作ってナンボ!
―小山真理さんに聞く教材作りの楽しさ―

―アンケートでは、いろいろな素材を教材にしてきたけれど、失敗作もたくさんあるとのことで、
 そこに興味を持ちました。

 まず、基本的にどんなものを教材にされてきたんですか。

 

教材としてけっこう長く使っていたのは、
中学校の教科書にも採用されるような向田邦子の「字のないハガキ」とか太宰治の「走れメロス」でした。
あと、星新一のショートショートですね。
最後のオチの部分を考えさせたりしてました。
「走れメロス」は俳優が朗読している新潮社のCD(当時はテープ)もすごくいいんです。
「疲れ果てて眠ってしまったメロスはどうしたでしょう?」って考えさせて、
答え合わせも兼ねて朗読を聞かせていました。
締めくくりとして「自分がメロスだったらどうするか」というテーマで作文を書いてもらいましたね。

 

「字のないハガキ」は上級教科書なんかにも採用されるようになってきてますよね。
「走れメロス」は国で読んだことがあるとか、もう日本語学校でやっているという学生もいたんです。
最後にどうなるかを考えさせたいのに、答えを知っている人がいると、
やっぱりモチベーションが下がりますよね。
それで、これまで扱ったことのない素材で新たな教材にトライしていきました。

 

―どんな教材ですか。

 

例えば、さだまさしの「親父の一番長い日」。
四字熟語が入っていたので使いました。
歌自体がすごく長いので、寝ちゃうんじゃないかと思ったんですが、
お父さんを思い出して泣き出す学生もいました。

 

それから、映画の『エンディングノート』とか。
砂田麻美という女性監督の父親の葬儀から始まるんですよ、いきなり。
癌の告知を受けてから、自分で葬儀場を決めて、身辺整理をして、
最期を迎えるまでの密着ドキュメンタリー。
娘自らカメラを回して、軽妙な語り口でナレーションをつけながら記録しているんです。
いろいろな意味で多くの人に見てほしい映画です。
私はデス・エデュケーションに興味があって、すでに授業でも扱っていたので、
ユーモア満載で重くないし、これは見せたいなと思って教材にしました。

 

―失敗作というと、どんなものがあるんですか。

 

清水義範の「ビビンパ」。
家族4人が焼肉屋で食事しているシーンなんですが、話し言葉を教えたくて。
ほとんど説明がなく、会話だけで構成されている部分を取り出して、
誰が話しているかを考えさせるワークを作ったんです。
でも、難しかったみたいで、「やっぱり役割語を理解するのは難しいんだな」と思いました。

 

それから、向田邦子の『男どき女どき』に入っているエッセイで、
筆者が筆立てを壊して「壊れました」と言ったら、
お父さんが「お前が壊したんだ、壊れたんじゃない」って言って叱るのがあるんですけど、
それって自他動詞の使い方の問題なんですよね。
みんなが「自他動詞わかんない!いやだ!」って雰囲気の時にやったりしました。
「壊れる」と「壊す」じゃ全く意味合いが変わってくるんだぞ、
と伝えたつもりが、余計にこんがらがる時も…。
向田作品は昭和の雰囲気や言葉がなかなか伝わりづらく、上級レベルじゃないと厳しい時もありました。

ずっとやりたいと思っていたのに、
1回しかできなかったのはナンシー関の『記憶スケッチアカデミー』です。
雑誌の一般読者が何も見ないで、出されたお題を自分の記憶だけでスケッチするんです。
それに筆者がコメントをするというものなんですが、そのコメントが秀逸!
それで、同じようにお題を出して、学生ひとり一人に絵を描かせて、
他の人がコメントを書くというのをやってみたんですけど、
ただ見たまんまを書くだけの真面目なものが多くて、ユーモアを言葉にする難しさを感じました。

 

あと、朝日新聞の連載を書籍化した『中島らもの明るい悩み相談室』シリーズですね。
読者のどうでもいい悩みに対して、中島らもが絶妙な答えを返すんです。
まず、悩み相談を読んで、「あなただったらどうアドバイスしますか?」っていう教材を作ってみたんです。
で、最後に「中島らもさんはこう答えました」と言っても、学生は笑えるポイントがわからない。
逆に、学生が書いたもののおもしろさがわからんってこともありましたね。(笑)

 

―結構ありますね。

 

そうですねえ。
あとは、辞書を引く楽しさと大切さを伝えたくて、
赤瀬川原平の『新解さんの謎』や群ようこの「日常的に楽しむ辞書」にもトライしました。
おもしろかったのはネット上にあった「天使の辞典」「悪魔の辞典」ですね。
ひとつの言葉を、全く違った2つの視点から定義するもの。
どっかの教科書で見たんだっけかな…。
例えば電話だったら、「遠くにいる人とも話せる便利なもの」だけど、
別の視点から見ると「昼夜かまわずかかってきてうるさいもの」というように…。
筒井康隆の『現代語裏辞典』も参考にして、例文を考えましたけど、難しかったです!
学生にも考えさせたのは、酷だったかも。
あ、でも、今ならできそう。
もう1回やってみようかな。(笑)

『ニッポンの誤植』っていう抱腹絶倒の本もあるんですが、
文字通り誤植ばかり集めたもので、すでに絶版になってます。
その中に、中国で出版された日本語の教科書が「誤植界のバイブル」として紹介されているんですけど、
どこを探してもないので、一度、国会図書館に探しに行こうと思ってます。
でも、『ニッポンの誤植』自体は下ネタも多いし、お勧めできる本じゃありません。
実際、教材化もできませんでした。

 

―笑える本がお好きなんですね。
 「おもしろい」「笑える」っていうものを共有したいってことですよね。

 

そうですね。自分がおもしろくないと、学生もおもしろくないだろうし…。
私は落ち込んだ時とかに「あはは」と笑うためにいつも手元に置いてます。
使えるものも、使えないものも、いっぱいありますけど、
そこだけ切り取って使うというのは、なかなか難しい。
ショートショートはやっぱり短くて使いやすかったです。
何か読ませるなら、ある程度は話の流れが必要なんですよね。

 

―でも、どうして教材を作るようになったんですか。

 

私は最初、日本語学校にいて、そこで教材作成プロジェクトに携わっていたんです。
初めて作ったのは、リスニング教材、その後、中級教科書の作成メンバーにも入れてもらいました。
そこで知ったのは教材を作る楽しさ。
しかも、みんなでわいわい言いながら作ったんですよ。
だから、リスング教材の名前も『楽しく聞こう』!(笑)
一応、課の担当は決めてましたけど、互いの課について正直に意見をぶつけ合いました。
他の先生方には実際に授業で使っていただいて
「ここはこうしたほうがいい」ってフィードバックをもらって、
どんどんいい教材にしていく過程が楽しかったです。
ありがたい環境だったし、いい時代でもありました。
現在は大学にいるのですが、やっぱり一人で作るという寂しさもありますし、アイディアの枯渇も感じます。誰かとできたらいいなあっていつも思います。

 

―経歴を教えてください。

 

私、体育会系で中高大とバレーボール一筋だったんで、ちゃんと勉強しようと思って大学院受けたんです。
にもかかわらず、1年目に休学して、高校で国語の教師やってました。
産休補助教員を1年、復学して非常勤講師を1年、
修士論文を提出したあとは、しばらくフリーターでしたね。
研究していたのは漢字音韻論で、おもしろかったけど、地道な作業なんで、
ずっと続けるのはきついなあという気持ちがありました。
そうこうしているうちに知人の紹介で、JICAなどで教える日本語教師の教材準備とか、
教務としてアルバイトすることになって…。
そこで授業を見学させてもらったりしてたんですね。
そしたら、ある日突然、「担当の先生が来られないから授業やって」と言われて教壇に立ったんです。
そこで「あ、これ楽しいかも!」と思いました。
そのあと、10月に日本語学校の募集があって採用されました。
途中で同じ学園内の大学に異動になって、現在に至ります。

 

―小山さんにとって、うまくいった授業はどんな時で、反対にうまくいかなかったのはどんな時ですか。

 

学生が理解して笑ってるとか、楽しそうにやってる時はうまくいったなって思います。
答え探しみたいなものを真剣にやろうとしているとか。
もちろん、そういう時は自分も楽しいですし、何より、意外な答えが返ってきた時が嬉しいですね。
教材を作った時、どんな答えが返ってくるか、ある程度予想してますけど、
その予想を越えてくると、自由で柔軟な発想にびっくりするし、すばらしいって思います。

 

ダメなのは難しすぎて理解できない場合。
ユーモアもそうですが、言葉をどんなに説明しても
「先生、これ、きっとおもしろいんだと思うんですけど、おもしろさがわかりません」って言われた時は
「ああ、ダメか~」と思いました。

 

―小山さんにとって教材とは?

 

そうですね。教材は作ってナンボだと思ってます。
本当は何人かで作るのがいいんですけど、一人でも教科書を使うよりは楽しい、
というか、授業を学生と一緒に作ってるという感覚になりますね。
教科書があるとラクだけど、それに縛られると、こなすことで精一杯になっちゃったりしますから…。

 

―ああ、そうですね。わかります…。では、最後に小山さんにとって「トガル」とはなんでしょうか。

 

「アンテナ」ですかね?分野にこだわらず、
いろいろなものにアンテナを張って少しずつ突っついてみたいです。
うまく言えませんが……。

 

昔から「ノーボーダー」「ボーダレス」という言葉が好きでした。
国を越えて留学生に日本語を教えるなんていう仕事に携わっているのだから、
まずは、自分自身がいろいろなところでボーダーを引くべきじゃないと思ってきました。

 

国境や国籍はもちろん、性別、年齢、人種、人間関係、分野…世の中にはいろいろなボーダーがあって、
ときには、それが何かを阻害してしまうこともありますよね。
だから、これは理想でしかないかもしれないけれど、
私にとっての「トガル」は「アンテナを張りつつ、ボーダーを突き抜ける」ことかもしれません。

 

―今日はありがとうございました。

【トガルための100作品】  

砂田麻美『エンディングノート』

清水義範『ビビンパ』

向田邦子『男どき女どき』

ナンシー関『記憶スケッチアカデミー』

中島らも『中島らもの明るい悩み相談室』 

赤瀬川原平『新解さんの謎』

#3-8
#9 映画『男はつらいよ』
―映画の魅力と教材の価値―
中山英治

わたしくし生まれも育ちも愛知県は名古屋市の出身です。
熱田神宮で産湯をつかい、姓は中山、名は英治、人からは風貌からか、仏のエーちゃんと呼ばれます。
映画『男はつらいよ』の映画の魅力と教材の価値について、お話いたします。

 

とりあえず、この映画のストーリーは、こんなところです。
主人公の寅さんこと車寅次郎が旅先で夢を見て故郷の柴又を恋しく思い、
家族が噂話をしている中、フラッと帰ってきます。
とらやの店先を行ったり来たりしながら、入りづらそうに…

 

帰ってきたはいいけど、何かしらひと騒動(有名なところでは、ピアノ事件、メロン事件など)起こして
また旅に出ます。
そして、旅先で往年の大女優たちが演じるヒロインと(正しくは「ヒロインに対して勝手に」でしょうか)
恋に落ち、事件を巻き起こします。
そのヒロインとまた柴又で再会して、とらやの家族をやきもきさせます。

 

しかしながら、最後はこの恋多き寅さんは失恋をして、家族に引き留められながらも、
「渡世人の辛えところよ」とまた旅に出ます。
映画の最後のシーンは決まって旅先でいつものように明るく売(バイ)をする寅さんが映され、
幕となります。

この映画の魅力はと聞かれれば、私は「家族」、「労働」、「恋愛」の三本柱を挙げたいと思います。
寅さんは家族思いで、いつも旅先ではおいちゃんやおばちゃんを心配し、
さくらやその旦那の博、甥の満男のことを気にかけています。
とらやの家族もみんな寅さんのことをいつも気にしています。
愛情に飢えている人なら、この映画で「心の癒し」を得られるでしょう。
家族同士の会話が繰り広げられる居間の場面は、どの回にも表現され、笑いや涙が絶えません。
「労働」もこの映画のポイントです。
旅に出てテキヤ稼業を営む寅さんはフーテンの寅であり、その日暮らしを続けています。
一方、とらやの家族は真面目に地道な仕事をしています。
いわば、「放浪」と「定着」の二項対立の関係性の中で、先ほど述べた家族の群像が描かれるわけです。
日々の仕事に就かれている私たちは、寅さんを見てどこか羨望のまなざしを持ち、
しかし働くことの大切さもしみじみと感じることができるのです。
もちろん、この映画の魅力はと言うと、先に挙げた家族、労働が描かれる地味なだけの作品ではありません。そこに「恋愛」、特に寅さんが巻き起こす腹を抱えて笑える恋愛劇が繰り広げられるのです。
特に、松岡リリー(浅丘ルリ子)との恋愛は、
この映画のファンなら誰しもその展開をドキドキしながら見守ったことでしょう。
フーテン同士のこの二人はどこかで惹きつけられながらも、格好をつけあって離れてしまいますが、
実はお互いを尊重し、かつ愛していたのではないでしょうか。

 

さて、そんな魅力あふれる映画を、
私は何とかして学生たちに(外国人留学生にも日本人大学生にも)見せてやりたい、
この古い映画から何かをつかみ取ってほしいと考え続けていました。
タイのバンコクでは自分が担当した聴解の他に、会話、文法、作文など他の授業も巻き込んで、
どのクラスでも共通して寅さんを見せて、
映画の鑑賞の後で、新しい寅さんシリーズを創作するという活動を行いました。
寅さんがバンコクに来たら、という設定でショートムービーをつくらせてプレゼンテーションさせたのです。この映画には美しい日本語がたくさん出てきます。
古い言葉として啖呵売のフレーズも出てきますが、
落語を思わせる寅さんの言葉遣いの妙を学生たちは感じ取るのです。
「〇〇って言葉を口にするなよ」という名場面では、うっかり口を滑らせる寅さん。
類義語を通して語彙の体系性に気づかせる教材の価値を持ちます。
また、古い映画なだけあって、今ではもう見ることが少なくなった文化的な営みも豊富に描かれます。
「これ少ないけど取っといてよ」
「いや、こんなことされては困ります」
「いや、気持ちだからさ…」
というようなお金のやりとりなんて、日本的な言葉とふるまいが見事に表現されています。
もちろん、学生がこの映画のすべてを理解するには難しい側面もあるでしょう。
時代も古く、最初は学生の関心や興味も薄いかもしれません。
そこを工夫して、ちょっとずつ寅さんのユニークさや家族とのやりとりの面白さが感じられてくると、
けっこう今の学生もこの映画を通じて、人間の生き方や深い愛情の側面に気づくようになるのです。
映画の舞台となっている葛飾柴又は、実際に行くことができ、映画は現実の世界とリンクしてきます。
私はこの映画の授業の後で、学生を引き連れて、柴又トリップを企画しました。
あの地域独特の雰囲気、人の温かさなど社会参画の契機を提供できるこの映画は、
教室から離れて現実世界を学べる教材としての価値もあるのです。

 

最後になりますが、映画『男はつらいよ』を見た人は、みんなで「あーだ、こーだ」話し合って、
同じシーンを回想してはクスクスと笑い合って楽しいひと時を過ごせます。
人生にはつらいことや苦しいこともいろいろとあると思いますが、
ぜひこの映画を見て、癒されてほしいなと思います。

 

ちょうどよい時間となりました。
映画『男はつらいよ』の魅力と教材価値のお話は、この辺でお開きということで!

#9
#10 「三月の水」Antônio Carlos Jobim & Elis Regina
 
藤川純子

出会い
この曲との初めての出会いを、私はよく覚えていない。
多くのBossa Novaの名曲は、
私たちにとって「聴いたことはあるけど、詳しく知らない」に、カテゴライズされる。
私にとってもそうだった、ブラジルで、カセットテープが擦り切れるほどこの曲を聴き込むまでは。
その頃日本では、サザンの「TSUNAMI」が流行っていた。
11年後に、日本であんなことが起こるなんて想像もしなかった。
ブラジル人は、あまり傘をささない。
多少の雨なら濡れてもすぐ乾くし、傘をさすほどの雨が降るときは、
すでに傘が役に立たないくらいの土砂降りになっているからだ。
今回のビブリオバトルで紹介した「Águas de Março」は、「三月の雨」と訳されることが多いが、
本当は「Águas」は、「水」である。
しかも複数形。
南半球にあるこの国では、2月にカーニバルが終わる、つまり夏が終わる。
そしてどっと複数形の水が、押し寄せるようにやってくる。
この美しい詩は、作者のトム・ジョビンが目の前に見えたものの単語の羅列で、構成される。

「枝」
「小石」
「道のおわり」
「切り株の腰掛け」
「ちょっとだけひとりぼっち」
「ガラスのかけら」
「いのち」「太陽」
「夜」「死」「投げ縄」「釣り針」・・・・

さらにいくつもの単語の羅列が、男女の巧妙な掛け合いによって押し寄せるように続き、
「三月の水が夏の終わりを締めくくる。それは心の中にある、人生の約束」
という言葉で、突然終わる。
そこには、イミがあるのかないのか。
ポルトガル語のヒッチモ(リズム)にぴったり沿ったメロディと切り離せない言葉を、
和訳することにイミはあるのかないのか。

世界で最も美しい言語のひとつ
私は帰国後、小学校の教員になった。
ブラジル人児童の集住校には、かれこれ18年も勤めている。
ブラジル人児童だけで100人以上も在籍しているので、校内にはポルトガル語と日本語が飛び交う。
私自身も日常的に、二つの言葉を聞いたり訳したり話したりしている。
懐かしい言葉だ。
しかし中には、廊下で喧嘩してパラブラォン(汚い俗語)を交わす子どもも、いる。
それを真似る日本人児童も、いる。そんな言葉を耳にすると、私は顔をしかめる。
そしてその子の目を見て、できるだけ悲しそうに語りかける。
 

「おねがい。あなたのパラブラォンで、あなたたちの言葉を汚さないで。
ポルトガル語は世界で最も美しい言葉だから。」
子どもは、はっとして私を見る。
「いちばん きれいな ことば なの?センセイ、ほんと?」
「本当だよ」

そんな会話が交わされるころには、私たちはすでに笑顔になっている。
「ポルトガル語は世界で最も美しい言語」と、私が言える根拠の一つが、このトム・ジョビンの詩である。「三月の水」には、イミ以上に、言葉への愛とリスペクトと特有の情感と空気感が詰まっている。

そこに愛はあるんかい? 
このデュエットの歌手を紹介してみよう。


1人は、Elis Regina。

彼女の伝記「台風エリス」によると、
• ポルト・アレグレ生まれ、11歳で子供向けラジオ番組にて歌手としてのキャリアをスタートさせた。
• 心躍らせる歌声と優れた抑揚。アップテンポなナンバーに卓越。
 「Furacão(ハリケーン)」や「Pimentinha(小さな唐辛子)」という愛称がある。
• 同世代のブラジルのミュージシャンたちを迫害し追放していた当時のブラジルの軍事政権を批判して
 「ブラジルはゴリラに支配されている」と述べた。
 それゆえ圧力を受け、やむをえずスタジアムのショーでブラジル国歌を歌わされたこともある。
• 1982年にコカイン中毒とアルコール中毒によって、死去。36歳没。 

もう1人は、作者でもある Antônio Carlos Jobim。
彼についても伝記「アントニオ・カルロス・ジョビン―ボサノヴァを創った男」が、
幸運なことに、和訳で存在する。
•リオ デ ジャネイロ生まれ。愛称Tom Jobim(トム・ジョビン)
• 幼いころ、猟銃で愛犬を誤って射殺。飛行機嫌い。
•“The Girl From Ipanema(イパネマの娘)”や“Wave(波)”の作者であり、
 ボサノヴァの誕生に関わった創始者。
• 詞を英訳するときは、曲を書き直したほど、言語のリズムへのこだわりがあった。
• 大自然に囲まれて育ち、環境問題に関心が深い。
 しかし熱くメッセージをアピールするのではなくあくまで美しく、自然に表現した。
• 1994年にニューヨークで心臓発作のため67歳で死去、リオ・デ・ジャネイロに埋葬。
 彼の死に際しては大統領令が発され、ブラジル国民は3日間の喪に服した。

2人とも、ブラジル国民に心から愛されたミュージシャンである。そして彼らの曲には、言うまでもなく、ブラジルへの愛がある。

そこにイミは、あるんかい?
背景を知れば知るほど、作品のイミを深く深く考えようとしてしまう。

それは楽しいし、そのこと自体にもイミはあるだろう。

しかし音楽の意義は、イミがないところにも存在する。
ミュージシャンの菊池成孔は、2016年のラジオ番組の中で 「3月11日に『三月の水』を捧げる」として、
このように述べる。

「ある曲に心を奪われてしまい、むさぼるように何十回と聞いたことが、 あなたにもあるでしょう。
それによって胸焼けがしてしまい、一時その曲が聞きたくもなくなってしまったことが、
あなたにもあるでしょう。
そして、さらに何年かして、改めて聞いてみたらやっぱり素晴らしかったと思ったことも、
あなたにはあるはずです。」
「いろいろな全てを、そういう風に生きていくことは、恥ずべきことではない。」
「カルロス・ジョビンがこの曲を作った時、40年以上もたった後に、
地球の裏側の国で『三月の水』が清められなければならなくなってしまうこと。
そして、それはやがてかならず清められることを具体的に知っていたはずはありません。
音楽というのはそうやって生まれ、そうやって聞かれ、そうやって3つの時間。
過去と現在と未来という区分けを消してしまう。」

 

そして「最後まで聞かなくてもいい。最後まで聞いてもいい。」と言った後、
この曲の英詞の和訳を朗読して、番組を終えている。

 

最後まで考えなくてもいい。最後まで考えてもいい。
実は渡伯する直前、友人たちがちょっと面白い企画をやってくれた。

パッキング中の私のもとに「ジュンコにブラジルで聴いてほしいベストミュージック」が、

全国各地から届いたのだ。

多くは、音楽関係の掲示板やチャットなどで知り合った、ネット友人たちからだった。

CD ROMやMDやカセットテープに入った、それぞれの「価値観の押し付け」を、

ありがたくスーツケースに詰めこみ、私はドキドキしながらブラジルに到着した。
そこには驚くほど爽やかな空気と、透明な日の光と、色とりどりの肌や髪の色をした、

とびっきり心温かな人々が待っていた。

季節は夏で、いい天気が続いた。

最初に住んだ家は、ベッドルームが5つもある大きな一軒家で、庭にはコーヒーの樹が植えられていた。

艶やかな緑の葉っぱ越しに、町のセントロの教会が見えた。
そして、雨が降り出した。

#10

この風景の中で、友人が送ってくれたカセットテープを、私は聴いていた。

「三月の水」を、擦り切れるほど聴いた。

エリスとトムの掛け合いを、イミのないポルトガル語の羅列を、弾むリズムと押し寄せる水の音を、

音楽でも詩でもない別のモノに聴こえてきそうな程、何も考えられなくなる程、聴いた。

「どれが一番よかった?」と、日本の友人たちからメールが来ていた。
実は、ホームシック期に最もよく聴いたのは、「落語ベスト」だったことも、告白しておこう。

私は、ブラジルの田舎町で涙を流しながら、米朝を聴いていた。

それくらい美しい日本語の音にも、飢えていたのだ。

ワタシタチハカンガエル…。それがいいことか悪いことか、その結果どうなるかも考えずに、
いろいろなことを考えてしまう。
人生のイミを考え、歌詞のイミを考え、言葉を作った人の背景を知りたがり、そこからまた考えてしまう。
でも本当は、
「最後まで考えなくてもいい。最後まで考えてもいい」
のだ。「ことばのリズム」という遺産を、
そして「かんがえないじかんのゆたかさ」を、私たちは平等に持っているのだから。

#11 フィクショナルな言語世界と感情のリアリティ
―滅びゆく言語のロールプレイング・ゲーム『ダイアレクト(Dialect)』―
 
石田喜美

言葉を教育すること、あるいは、言葉を学ぶことにおいて、
「フィクション(虚構)」は、どのような役割を果たすのでしょうか。
もちろん、「フィクション」と一言でいっても、その関係のありようは、さまざまです。
言語教育のための教科書に掲載されている「会話例」の多くは、多かれ少なかれ虚構性をもっていて、
しばしば、それへの批判が行われます。
一方、「『トガル』ためのビブリオバトル」において紹介された、
映画『悲情城市』のようにフィクションであることによって、歴史的な事象のある側面を、
ノンフィクション以上に描き出すことで、人々を強く動かすこともあります。
カズオ・イシグロは、『WIRED』に掲載されたインタビューの中で、
小説家としての自分自身の役割を「感情(emotion)を物語に載せて運ぶということです」
「時空を超えて伝わる『感情』を描き出す」作家、カズオ・イシグロの野心」, WIRED, 2015-12-29
と述べていましたが、まさに、フィクションにしかできないことがあるのです。

「フィクションにしかできないことがある」――このことを、私自身にもっとも強く印象づけたのが、

ロールプレイング・ゲーム『ダイアレクト(Dialect)』の初めてのプレイ体験での出来事でした。

はじめに、このロールプレイング・ゲーム(以下、RPG)について、簡単に紹介しておきたいと思います。
このゲームは、言葉の持つパワーや遊戯性に焦点を当てたゲームを制作してきたThorny Gamesによって
作られたゲームで、HallowHillよりその邦訳版が発売されています。
このゲームには、ゲームタイトルとは別に、副題のようなかたちで
「言語についての、それがどのように死ぬのかについてのゲーム
(A game about language and how it dies)」というキャッチコピーが示されています。

これらのタイトルやキャッチコピーに示される通り、
このゲームは、他から隔絶された孤立したコミュニティの中で、
そのコミュニティ内だけで通じる言葉が生み出され、
その言葉を用いながら新たなコミュニケーションや関係性が生み出され、
最後には、そのコミュニティの運命に従って、
言葉が(そして多くの場合は、その使い手であるキャラクターたちも)滅んでいきます。
まさに「言語についての、それがどのように死ぬのかについてのゲーム」(!)なのです。
そのため、ゲームプレイが始まる時点ですでに、その言語が滅ぶことは、宿命として決められています。
さらにいえば、キャラクターたちも、そのような自分たちと言語の宿命を知っている、
あるいは予感されているという設定であることも多いのではないかと思います。

ここまで読んで、「なんと残酷なゲームなのだろうか」と思われた方も多いのではないでしょうか。
実際、このゲームには、「参加者全員で作成した共同体は、発展的な解散であれ、強制的な解体であれ
最後は必ず失われます。ご注意ください。」(「ダイアレクト」-HallowHill
という注意事項が示されています。
――そう。このゲームでは、確実に、一般的な意味での「ハッピーエンド」は迎えられないのです。
このゲームプレイに参加する人たちは、あらかじめそれがわかっています。
RPGなので、他のRPG同様、プレイヤーたちは、ゲーム中に自分たちで新たに創造した言葉を使って、
コミュニケーションをし、それを展開させるかたちでストーリーを創り上げていきます。
けれども、その先には、言語(と、キャラクターたちすらも)が滅ぶという未来しかありません。
いつか失われていく「私たち(=キャラクター)」の言葉に向けて、
「私たち」はコミュニケーションをし、自分たちの物語を編み上げるのです。
いつか、誰にも届かなくなるに違いないことがわかっていようとも、
それでも、「私たち」は語り続ける
――差別的なまなざしを前提とした言葉であることを承知であえて言うとすれば、
私にとってその営為は、あまりにも可憐で美しいものに映りました。
そして、思ったのです――「それは、なんと人間らしい営為なのだろうか」と。

わたしが実際に体験したのは、プレイヤー全員で、ある少年のお気に入りのおもちゃのキャラクターを作り、それをロールプレイするというもので(「おもちゃ箱の物語」)、

「私たち(=キャラクター)」のミッションは、少年に自分たちへの関心を取り戻してもらうことでした。

一方、日々、子どもから大人へと成長していく少年の姿を見ていると、

「私たち(=キャラクター)」のコミュニティの運命もそう長くはないことが予感されている

という設定です。

私にとって、忘れられないのは、ゲームプレイのはじめの方で創られた何気ない言葉のひとつが、

自分にとって、突然「失いたくない言葉」になった瞬間でした。

なぜ、そんなに「失いたくない」と強く思ったのかは、自分でも、よくわかりません。

ただ、そのとき、「失いたくない」と思ったこと、

ゲームプレイの最後にはこの言葉を使って、「私」の物語を終えよう…と思ったことは、覚えています。

その言葉はあまりにも、何気ない言葉だったので、

物語の壮大なエンディングを語るにはあまりにも力不足でした。

それでも、「自分の物語を、この言葉なくして終えることはできない」となぜか強く思っていて、

そんな自分を、妙に醒めたような気持ちで、もう一人の自分が客観的に眺めていたような

…そんな記憶があります。

 『ダイアレクト』のルールブック第5章には、

危機言語(endangered language)の研究を行ってきた言語学者、Steven Birdによって寄稿された

「言語を維持できる未来世界を作るのに役立つ、具体的な行動」の提案が紹介されています。

そこに掲載されている提案の多くは、「相手の言葉で挨拶しよう」「名前の発音を学ぼう」

「今いる場所で、本来話されていた言語を話してみよう」など、とても小さな活動です。

『ダイアレクト』のルールブックでは、ゲームそのもののみならず、

現実世界でのアクションにも結び付くような提案との両方を掲載することで、

フィクションの世界での経験を、フィクションの内部に閉じず、

現実世界へと開こうとしているのだと考えることができるでしょう。

それは、それで、とても意義あることだと思います。

しかし、私自身は、それとはまったく異なる、大きなものを、

『ダイアレクト』のプレイ体験によって得たのではないかと感じています

――理屈で説明することすら困難な「感情」の記憶です。

「失いたくない」と思った、そのときの経験や気持ちは、

簡単に、現実世界へのアクションへと持ち越せるものではありません。

そして、それが容易に持ち越せないからこそ、それは、私のなかで大きな存在感を持ち続け、

「言葉が伝わらない」ことによって生じる孤独感や絶望感へと、

私の想像力を強く駆動するものになっているように思うのです。

参考リンク https://kimilab.hateblo.jp/entry/2019/01/09/230956

#11
#12 台湾に残ってしまった「傷跡」としての日本語
―台湾映画『悲情城市』(侯孝賢監督1989年)―
 
犬山俊之

もう30年前の映画だが、今でも20代前半の自分がこの作品を初めて見たときの衝撃をはっきり覚えている。
日本映画とアメリカ映画しか知らなかった自分にとって、初のアジア映画だったということもあり、

台湾の美しい風景(のちに有名になる九份や基隆ですね)、劇伴、演技、全てに驚かされた

(当時の日記というかメモに、「画面に映っていない部分の音がちゃんと聞こえて来るのがすごい」
と書き残したりしています)。
こんなすごい映画を作る国へ行ってみたいと思った。

この映画を見ていなければ、自分は確実に台湾に来ていなかった。
加えて、この映画を見ていなければ、日本語を、言葉を教える仕事につく覚悟を持てなかっただろうと思う。


というのは、この映画は戦後の台湾を舞台にしており、いやおうなく「日本」が画面に映り込んで来る。
自分はこの映画によって「日本の外にある日本」「日本語母語話者でない人の日本語」

というものを知ることになった。


台湾に日本語があるのは、日本がアジアで戦争を行い、台湾や韓国などを植民地にしていたからだ。

そういう教科書的な知識はさすがにあったものの、

「植民地にされた側の人たち」の生活というものを想像してみたことはなかった。

この映画を見るまでは。
 

『悲情城市』は、1945年 日本の降伏から始まる。

映画冒頭、天皇が「終戦の詔(みことのり)」を読み上げる所謂「玉音放送」が流れるのだが、

まず台湾でもこのラジオが流れていたのだということを初めて知る。

本当に、ここ台湾も日本だったのだ。
この日をもって、50年に及ぶ日本の植民地支配から脱することになった台湾だが、

このあと数年で次は中国大陸から来る国民党政権に支配される時代に移ることになる。

その社会が大きく変わる時、その狭間で、その劇的な変化に翻弄される人々の生活が映画の中で描かれる。

実は「翻弄される」というような言葉で言い表せないほど、

理不尽な権力とその暴力によって踏み潰されていく。
 

初めて見たときは、劇中に描かれる終戦直後の台湾の生活の中に

日本と同じような部分が数多くあることに驚かされた。

畳がある日本風の家に住み、一升瓶から酒を飲み、そして日本の童謡を歌い、

日本語が様々な場面で使われている。
日本人と台湾人との会話は普通に日本語だし、台湾人同士の台湾語の会話にも日本語の単語が交じる。

「とうさん」「しばらく、しばらく」「大丈夫」……。
それから病院内にいた医師(日本人か台湾人かは自分にはわからなかったが)は日本語を話していた。

ちなみに、しばらくすると、病院では中国語・北京語の練習が始められる。

支配者の交代が示さるこの場面は印象的だ。
 

こうした、台湾に残る「日本的なモノ」を、日本人はおもしろがってきた。

自分は嫌いな言葉だが、「親日」だなんていう人もいる。
しかし、自分にはとてもそうは思えないし、この状況を単純におもしろがることはできない。

自分にとっては、台湾に残る日本的なモノが、「イビツなもの」「すわりがわるいもの」に感じられた。

どうして日本を離れたこんな所に、日本語があるのか。

誰も好き好んで使用言語を変えたりはしない。

強制したのです。

最終的には武力、暴力で日本人は台湾の人の生活を変えてしまった。

ちょっと変な言い方になるが、台湾の中に残る日本語や日本的なモノが、

自分には、虐待された人の体に残る「青あざ」や「傷跡」のように感じられた。


日本語が傷跡に見える。
日本人の愚行の名残を見せられているような気がして、映画の中の日本的なものが自分の胸に刺さる。

これらの「日本」は決して彼らが望んだものではなかったにもかかわらず、

そこに影響が残ってしまったもの、なくてもよかったものなのだ。
植民地として50年。生まれたときから、日本語があった世代が既に成人している。

子供の時の楽しい記憶とともに、日本語を身につけた人は、

その後の中国国民党政府のひどい政治の中で、日本びいきになってしまった人もいるだろう。

しかし、あなたが既に大人だったとして、

「明日からあなたの子どもは学校で別の言語で教育を受けます。家庭でも母語の使用は控えてください」

というような理不尽を受け入れることができるだろうか。
 

『台湾の歴史』という本から引用する。

「日本の植民地統治をどのように評価するとしても、

先人たちがこぞって立ち上がり外敵侵入に抵抗した事実をなおざりにすることはできない」

「台湾の各地に、民衆が奮起して日本軍に抵抗したのは事実である。

多くの死傷者を出し、流された血は川をなした」(p.99)

この映画の中には徹底的に日本が嫌いだった人物も出て来る。

この家族のおじいちゃん。劇中では75歳という設定で、この人は一切日本語を使わない、

そして、地方の顔役、実力者として日本政府と対峙してきたことを誇りに思っていて、

劇中後半で中華民国、国民党政府の役人ともめた時のセリフが以下。
「おれは、あいつら日本人の思うようにはやらせなかった」

「ずっとやりあってきたんだ。

だからオレはお前らにほめられこそすれ、文句言われたりするとは思わなかった」

「そんなオレを売国奴だ?ふざけんな!」

私は、強制されて使わされた日本語ではなく、

台湾の人が自由意志で選んだ第二言語、第三言語として日本語を学びたい人のサポートをしたい

と思うようになった。

もちろん、最初からそう思っていたわけではなく、

26歳のときに台湾に来て、こちらで生活するうちに、その気持が少しずつ形になっていった。

その気持はこの映画を見ていなければ、起こらなかった。

20代前半の自分の胸に刺さり、文字通り自分の人生を変えてしまった作品。

それが『悲情城市』。

(ちなみに、自分の祖父は植民地時代に台湾の公学校で教えており、

父は台湾で生まれた所謂「湾生(わんせい)」なのですが、そうした因縁はまた別の機会に。)

#12
#13 活動の場をつくる、そのプロセスを見る
―映画『Dogtown & Z-boys』―
 
山座寸知

言葉の教育に携わる自分が影響を受けたのは、

「Dogtown & Z-boys」という2001年に発表されたドキュメンタリー映画です。

そもそも教育とは自分にとって何なのかと言うところからお話ししますと、すごく学校が嫌いでした。

非常に辛い時期を学生時代は過ごしました。

抑圧を感じて、自分の存在の根底を否定されているような気持ちで学校に通っていました。

教育の定義はいろいろあると思うんですが、自分にとってすとんと入ってきたのが、

相手の潜在的な可能性を信頼すること、そしてその実現に手を貸すことという定義のし方があって、

それはエーリッヒフロムの「愛するということ」という本に書かれていたんですが、

確かにそういうものだとしたら教育というのは素晴らしいことじゃないかと思いました。

その潜在的な可能性とはなんだろうと考えると、これはフロムの言葉ではなく、私が思うところでは、

生き物として生きていく力、生き物が環境と交渉しながらその環境の中に価値というか意味を見出して、

自分たちの活動の自由とそれを持続させる状況を作っていく、それが潜在的可能性なんだと思うのです。

昔から生き物はそれを遺伝情報の書き換えによって実現していったのでしょうが、

人間は言葉を含む様々なシンボルを使って文化を創り出し、

環境に適応するだけではなくて環境を創出していき、そうして自分たちの場を作っていった、

それを後押ししていくのが教育なのかなと思うんです。

フロムの言葉に戻ると、相手の潜在的な可能性に信頼を置かない場合、それは洗脳であると言っています。

まさに私が学校に通っていた時代のあれは洗脳だったんじゃないか、つまり、すでにある環境を絶対視して、それに当てはまるように鋳型にはめるような洗脳を受けていたのだと思います。

私は学校が嫌いでしたので、大学も途中で放り出して、音楽にのめりこむようになり、

自分で音楽制作の仕事に入っていきました。

それでインディペンデント・レーベルを運営するようになりました。

いろいろなプロジェクトを始めました。

私がやっていたのはダンスミュージックのパンクとエレクトロニック・ミュージックを横断する分野でした。そのレーベルのプロジェクトに同世代や自分より若い人たちが集まってきてシーンを作っていったんです。

みんなそれぞれ自分のできることを持ち寄ってきて、学校から脱落したような人が多かったんですけど、

だんだん面白い場ができてきました。

音楽をやる人だけじゃなくて、何かデザインしてみたり、会場を探してきたり、

空いている場所を見つけてそれをどう活用するかとか、

ただ集まってくる人も非常にユニークな踊りをしたり、

皆一つの場の形成にすごい力を発揮するのを見て、これって教育なのかなと感じました。

それは90年代の後半だったんですけど、音楽やイベントなど個々の作品を作る事はできましたが、

その文化が生まれてくる時のプロセスを記録することは難しくてできませんでした。

ちょうどその頃、2001年にこのドキュメンタリー作品を見て、

そうした現場を非常によく捉えていると感じました。

その現場は私のいた世界とは違ってスケートボードの世界なんですが、

舞台となる荒廃した街で若者たちが面白い遊びを見つけていって、

それを一つのカルチャーの流れにしていく、その事例報告の記録の作り方としても非常によくできている。

彼らが見つけたのは新しい身体感覚であり、そこから新しい文化の源を作ったのですが、

その身体衝動のインスピレーションになった当時のハードロックが

当事者たちのインタビューのバックに流れています。

語りに音や映像をミックスする、そうした記録の作り方も非常に参考になりました。

この作品は学びのプロセスの記録として私は大きな影響を受けました。

#13
#14 「言葉を知り、世界を知り、君を知る。」そして、わたし自身を知る。―ヴィジュアルノベル・ゲーム「7 Days to End with You」―
 
石田喜美

新たな言語を学ぶことで、自分自身の世界がまったくこれまでとは違って見える体験をしたことがあります。
私にとって、それは、他人に話すと笑われてしまうような、とても小さなささやかな体験で、

だけど、とてつもなく大きな体験でした。

自分自身がこれまでモヤモヤ感じていた何かに「かたち」が与えられて、

自分自身の現実のなかに「それ」がハッキリと位置づき、

それによって、世界の見え方が変わった瞬間だったのです。

それは、大学の韓国語の授業で「감기몸살(カムギモムサル)」という単語を知ったときのこと。

その授業では、病気にかかわる韓国語の語彙を学んでいて、

そのなかで「風邪」をあらわ語彙のひとつとして「감기몸살(カムギモムサル)」が紹介されていました。

先生は、「감기(カムギ)」と「감기몸살(カムギモムサル)」は両方とも「風邪」を表すのだけど、

そのニュアンスは違っていて、「몸살(モムサル)」は、だるい感じの筋肉痛なのだよ、と言って、

「ほら、風邪のときに、身体が痛くなったりするでしょ、あの感じの筋肉痛。」

と私たちに説明しました。
そのとき、クラスの他の学生たちは意味がわからずポカーンとした様子だったのですが、

私の中には、静かな激震が走っていました。

なぜなら、それまで、どんなに家族や友達、知り合いに伝えてもわかってもらえなかった痛みやつらさに、

はじめて、言葉が与えられた瞬間だったからです。
幼少期から感じていたのに、誰にもわかってもらったあの痛みは、「감기몸살(カムギモムサル)」だったんだ!わたしが感じていたあの痛みは、やっぱり現実だったんだ!

あれを「痛い」と感じていたのは私だけじゃなかったんだ!…と感動し、

「ウォーター!」と叫びながら教室を抜け出して踊り狂ってしまいたい、という思いであふれていました。

わたしと世界とのかかわりの中で生じる感覚や感情、認識のようなものに「かたち」が与えられること。

それは、とても、感動的なことです。

ヴィジュアルノベル・ゲーム「7 Days to End with You」は、そんな瞬間に出会わせてくれるゲームです。

「7 Days to End with You」をプレイするときの経験については、

「赤ちゃんが言葉を覚えるときの気持ちがわかる」

「フィールド言語学者の気持ちがわかる」などと評されているようです

(参考:「【ゲーム実況①】フィールド言語学者の気持ちが分かるゲーム【7days to end with you】」『ゆる言語学ラジオ』第120回放送)。
私自身もこのゲームをプレイした後、それらのレビューを見て、なるほど、と納得していたのですが、

ゲーム実況動画で、他の人がこのゲームをプレイする様子を見ていくうちに、

それとはまた異なった見方を持つようになりました。

それを一言でいうのであれば、

「わたし自身の世界の認識のありかたとの出会いを知るゲーム」ということになると思います。
本ゲームのキャッチコピー「言葉を知り、世界を知り、君を知る。」と重ねていえば、

「言葉を知り、世界を知り、君を知る。そして、わたし自身を知る。」ゲーム、

ということになるでしょうか。
 

それは、思い起こしてみれば、1人でプレイしていたときにも、生じる経験では、ありました。

たとえば、「箸」と「フォーク」と「スプーン」が同じ文字列の単語として示されたときに感じた混乱は、

自分がふだん世界を認識するときに前提として有している言語体系の力強さをわたしに印象づけました。

また、2人でプレイしながら、ある文字列で示される対比が

「大」-「小」なのか、「多」-「少」なのか、「長」-「短」なのか、

あるいはそのどれでもなく、それらすべてを包含するような概念の対比なのかを議論していると、

ふだんは同じ日本語で話しているその人が、

自分とはまったく異なる枠組みで世界を認識していることに気づきます。
ゲーム実況動画はさらに興味深く、そもそも、自分の発想の及ばないところで、

ある文字列の語義が定められていったりして、もはや眩暈に近い感動を覚えます。
 

そう。考えてみれば、当たり前のことですが、

たとえ、同じ言葉を話していても、そこで意味されているものは、まったく異なるのです。

ゲームという限られた世界のなかで示される物事に対する認識やそこへの名づけの仕方が、

こんなに異なるのですから、

現実で行われるコミュニケーションのほとんどは「誤解」によって成り立っているといっても、

言い過ぎではないのではないでしょう。

でも、現実におけるコミュニケーションが「誤解」ばかりであるからこそ、

私たちは、その「わかりあえない」地点から、対話を始めることができるのだし、

それこそが、私たちのコミュニケーションの可能性を大きく開いてくれるものだとも信じています。

そのような意味で、「7 Days to End with You」は、

コミュニケーションの(不)可能性にあらためて気づかせてくれるゲームである

ともいえるのかもしれません。

#14
#15 トガるためのヒント
―谷口忠大著『ビブリオバトル 本を知り人を知る書評ゲーム』文春新書―
 
松本剛次

本当にトガった人は奇抜なファッションをしたり奇抜な言動をしたりすることはない。

一見、いかにも普通の常識人である。筆者の谷口忠大氏もその一人である。

ビブリオバトルの考案者として知られる谷口氏であるが、

本職は立命館大学情報理工学部知能情報学科の准教授である。

人工知能の研究者と紹介されることが多いが、本人曰く

「人を含んだ創発システムの構成論的理解と工学的応用」に興味があるとのことである

「立命館大学研究者学術情報データベース」より)。

人工知能研究とは遠い位置にあると思われるビブリオバトルだが、

「人を含んだ創発システム」という点で両者はつながってくる。


本によると、谷口氏がビブリオバトルを始めるきっかけとなったのは、

現在とは別の大学の大学院に助手として採用されてからだそうである。

それまでの研究分野とはまた少し違う新しい分野に進んだ氏は、

大学院生から勉強会の相談を持ち掛けられる。

勉強会というと当時は(というか今も)いわゆる読書会、輪読が中心だが、

新しい研究分野ということもあり「これは読んでおこう」といういわゆる定番の書籍はなかった。

また谷口氏は読書会自体にも疑問を抱いていた。

私なりに一言で言うと

「輪読型の勉強会って本当に勉強になるの?勉強しているつもりになっているだけじゃないの?」

という疑問である。

そこで氏は氏の言うところの「逆転の発想」で、読書会の代わりに、

「なんでもいいから最近読んだ本で面白かったものを紹介し合わない?」ということを提案した。

いかにも「人を含んだ創発システム」に関心のある氏らしい発想である。

そしてこの本の持ち寄り会が後にビブリオバトルとして独立していくことになる。

お薦めの本を持ち寄るという形で、自分一人であったら出会うことのない本に出合えること、

またそれによって、知見が広がっていくところに魅力と可能性を感じたからである。

さて、「トガる」という観点からは、我々はここから大きく二つのことを学ぶことができよう。

一つ目は、谷口氏の言うところの「逆転の発想」の重要性で、

これは私なりに言い換えれば「常識を疑うこと」「前提を疑うこと」「批判的思考回路を持つこと」となる。

勉強会=読書会=輪読、という一連のセットになってしまっていたものを、

谷口氏はその根本の部分、そのそもそもの部分から疑い、新しいものへと作り替えた。

勉強会とは勉強のための集まりである。

「じゃあ、勉強会で勉強することって何?って言うか勉強ってなに?」という自分自身への、

そしてそれを疑問視していない(それが当たり前のことになってしまっている)周囲への問いかけである。

これは私なりの解釈になるが、

谷口氏にとって勉強とは本に書かれたものや誰かの考えを理解することではない。

もちろん理解は大切である。

しかしそれ以上に大切なのはその理解をいかに自分なりに応用していくか、という点である。

それが谷口氏の言うところの「創発」なのであろう。

理解から応用は決して単純に自動的に進むものではない。

その間には「ひらめき」とでも言っていいような何かが必要である。

では「ひらめき」とは何か。

それは決して天から降りてくるものではない。

他の何かとの出会いややり取りを通して「創発」されるものなのである。

そしてこれがトガるためのもう一つのポイントへともつながる。

つまり「ひらめき」のためには、「創発」のためには、

敢えて自分が普段接することのない分野、

自分が手を出すことのない分野に積極的に出ていく必要性があるのである。

そしてビブリオバトルがまさにそのための一つの手段、一つの方法なのである。

しかし、こう考えると、今度はかつて読書会、輪読に向けられていた疑問や批判が、

今の大会化、コンテスト化してしまったビブリオバトルにも向けられてくるのではないだろうか。

ビブリオバトル自体が、今では疑問視されることのないもの、当たり前のもの、

形式的なものとなってしまってはいないだろうか、という疑問である。

ビブリオバトルの面白さと意義が全国に広がるにあたり、

谷口氏はそれを自分たちだけのものにすることはなかった。

「どうぞどうぞ、皆さんご自由にビブリオバトルという名称をお使いください」としたのだが、

その際「でも、その際、最低限このルールだけは守ってくださいね」という形をとった。

そうである以上、我々はそこに敬意を払い、そのルールを守る必要がある。

しかし、一方でルールがあるということで、

それは単なるゲームを超えて、大会化、コンテスト化してしまう傾向も生じてくる。

もちろん自分たちが楽しむだけの小規模なビブリオバトルも今でも各地で数多く開催されている

(そしてそれこそが本来のビブリオバトルである)。

しかしビブリオバトルが広がれば広がるほど、

ビブリオバトルが本来的に持っていた「トガった」側面が薄れ、大会化、コンテスト化という形で

既存の教育システム側のほうに取り入れられてしまっているのではないだろうか。

この本を読んだ上で我々が引き継ぐべきものは、形式としてのビブリオバトルではなく、

精神(考え方)としてのビブリオバトルなのではないだろうか。

と、そんなことをも考えさせられる本でした。

#15
#16 我々は自分自身を生きているか
―映画『金子文子と朴烈』が問うもの―
 
松島調

「15円50銭」——

これは、1923年(大正12年)9月1日に発生した関東大震災の混乱の時に、

武装した自警団が、そこにいる人が日本人か朝鮮人かを区別するために発音させた言葉である。

震災の最中、人々は新聞に掲載された「朝鮮人が井戸に毒を入れた」というデマゴーグを無批判に信じた。

その結果、武装した集団が現れ、手当たり次第に「15円50銭」という文言を人々に言わせて、

うまく発音できなかった場合「朝鮮人だ」として容赦無く殺害した。

この時に虐殺された朝鮮人は3000人とも6000人とも言われている。

政府や警察は虐殺を止めるどころか、むしろ契機として、

社会不安を煽るような社会主義者や活動家達の抹殺を企てて、社会主義者や朝鮮人を不当に検挙していった。

『金子文子と朴烈』という映画は、このような背景の中で本当にあった出来事の映画である。

この関東大震災の時から今年2023年はちょうど100年である。

我々は今、この100年を省みた自身への問いの前に立たされているのではあるまいか。

金子文子は有楽町のおでん屋で働く若い女性である。

文子はアナキスト朴烈の書いた「犬ころ」という詩集に惹かれて朴烈を訪れ、

その後アナキスト同盟として同居生活を始める。

しかし朴烈は治安警察法の予防検束として文子と共に逮捕される。

この予防検束というのは、警察による思想犯や政治犯の弾圧・粛清のための口実であった。

そして2人は皇太子暗殺を企てたとして、大逆罪に問われる。

大逆罪は死刑である。
 

実際にはテロは行われていなかったため、法務官とのやり取り次第では、

起訴されることはなかったはずなのに、

朴烈は植民地で日本に抑圧され続けた「朝鮮民族」の誇りとしてそれを受けて立つ。

文子は日本人であるからそもそも逮捕されることは無かったのだが、

自分の天皇制反対という信念のために自ら牢獄に入っていく。

2人には、自分の生命よりも大切にしたかった信念があったのだ。

2人はその信念や情熱を自分の心の内に留めておくだけでなく、

実際に公に向かって「発言」し、自ら「行動」し、その信念を貫き通した。
 

人間はなかなか臆病で、何かを発言しようとする時に

「私の立場ではこのことは言えない」

「これを発言したらどう自分は思われるか」

「発言してしまったら人間関係が変わってしまうのではないか」などと言って

本当に自分が考えていることは他人には言えないことが多いのではないか。

職業的立場や世の論調に押されて、意識的、また無意識的にも自分の言葉を言えない状態に陥る。

そうなってしまうと、自分というものは自分のものであったはずなのに、

自分とは違う何者かに自分自身が支配されている状態となってしまう。

自分自身の尊厳を失う。

しかしながら、人間は、公共空間に生きる理性的存在者である以上、

言葉で自分を表現し、表明し、対話しながら生きるべきではないだろうか。

他者と折衝や意見のやり取りをしながら、

じりじりと相手をどう受け入れてどう理解するかということの可能性を求め続ける。

その言論という相互交渉の過程の中で発見と新たな価値が創造される。

諦めずにそのような態度を持つ人間が世界市民としての人間存在だと考える。

文子と朴烈は、その意味で世界市民としての人間存在であったと言える。

この2人は、本当の意味で真の自由であったのではないか。

2人は、自分自身の思考つまり理性を、何事にも捉われることなく自らの言葉で表現し、行動している。

2人の言葉のひとつひとつに、魂が乗っている。
 

文子の言葉に次の言葉がある。
「生きるとはただ動くということだけではない。

私の意思で動いた時、死に向かうものに動いたとしてもそれは生の否定ではない。肯定である。

彼と闘った三年こそ私は私自身を生きた」
 

そしてわたしは自問自答する。

わたしは如此生きているか。

いつもどこかに妥協や甘えがあるのではないか。

「どうせ言ってもわからない」と対話の諦めをどこかでしているのではないか。

そもそも自分には信念はあるか。

こうして「わたし」というものの輪郭を探ろうとする時、

自分自身を構成するものを一つ一つ吟味しようとすると、

自分が自ら創り上げているものが如何に無いかということに気が付くのである。

わたしの思想はどこかで見知りしたものから得て、

どこかの誰かが言っているものから取捨選択されたもので、

わたしというものはいつの間にかそれらがモザイク状になって構成された複合体であるのだ

ということに気が付くのである。

如何にわたしが自分の意見らしきものを言おうとしても、

それは本当に全て自分が編み出した意見なのかどうかは分からない。

一体その意見はどこからきたのかという出所を全て明らかにすることはできず、

この現実に対峙しようとした瞬間、たちまちに自我を喪失する気分に陥る。

逆にいうと、この自我の喪失を恐れているからこそ、

自分は他の誰とも違う、確固たる自分として自慢げに存在できているのかもしれない。

あるいは、この自分の意見とは誰によるものでもない自分ただ一人のものだ、

という自信満々の疑わない思想を抱くことができるのかもしれない。

それが幻想とは気が付かずに。
 

しかし自分と他者との境界線が分からなくなってしまうことへの不安もあったとしても、

生きるにはなんとかその意見らしきものを出していかなければならないのである。

その時に必要なものが、自分と他者の境界線は曖昧だということの気付きではないか。

このことに気が付かないと、世の中に蔓延るなんらかの情報に触れ得た時、

意図せずとも良くも悪くもそれはいつしか自分の考えの一部となってしまう。

自分を構成しているものは自分が接する情報群なのだ、と自覚して初めて、

冷静に、客観的に自分自身の思想を見つめることができるのではないか。

世の中では様々な情報やデマゴーグが飛び交う。

現象が人間の目により観察され分析されて評価されて伝達される以上は、

情報の確らしさは元より、自分自身がモザイク複合体であることへの自覚を決して忘れてはいけないだろう。

その上で、その一つ一つの自分自身を分解し一つ一つを省察していくことで、

自らを成すものが自ずと見えてくるのである。

その時に最後に残るものが自分自身の「現れ」であり、自分自身の「生」ではないか。

我々は自分の「生」を生きているだろうか。

#16
#17

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#17 トガルために『新版國語元年』を読もう

 

若林佐恵里

 

人はなぜ本を読むのかといえば、ある意味でトガルためなんだと思う。

わたしvここでいう、「トガル」っていうのは、

突き抜けるとか、成長するとか、ちょっと普通ではなくなるとかそんな意味だ。

つまり今の自分とはちょっと違う自分になるためなんじゃないだろうか。

だとしたら、『新版國語元年』は、けっこう「トガ」りたい人にはおすすめの戯曲だ。

幕末の歴史や日本の方言の勉強にもなるし、何よりコメディでおもしろいし、

ところどころ泣けたりもする。

戯曲だからみんなで読んでも楽しい。味わえる要素が多いのだ。

実際にわたしは個人的に主宰している読書会でこの本をみんなで読んでから

この作品が忘れられない一冊になった。

 

その理由について語る前に、この物語について簡単に説明したい。

時は明治七年、舞台は東京麹町のお屋敷だ。

この家の主人がこの物語の主人公で長州出身の政府のお偉いさん、南郷誠之輔である。

その妻は薩摩からきた光(みつ)さんだ。

この家には江戸時代は旗本の娘だった女中頭の加津や米沢から出稼ぎに来た見習い女中、

素性の知れない自称元公家、

名古屋出身の車夫など様々なお国言葉を話す人々が一緒に暮らしていた。

だから、お互いに意思疎通できないことはいつものことだった。

そんなある日、誠之輔は政府から「全国話し言葉統一」を命じられる。

このお役目のために、誠之輔とその家に住む人々は自らの言葉について考え始める……

というストーリーである。

 

忘れられなくなるほどのポイントは三つある。

一つは、政治的な立場はあっという間に入れ替わるということ、

二つ目は言葉には政治的な力が加わるということ、

最後は最後に全国で話し言葉を統一するというのはどういうことかということだ。

ひとつひとつみていこう。

 

明治維新により、賊軍の汚名を着せられてしまったのが会津の人々なのだが、

この物語には若林虎三郎という元会津藩士が登場する。

泥棒になって誠之輔宅に忍び込み、

家の人々にみつかりながらもなんとか十円を得て逃げ帰るのであるが、

あろうことか、そのお金と手紙を落としてしまう。

それを見つけた女中頭の加津が手紙を読むと、

青森県斗南で貧しさに喘いでいる元会津藩士にお金を送ろうとしたことがわかった。

加津は涙が止まらない。

なぜなら、加津は旗本の娘で実は誠之輔の家は、加津の元々の家であったからだ。

このように、明治維新によって立場がひっくり返ってしまった人たちに悲哀を丁寧に描いている。

勝者と敗者、支配と被支配は表裏一体なのだ。

 

「全国話し言葉統一」について、

それぞれのお国言葉をミックスしたものを作ればいいのではないかと誠之輔は思いつく。

しかし上司に「賊軍の言葉は使ってはいけない」と言われ、それに従ってしまう。

傷つき家を出ていく虎三郎。そこで一つの疑問がみんなの心に浮かぶ。

「たとえば、ニシンという魚は賊軍の松前藩でしか取れない魚で、ニシンも松前の言葉だ。

このような場合、どうするのか?」

この問いについてみんなで話し合うところが、興味深い。

言葉は文化や生活と密着しているということがわかるからだ。

つまり、ある言葉を禁じるということは、

その言葉を使う人の生活や文化を奪うことにもつながるということなのだ。

しかも、登場人物たちは、そんな大切な言葉をお金で売り飛ばそうとまでしてしまうのだ。

言葉や生活は空気のように当たり前にあるものだから、大切さを実感できない。

 

「全国統一話し言葉」を制定することは支配者を利することだ。

国民を管理するためにしていることだ。

でも、その本音は隠される。

「あなたのためだから」と言われてしまうのだ。

だから誠之輔は虎三郎にこんなことを言う。

 

「日本人は一人残らずお国訛りチュー厄介千万なものを背負うて生きちょる。

(中略)言葉チューものは人間が一生使い続けにゃならん大事な道具でノンタ。

そりゃ少しは面倒でも、時にゃ手間暇かけてピーカピーカに磨き上げるチューのも大事ジャノー。

なによりもアンサマの会津訛りでは「仕事」はうまく行きませんから、始末におえないでショーガ」

 

あなたの言葉ではこの世界では活躍できない。

こんなに悲しいことがあるだろうかと思うが、

それが明治を生きる人々の現実である、今を生きる私たちの現実でもある。

 

ちなみに、この物語には太吉という登場人物もいる。

彼はなんと2歳の時に黒船に捨てられて、アメリカで育ち、数年前に帰国した

とても無口な二十歳前後の青年である。

時々言葉を発する時もあるが、そんな時は英語だ。

そして、賊軍訛りとともに、外国訛りも全国統一話し言葉には加えてもらえないのだ。

 

言葉についてとことん考えぬいてきた著者、井上ひさしだからこそ書ける、

言葉についてじっくり考えさせられ、向き合わされる物語『新版國語元年』。

この本を読むと、トガルということは、自分が成長するということでもあるけれど、

誰かの痛みを知るということでもあるように思うのである。

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補遺

#18

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#18 「知ることで遊ぶゲーム(knowing game)」を超えて、言葉と出会う
―辞書ゲーム「図書館たほいや」―

 

石田喜美

 

わたしがはじめて、「図書館たほいや」というゲームと出会ったのは、2018年秋のことです。

このゲームの存在を知り、それに魅了されたわたしは、

2019年春から、「図書館たほいや普及委員会」のメンバーとして活動を続けています。

 

「図書館たほいや」は、当時、日本大学芸術学部に所属していたひとりの学生の手によって

生み出されました。 

もともとこのゲームは、「クロスワードパズル」や「しりとり」のような、

誰が生み出したともいえないゲームであったようです。

英語圏で、 “Dictionary”あるいは“Fictionary”と呼ばれ

親しまれていたこのゲームは(“Fictionary”-Wikipedia)、

1993年に、フジテレビ系列のバラエティ番組「たほいや」で取り上げられることで

フジテレビ〈たほいや〉編(1993)『たほいや』扶桑社)、

日本でも人気を博し、広くプレイされるようになりました。

この番組の影響が大きかったためか、日本では、「辞書ゲーム」といえば「たほいや」、

すなわち、岩波書店『広辞苑』を用いて遊ぶスタイルの“Dictionary/Fictionary”を

イメージする人が多いようです。

 

この流れのなかで「図書館たほいや」を位置付けるとすれば、次のように言えるかもしれません。
「図書館たほいや」は、”Dictionary””Fictionary”の「亜種」として発展してきた「たほいや」を、

もう一度、多種多様で個性的な辞書・事典の世界へとひらいていったゲームだ、と

 

しかし単に、「どんな辞書・事典でも使用可」とするだけのゲームであれば、

これまで行われてきた「たほいや」とそれほど大きく変わるところはありません。
「図書館たほいや」の魅力は、単に「どんな辞書・事典でも使用可」とするのではなく、

むしろ、より積極的に、図書館に所蔵されている、個性的な辞書・事典を使用することを、

ゲームルールのなかに導入した点にあります。

 

これによって起きた、重要な出来事のひとつは、『広辞苑』の権威の解体であり、

それを筆頭としたさまざまな辞書・事典の権威の解体でした。

 

これまで、「たほいや」をプレイしてきた人たちは、おそらく、『広辞苑』に記載されている語釈を、

シンプルに「事実」としてみなす傾向にあったのではないかと思います。

「たほいや」のルール説明においては、しばしば、「本当の意味を当てる」という言い方がなされますが、

これが象徴するように、『広辞苑』をはじめとした辞書・事典に記載されている内容は「本当」のこと、

すなわち、「事実」として捉えられているのです。
これに対して、「図書館たほいや」では、「本当の意味」よりも、

むしろ、個性あふれる辞書・事典のなかでの独特な「書きぶり」に焦点が当たります。

 

たとえば、「図書館たほいや」をプレイしていると、出題語の選ばれ方に、

「たほいや」とは異なる、独特の傾向があることに気づきます。
はじめのうちは、誰も知らないような語(例:「たほいや」)が出題語として選ばれることが多いのですが、

プレイヤーがプレイに慣れてくるうちに、あえて、他のプレイヤーがすでに意味を知っている語

(例:「パンケーキ」「自転車」)が出題されることがあるのです。
つまり、すでに意味を知っている語について、「その辞書ではどのように書かれていそうか」を推測し、

「いかにその辞書・事典っぽく、書くか」を競うのです。
このようなプレイがあまりに一般的になってきたため、いつの間にか、暗黙のルールとして、

「『親』は、出題する辞書・事典の任意のページを開き、

その辞書・事典の語釈の書き方をプレイヤーに開示する」というルールが加わっていきました。

 

このようなかたちで、年月をかけて「図書館たほいや」のプレイと関わっているうちに、

自分が、いつの間にか、(『広辞苑』を含む)辞書・事典に書かれていることを「事実」とみなす風潮から、

遠く離れた世界に、来ていることに、ふと気づく瞬間がありました。
それは、わたしにとって、長い歴史のなかで、

ある意味、凝り固まってしまった意味をもつ語との関わり方が変化したことに気づく瞬間でもありました。

 

たとえば、最近は、こんな出来事がありました。

2024年初夏に行われた、高校生たちとの「図書館たほいや」プレイ会でのことです。

ある高校生たちのグループが、

日本語オノマトペ辞典 : 擬音語・擬態語4500』(小野正弘編, 2007, 小学館)から

「ぴかどん(ピカドン)」という語を出題していました。

「オノマトペ(擬音語・擬態語)」のひとつとして「ぴかどん(ピカドン)」が収録されている

という事実も興味深いですが、それ以上に、高校生たちがこの語を、

自分たちにとって未知な語であるという理由で出題していることにも、新鮮な驚きを覚えました。

そして、高校生たちのプレイを見守る、他の大人たちにもその思いは共有されているようでした。

 

「ピカドン」を、高校生たちが知らない、ということ。
そのことを、シンプルに、新鮮な驚きとして、受け止めることができている自分がいました。
また、そこにいる大人たちも、「そんなことを、知らないのか」と怒ったり、

「知らない」という事実に絶望したりする様子はまったくなく、

単純に、新鮮な驚きとして、そこで起きている出来事を受け止めています。

 

「知らない」ということ。

そのことをその場にいる人々が興味深く受け止め、いま・ここから、その言葉の意味をともに考えていこう、

意味を生み出していこうとする、その場がそこにあったのだと思います。

このことが、とてもかけがえのないことのように、わたしには思えました。
わたしたちは、言葉と遊ぶなかで、過去から続いてきた言葉と出会いなおすことができるのでしょう。
そして、「知らない」ということと、新鮮な気持ちで向き合いなおし、

そこからともに意味を創りあげていくことができるのではないでしょうか。

クイズのように「知っている」ことを遊ぶのではなく、

「知らない」ことを遊ぶ「図書館たほいや」が生み出す、言葉との出会い方。

その可能性のすべてに、わたしは出会ったわけではありません。
これからも「図書館たほいや」と遊びながら、プレイヤーとともに、未知なる可能性と出会える瞬間を、

いつかいつかと待ちながら、このゲームと関わり続けていきたいと思います。

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#19

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#19 「My Small Land」が問いかける日本社会の未来
―難民問題と多文化共生を考える―

 

今井新悟

 

1. はじめに
 

私が川和田恵真監督の映画「My Small Land」(2022)に出会ったのは偶然だった。

今から約半年前、都内で知人と会う約束をした。

4年ほど引きこもっていた私にとって電車に乗るのも久しぶりのことだった。

午後からの約束だったが、どことなく不安で、午前中から出かけることにした。

東京駅内で乗り換えに戸惑ったり、降車駅を間違えたりしたが、なんとか目的の駅に着いた。

まだ、約束の時間までだいぶ間があったので、駅からぶらぶら歩き出すと、

国際交流フェスティバルの宣伝ポスターが目に入った。

コミュニティセンターみたいなところで行われている催しだった。

わずかな展示といくつかの物販。これでは時間潰しにもならないかと思ったが、

映画観賞会というのもあった。

映画の後にトークショーもあるようだ。そのままホールに入った。

観客はまばらだった。

かくして、何の予備知識も持たず、期待もせず、この映画に邂逅することになった

 

2.あらすじと背景
 

主人公はクルド人の女子高生。

あらすじはWikipediaに適当なのがあるから、安直ながら、引用させてもらおう。

 

サーリャは17歳の高校生。

生まれた地を逃れて家族と共に来日し、幼い頃から日本で育ったクルド人である。

母は数年前に亡くなり、今は父・マズルム、妹のアーリン、弟のロビンの四人暮らし。

家庭ではクルド文化が強く、クルド人のコミュニティの中で生活していた。

そんなサーリャだったが、学校では普通の高校生として日本人の親友にも恵まれ、

「日本人らしい」生活を送っていた。

日本の小学校の先生になりたいという夢もある。

大学進学の資金を貯めるため、父に内緒でコンビニでバイトを始めるサーリャ。

そこで同じ高校生の聡太と出会い,仲を深めていく二人。

しかしある日、サーリャの一家の難民申請が不認定となり、在留資格を失ってしまう。

就労さえ禁じられたが、生きる為に働いた父は逮捕されて入管に収容された。

アパートに子供だけで取り残されるサーリャたち。

不法就労でバイトをクビになり、聡太の親族から交際も止められるサーリャ。

ビザが無いゆえに志望大学の推薦入学も断られ、家賃滞納でアパートからも退去通告を受けた。

切羽詰まってデートのみのパパ活を試みるも、キスを迫られて逃げ出すサーリャ。

夜分にサーリャのアパートを訪ね、優しく励ます聡太。

泣き崩れそうになるサーリャだが、幼い弟のロビンが帰宅していないことに気づき、探し回る一同。

ロビンは寂しさでボンヤリしただけだったが、ロビンのために日帰り旅行を決行するサーリャ。

入管から出られず、どこにも居場所を失って帰国を決意する父マズルム。

反政府デモへの参加で逮捕歴のある彼は、帰国すれば逮捕される身だった。

しかし、親が日本を出れば、残るサーリャたち子供にはビザが下りる可能性があったのだ。

朝…絶望の中に光を見出そうとするサーリャの強い眼差しで物語は終わった。

Wikipediaには監督や製作の背景についても書かれている。

 

監督の川和田恵真が本作の企画を考え始めたのは2015年頃。

ISISに立ち向かう若いクルド人女性兵士を見てクルド人に興味を持ち、在日クルド人問題を知る。

2017年から映画の企画を立ち上げ、在日クルド人への取材を開始。

取材は2年に及んだ。

本作は是枝裕和が率い、西川美和らが所属する映像制作者集団「分福」の企画会議から始まっており、

是枝裕和の応援もあって実現した。

はじめは在日クルド人に実際に出演してもらうことを考えたが、彼らの立場を危うくするため、断念。

劇中の料理は協力を望んだ彼らの作ったものである。

3.仮面生活

サーリャの父親は仮放免中である。

仮放免とは「収容令書又は退去強制令書の発付を受けて収容されている被収容者について、

健康上、人道上その他これらに準ずる理由により収容を一時的に解除することが相当と認められるときに、

収容を一時的に解除する制度です。」(法務省出入国在留管理庁HP:仮放免制度について

仮放免中は「仮放免者は就労することが認められておらず、生きていくための収入を得ることができない。

国民健康保険に加入できず全額自己負担以上で医療機関に受診しなければならない。」

北関東医療相談会他2023:5

収入がゼロでは生きては行けないはずだが、一家4人は毎日、一見、普通の生活を送っている。

衣食住を賄う金はどこから来るのか。違法就労である。

クルド人の集住地区である埼玉県蕨市・川口市には解体業を営む合法的に滞在・就労ができる親方が多い。

口コミで「不法に」職を得るのが定石だ。

この実態を入管が知らない訳はなく、目を瞑っているわけだ。

目を時々開けることもあるので、不安は消えない。

見つかれば、即強制送還ということもありうる。その実例はある。

まったくもって、入管のさじ加減という訳だ。では、なぜ、入管は目を瞑るのか。

想像してみてほしい。もし、クルド人の解体業への不法就労がなかったらどうなるか。

首都圏では建設工事がストップしてしまうだろう。

古い建物を取り壊さないと新しい建物は建てられない。

そして、解体業はいわゆる3Kの最たるもので、日本人には敬遠されるようになって久しい。

クルド人頼みなのだから、入管もむやみに摘発はできないのだ。大人の事情というところか。

しかし、入管は気まぐれでもある。

ある日突然現場に現れて、不法就労であることを告げ、そのまま収容(収監ではなく、収容)したり、

強制送還に踏み切ったりすることに論理性は見いだせない。

みせしめ、いじめ、圧力、、、何が理由かはわからない。

摘発するのに、理由を明らかにする義務などないから。

 

父親の稼ぎで子どもたちは学校に通う。サーリャも日本の普通の高校生そのものだ。

ただ、少々ガリ勉タイプではある。

 

しかし、その「普通」の下には、常に緊張と不安が潜んでいる。

普通の高校生にありがちなアルバイトを彼女もしている。

しかし、彼女がアルバイトをする理由は、新しいスマホを買うためではない。

家計を支え、大学で必要となるお金を貯めるためだ。

そして、修学旅行や校外学習は多くの生徒にとっては楽しい行事だろう。

しかし、サーリャにとっては、自分の法的地位が露呈するリスクを伴う緊張の瞬間かもしれない。

仮放免中は親子ともに県境をまたいでの移動は禁止されているのだ。

 

彼女がガリ勉なのにも理由がある。大学に進学したいのだ。

家計を考えれば、贅沢な夢ではある。

実はサーリャが小学生のとき、まだ、来日して間もなく、

学校にも馴染めていなかった彼女の心の支えとなってくれたのは、担任の先生だった。

そういう先生にあこがれて、教員になりたいと思った。

教員は高卒ではなれない。どうしても大学に行かなくてはならない。

ならばと考えたのが、授業料免除の特待生を目指したのだ。

彼女は成績優秀で、担任も推薦にお墨付きを与えていた。

そんなころ、彼女には、普通の女子高生らしく、ボーイフレンドができる。

勉強とアルバイトの生活に、新たな風が吹き、生活に彩を添えていった。

最初はすべてを秘密にしていたサーリャもだんだん心を開いていき、

自分がクルドであること、それが今の日本でどういう意味を持つのかを徐々に開示していった。

 

4.仮面生活の終焉


そんなとき、事件が起きる。父親が仕事場から入管に連行され、収容されてしまったのだ。

普通の仮面がはぎとられてしまった。

仮放免というモラトリアムが消失し、唯一の収入源となった、アルバイトも失った。

不法で雇用していることが明るみに出ることを店長が恐れたのだ。

滞在許可がなければ、大学入試の受験はできるが、入学はできないということが明らかとなり、

担任は彼女の推薦を見送って、早々と他の生徒へ推薦入学を勧めるのだった。

 

収容は1週間、2週間、1か月と続く。いつまで続くかは不明だ。1年なのか、2年なのか。。。

家賃の滞納も続き、大家には立ち退きを迫られる。

ボーイフレンドに甘えたいが、実質的な助けにはなれない。

そして、父親は苦渋の決断をする。自ら国外退去することを決意したのだ。

その理由はサーリャたちには言わなかった。

そのため、父親と面会したサーリャは父親を自分勝手だと責めた。

弁護士との会話を通して、ふとしたきっかけで、父親の真意をサーリャは知ることになる。

父親は入管と危ない取引をしようとしていた。

自分が日本を離れることと引き換えに、

子どもたちが日本で生きていけるように滞在許可を与えてもらうというものだった。

映画の最後はこうだ。

もはや、どうしたらいいか分からなくなったサーリャは泣いている。

やがて、朝になる。

水道の水で顔を洗った彼女は上を向き、きりっと見開いたまなこには、

もはや悲しみはなく、これからの人生を力強く生きていこうという決意が現れている。

その後のトークでは、3人が登壇して、それぞれの経験と立場からクルド人のこと、

外国人として日本で生活している自分のことなどを語っていた。

映画の解説のようなこともあったが、私が強い違和感を覚えたラストシーンに、

疑問を持った人はいなかったようだ。

このラストシーンは未来への希望を象徴しているのだが、一体どこに希望があるのだろうか。

一晩泣いたら、気持ちを切り替えたということなのかもしれないが、状況は何も変わっていない。

大学への推薦入学ができなくなった今、進学も、就職もできない。

自分が一人で妹と弟を養うのだろうか。父親は帰国したらどうなるのか。

デモに参加して、逮捕され、拷問を受けたという過去からは、

帰国後の行く末は悲惨なものになることは容易に想像できる。

父親との永遠の別れも覚悟して、それも一晩で乗り越えたのか。

私には、この脚本の意図が全く分からない。

まさか、担任のように、希望を失わず、頑張れという無責任なメッセージでもないだろう。

5.過度な責任

 

主人公が家族のために担う通訳や橋渡し役の役割「言語仲介者(Language Broker)」は、

多くの移民・難民家庭の子どもたちが直面する現実だろう。

CEFR的に言えば、仲介。

しかしこれは、言語の仲介に留まらないことが問題だ。

子どもが本来は大人の役割を担うこの状況は、

家族力学を複雑にし、時に子どもに過度なストレスや責任感を与える。

主人公の場合、家族の将来を左右しかねない重要な場面で通訳をする責任は、

彼女の精神的負担を大きく増大させていたにちがいない。
この状況は、子どもの権利や健全な発達という観点から見ても問題がある。

子どもが子どもらしく過ごせる環境を保障することは、社会の責任である。

たとえその子の親が不法滞在者であっても。


6. 法的制度が生み出す人権の空白地帯

 

日本の難民認定率の低さ(約1%~5%)は、国際的に見ても際立っている。

この背景には、厳格な審査基準や、難民の定義の狭さなどがある。

さらに、認定の可否の理由がブラックボックス化していることも問題だ。

しかし、ここで考えるべきは単なる数字ではない。

各申請の背後には、サーリャのような個人の人生がかかっている。

難民認定されないことで、教育や就労の機会が奪われ、将来の展望が閉ざされてしまう。

そんな人生の岐路に立たされている人々の存在を、私たちは忘れてはいけないだろう。

難民認定制度の問題は、国際人権法の観点からも議論の余地がある。

日本も批准している「難民の地位に関する条約」は、難民の権利保護を定めている。

しかし、現状の制度がこの条約の精神を十分に反映しているとは言い難い。

 

7.悪循環


難民認定申請者への就労制限は、人道的な問題だけでなく、社会経済的な観点からも問題がある。

まず、就労できないことで経済的自立が困難になる。

公的社会保障は在留資格を取らない限り、制度上頼れない。

よって民間の支援に頼らざるを得なくなる。この現状は結果的に、社会の負担を増やすことにつながる。

また、能力があるにもかかわらず働けないことは、人材の無駄遣いとも言える。
さらに、長期間就労できないことで、スキルの習熟を妨げ、就労意欲の減退を起こす。

これは、将来的に難民の社会統合を困難にする要因となり得る。

就労制限の緩和は、難民の尊厳を守るだけでなく、社会全体にとってもプラスの効果をもたらす。

 

8.アイデンティティの揺らぎ


サーリャのアイデンティティの揺らぎは、多くの移民二世が経験する、複数の文化的背景を持つ個人が、

それらを融合させて新たなアイデンティティを形成する「ハイブリッド・アイデンティティ」の形成過程を

反映している。


サーリャの場合、日本の学校文化に適応しつつ、

家庭ではクルド文化を維持するという二重の生活を送っている。

この状況は、彼女に豊かな文化的資源を与える一方で、

「自分は何者なのか」という根源的な問いと向き合わせることにもなる。


サーリャの日本語能力の高さは印象的だが、

同時に彼女はクルド語能力も維持しているという設定になっている。

しかし、現実には多くの移民・難民の子どもたちが、母語を失っていくケースが少なくない。

これは単に言語の喪失だけでなく、文化的アイデンティティの一部を失うことにもつながる。

母語と日本語の両方を維持・発展させることは、

個人のアイデンティティ形成だけでなく、日本社会の文化的多様性を豊かにする上でも重要である。

この観点から、学校教育においても複言語・複文化教育の充実を求めたいが、

そこまで学校教育で手が回ることは当分ないだろう。

 

9.「寛容」を超えた「包摂」へ


映画に描かれる日本人の温かい支援は、確かに希望を感じさせる。

しかし、ここで立ち止まって考える必要がある。

「寛容」の姿勢だけで、真の共生社会は実現できるだろうか。

社会学者のガヤトリ・チャクラヴォルティ・スピヴァクは、

単なる「寛容」ではなく、社会構造そのものを変革する「ラディカルな受容」の必要性を説いている。

つまり、マイノリティを「受け入れてあげる」という上から目線の姿勢ではなく、

社会の一員として対等に受け入れ、共に社会を作っていく姿勢が求められている。

これは、難民や移民を「支援の対象」としてではなく、社会の構成員として捉え直すことを意味する。

CEFRのいうSocial Agentである。彼らの声に耳を傾け、意思決定プロセスに参加してもらうこと。

それが、真の意味での「包摂的な社会」につながるのではないか。

 

10. Endingが描く希望の種と現実


この映画は、現在の日本社会が抱える課題を鋭く描き出しているが、

既に述べた通り、最後には希望も示している。

「サーリャの強さ、周囲の人々の温かさ、そして異なる文化を持つ人々が理解し合おうとする姿。

これらは、私たちの社会に既に存在する希望の種である。」

というのが理想的な評になるのかもしれないがが、この希望について、私は強い違和感を抱いたのだった。

現実はそんな風には収束していない。
この映画を見る人は統計や報道では伝えきれない、難民の生きた経験と感情を、

サーリャを通じて追体験できるだろう。

この共感的な理解がすぐに問題の解決に結びつくなどという甘いことは言わないが、

「知る」ことこそが、社会変革の出発点となり得るし、それしか出発点になるものはないだろう。

毎週のようにクルド人に対して他県から越境してくる非住民によるヘイトスピーチと

それを何倍、何十倍もの人数で迎え撃つ反ヘイト側の怒号。

そんなことを何年繰り返しても、互いの理解は1ミリたりとも進むわけがない。

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#20 「書くこととやさしさ」(汐見稔幸)
―『なぜ人は書くのか』補遺―

佐藤慎司

しんちゃんがみなさんにお勧めするのは(しんちゃんってだれ?と思われる方は

同じトガルの「教師物語」にある「しんちゃんの教師物語」をお読みください!!)

東京大学出版会から茂呂雄二先生が1998年に出された『なぜ人は書くのか』という本の最後にある

短い補遺です。そのタイトルは「書くこととやさしさ」というもの。

しんちゃんがこの補遺を読んだのはもう数十年前になりますが、今でもその衝撃を覚えています。

それは、何のウォームアップもせずにプロボクシングの試合に臨みノックアウトをくらった、

そんな感じです。

 

何がそんなに衝撃的だったのか….それは一言で言ってしまうと、

その当時、(ことばの)教育は良いものだと全く信じて疑わなかったしんちゃんにとって

この補遺は(ことばの)教育の可能性がどれほどまでに深いものか、

そして、それだけでなく教育のゾーッとするまでの怖さに気付かせてくれたからです。

しんちゃんは学術書の類を読んで涙することは、それまでなかったのですが、

読みながら気づけば涙が溢れていました。

それは喜びでも怒りでも怖さでもなく、自然への畏怖にも近い、

ことばの教育への畏怖とでも言ったらよいようなものだったかもしれません。

この補遺を読むと教育者は一体どのくらい学習者のことを知っていれば良いのか、

どこまで学習者にかかわれば良いのかという根本的な問いにぶつかります。

例えば、教師は授業の内容をどの程度マスターしているかといったことだけを見て、

個人的なことにはかかわらないという考え方があります。

それも一理ありますが、授業中の態度や成績があまり芳しくなくなった時、

実はその学習者には家族の問題があったとか、パートナーとうまく行っていない、

健康上の問題があるなどとさまざまな理由が背後にある場合も多いようです。

その際に、学習者によってはそのようなことをオープンに話すことを好まない学生もいますし、

逆にそれを理由にして助けを求めてくる学生もいます。

実は、教育者は一体どこまで学習者にかかわれば良いのか、

どのくらい学習者のことを知っていれば良いのかという問いに関しては、

しんちゃんは未だ明確な答えが出ていません。

おそらくこれからも明確な回答は出ないでしょうし、出す必要もないと思っています。

相手(これまで「学習者」という言葉を使ってきていますが、

ここでなんか違うなと思うので「相手」に変えます)が人間である限り(もしかしたらAIでも!?)

相手のことを思って何かしようとするなら、相手のことを少しでも知ろうとするでしょう。

そして、そのことによって相手は心を開いてくれ、相手とより良い関係が築けるようになるかもしれません。しかし、相手が学習者である場合、授業が終わってしまえば

その関係性は無くなってしまう場合がほとんどです。

そんな関係性の中で私たちはどれほど彼らの人生に責任を持てるのでしょうか。

責任が持てないからかかわらないという考え方もわかります。

しかし、教師の仕事は知識の伝授なのでしょうか?

もし教師の仕事の一つに学習者の成長を助ける、あるいは、見守るというものが入っているとするなら、

それは何のどの部分の成長を助ける、見守ることなのでしょうか?

彼らの「ことば」の成長は人として成長の一部分であるわけで、

個別のさまざまな分野(例えば、日本語、英語などの科目だけでなく、

一人暮らしを始めて一人で生活していく、大学のレポートの書き方を習うなど

さまざまな「パーツ?」)の成長があるでしょう。

でも、その個別の成長を足せばその人全体の成長が掴めるのでしょうか。

個別の要素はお互いに絡み合ってもいて、パーツを全部足したからと言って

必ずしもそれが全体となるわけではありません。

そもそも何が成長で、何が成長でないのか、

何がどうなったら成長と言えるのかなどこの問いはとめどもなく深くなっていきます。

この汐見先生の補遺を読むと、このような答えの出ない大切な問いが頭をぐるぐると駆け巡ります。

 

実はこの原稿を書き始めた時、

しんちゃんはどうやってこの汐見先生の補遺をお勧めしていこうかあまり考えていませんでした。

しかし、とりあえずこの補遺に向き合おうと思い書き始め、

このようなアイディアが浮かび上がってきたのです。

今のしんちゃんのことばの教育へのスタンスは、この原稿の書き方と似ています。

目の前の相手にまず向き合う。

そして、教育には素晴らしい可能性があることを常に思い出し、

同時に医者が患者を死なせてしまうほどの怖さもあるということを肝に銘じ、

あとは相手と自分を信じて自分が良かれと思うことをしていくしかない(そしてそれを怖がりすぎない)。

なぜなら、相手も自分も二人と同じ人はいない

(そして、その自分もまた変わり、自分の中にも複数の自分が存在するような)

唯一無二のユニークな存在なのですから….

(編集後記)
この補遺を読んだ後に、東京で汐見先生のご講演を聞く機会がありました。

その時に汐見先生がおっしゃっていた一言で印象に残っているものがあります。

それは、高度成長期の日本のスローガンについてでした。

汐見先生は「飛び出すな車は急に止まれない」というスローガンはそもそも経済中心の考え方で、

本来は「飛び出すな子どもは急に止まれない」でないとおかしいとおっしゃっていました。

この補遺を読んだ後だったので、またさらに汐見先生のお言葉が心に沁みました。

#20

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#21 もし、小さな日本語教室の日本語教師が
「もし高校野球の女子マネージャーが
ドラッカーの『マネジメント』を読んだら」を読んだら

Izumi Massa

イタリアの小都市で日本語教室を運営しています。

日本語教室を始めて4年ほど経った頃に出会ったのがこの本でした。

教室と並行して、日本文化に触れてもらおうと、

生徒や地元の方々を対象にお茶会や琴の演奏会、

書道体験などの小さな催し物を不定期に開いていたのですが、

日本ブームの影響もあって各地で大小さまざまなイベントが増え、

いろいろなところから声がかかることも多くなりました。

「日本文化を知ってもらういい機会だし、日本語教室の宣伝にもなるかも。」

と引き受けていくうちに、次第にそちらへの労力が増していきました。

「これが本当に自分のやりたいことなのか?」という漠然とした疑問を感じながらも、

こうした活動がビジネスにつながる可能性に引き込まれそうになり、

流されていた自分の心の中を見直す、よいきっかけとなりました。

 

この本ではドラッカーの「マネジメント」を野球部のマネージャーが読みながら、

野球部が目指すものは何か、ということを分析していくのですが、

"あらゆる組織において、共通のものの見方、理解、方向づけ、努力を実現するには

「われわれの事業は何か。なんであるべきか」と定義することが不可欠である。"

 

というドラッカーの言葉がこの本のテーマを象徴していると思います。

 

「私の日本語教室はどういうもので何をするべきなのか」

ということを考え直すいいきっかけとなりました。

単純に「日本語を学びたい人に日本語を教えるところ」なんでしょ、

と思った方には、ぜひこの本を読んでいただきたいです。

 

そして、最近、数年ぶりに再読してみると、以前とはまた違った気づきをえました。

 

前回は、どんな顧客(私の場合、日本語を学びに来る人)を相手にしていて、

その人たちは何を求めているのか、そのために私ができることは何か、

という「学びの目的」のようなものに焦点を当てていましたが、

今回読み直して関心を持ったのは、

 

"マネジメントは生産的な仕事を通じて、働く人たちに成果を上げさせなければならない。"

 

というところでした。これは、私の全く勝手な解釈ですが、

「働く人」を「学習者」と捉えて読んでいくと、

どのように学習者に「働きがい(学習する意欲)」、

つまりは学びに主体的に取り組む自律学習をうながすことができるか、というヒントがありました。

 

"働きがいを与えるには、仕事そのものに責任を持たせなければならない。

そのためには①生産的な仕事、②フィードバック情報、③継続学習が不可欠である。"

 

趣味で日本語を習う人を対象にしているので、ゆるい感じで、

「課題は締め切りまでにできなくても大丈夫。」

「宿題が気に入らなかったら他の方法で学習すればいいですよ。」などと

自由に学習者の意思を尊重してすすめてもらえばいい、と言い続けてきた私ですが、

自分から積極的に学びができる人は、実際のところ本当に少数派です。

「自由」が時には「無責任」になっていたかもしれない、と反省しました。

 

そこで出てくる「専門家」の存在。

実際の企業では「専門家」と「マネージャー」は別の存在なのですが、

専門家は「自らの知識と能力を全体の成果に結びつけること」なのであれば、

私は「専門家」の役割も担わなければいけないのではないか。

"専門家(=教師)のアウトプット(知識)を使うべき者(=学習者)が、彼らのいうこと、

行おうとしていることを理解しなければならない。"

まさに、教師が伝えようとしていること(学習内容、学習方法などに関する知識)が学習者にしっかり伝わっていなければ、教師の知識はないも同然です。

 

"マネジメントとは、人の強みを発揮させることである。人は弱い。悲しいほどに弱い。

問題を起こす。手続きや雑事を必要とする。"

まさに、学習者のことではないでしょうか。

それでも、強みを見つけてそれを「生産に結びつけ」ていくのが、

教師の手腕ではないかと思いました。

 

"部員たちが練習をサボっていたのは『消費者運動』だったんだ。

彼らは、練習をサボるーーつまりボイコットすることによって、内容の改善を求めていたのだ。"

という文章を読んだ時には、宿題をやらない学習者を「やりたくなければやらなくて大丈夫」

という言葉で自分を納得させていた自分が恥ずかしくなりました。

結局は”思わず参加したくなるような、

魅力的な練習メニューを作”ることを私自身がさぼっていただけなのだと。

 

この本は「マネジメント」に焦点を当てていますが、ビジネス書というジャンルを飛び越え、

ストーリーの中でドラッカーの「マネジメント」のキーセンテンスに光を当て、

仕事や生活の中で立ち返るべき問いがたくさん入っています

時を経て読むことで、新たな視点や気づきを与えてくれる本書は、

私にとって「本質を思い出す」ための大切なガイドです。

ドラッカーの「マネジメント」はちょっと難しそうで手が出ないと感じる方にも、

ぜひおすすめしたいです。

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