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第1回:ダバオ移住編-1

 

しばらく会っていなかった妹が電話をかけてきて、

フィリピンのダバオっていう街に住んでるんだけど

最近ちょっと寂しくなってきたからお兄ちゃんもフィリピンに住んでみない?
という主旨のことを私に言った。

 

通常このような無計画な提案に乗る人間など皆無だろうが、
当時の私はそれ以上に無計画無秩序な生活をしており、
妹もそれを分かっていて電話をかけてきていたので話がポジティブに進んでしまう。
さらに妹が海外で生活をしているという状況にアニキが遅れを取るわけにはいかんとかそういう感情があったし、
「石橋は叩かず川にダイブ」みたいなのがイケていると思っていた時期だったので、
おお、面白そうじゃん、行きまーすと即答してしまった。

そのころ私は、アメリカとか、カナダとか、オーストラリアとかの国で、
例の悪名高き「ワアキングホリディ」とかいうやつをしてみようかとぼんやりしながら、
日本国内でアルバイトに精を出していた。

ワアホリに行くことと日本でアルバイトに精を出すこととはまったく無関係なのであるが、
当時の私ときたら、金が100万くらいあればワアホリに行けるらしい、
という誰かから聞いたことを盲信し、具体的なことを一切調べもせずに、
クレジットカードの営業マンになってみたり、引越し屋になってみたり、
タンク内の掃除をしたりとひたすらアルバイトを続けるという恐ろしい無計画ぶりであった。

ワアホリに行ってみたいなと思っていたのはもちろん、
なんとなく英語を使いながら外国で働くってかっくいいよね、的な感覚に、
もう日本の閉塞感の中でだらだらしててもしょうがないというネガティブな感覚もあったので、
妹の「フィリピンも英語圏だよん、ビーチもきれいだよん」

の一言に完全に絆されてしまったというわけである。

さてさて、そもそも何でワアホリに行きたいなと思っていたのかと言うと、
私が大学を卒業する前からロックバンドをつくって「ミュージシャンとして生きていきます」と、
ろくにギターも弾けないくせにみんなに公言していたことが関係している。
そんなロクでもない学生生活を送っていると、
普通にみんなが就職活動をしていいるときに頑張って自宅でギターの基礎練習をしなければならなくなる。

そして周りの友人のほとんどが内定をもらい終わった頃に、
就活マガジンの職業適性診断を見ながら、
俺って実は経営コンサルタントに向いているんだよねーとか言いながら詩を書いたり曲を作ったりすることになった。
なのでそもそも就職などできるわけがないのだ。

ところが大学を出て3年くらいでバンドが解散する羽目になり、何もやることがなくなってしまった。
それならばそろそろ自分を見つめなおして足元を固めて生きていこうと考えるのが普通なのであるが、
私は、日本ってそもそも俺には舞台が小さすぎるんだよね、とか、
中学のときに英語の成績が良かったし、俺には英語圏が向いているはず、
とかいう不真面目な気分で生きていたため、日本で就職しようという気には毛頭ならなかった。

 

そんな経緯で2001年10月に、私はフィリピンダバオ市に移住することになった。
そして、ロックバンドをやっていたことが、後の私を日本語教育へと導くことになるのであるが、
そのときの私には知る由もなかった。

​三宅一道​(ダバオ在住)

つづく

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