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New Face of Japan

インタビュー記事

アイデンティティについて

あんなさん(Part1/3)

2023年6月号

New Face of Japanは、多様でインクルーシブな日本社会の発展を目指して活動しています。多様なルーツを持つ方々にインタビューを行い、その声をイラストやインタビュー記事を通して発信しています。

Project Director: Richa Ohri (千葉大学)
Project Manager: Ryota Takahashi, Nanami Goto

今回のインタビュイーは、日本とアメリカのミックスで、TwitterやInstagramで女性蔑視や人種差別に対して批判を投げかけ続けているあんなさん。このインタビューでは、彼女が今までたどってきたルーツ、そして今の世の中に思うことを語っていただきました。

 

インタビュアー:ななみ、あおい

ななみ:        あんなさんはいろいろな国にルーツを持っていらっしゃると思いますが、どこに一番自分のア

イデンティティがあると感じますか?

あんなさん:  この質問は私の人生においてすごく答えが流動的で、やっぱり近年変わりつつあるというもの

なんですけど…幼い頃アメリカで生まれはしたけれど、育ったのは日本で、実生活は日本でしか経験したことがなく、かつ、幼い頃は外国人の父親と全く関係がなかったんです。

家族も、学校や他のコミュニティにも、周りには日本人しかいないというような環境で育ちました。なので私ももちろん外国人というアイデンティティは全くなく、その状態で英語が喋れないままアメリカに行ったので、アメリカではもちろん最初は外国人扱いを受けました。そこでさらに自分はアメリカ人じゃないなとか、このコミュニティの中には属していないなと感じていたのが10代前の話です。

 

今27歳なんですけど、大学を出て院に進んで、自分もアイデンティティの研究をしていくにつれて、人のアイデンティティは多角的で一つではないというところが最近感じる点ですね。

 

コロナを機に、私は去年ずっとイギリスに留学してたんですけど、ほとんど地元のテキサスに帰っていなかったんですね。つい最近の11月、12月にアメリカに帰る機会がありまして、その時にいろんな土地だったり食べ物だったりを懐かしんでいる自分がいました。今まで外に出ていて気づかないレベルで、自分が経験してきたものがいかに育ってきた土地と繋がっていたかを感じることがあって…そこでやっぱり、自分のアイデンティティとしてアメリカ人ではなくても、アメリカ的要素はあるなというのが今の感じですね。

 

なので主たるアイデンティティというのは、自分としては日本人だと言いたいんですけど、やはり年を重ねれば重ねるほど、アイデンティティというものが一面的ではなくて、すごく複雑なものなんだなと自覚しました。複数ある自分のアイデンティティを今まで否定してきたんですけど、日本の社会に受け入れられたい自分は日本人だし、日本語を喋るし、日本食大好きだし、みたいな。でもだんだんと、それがすごく自分自身を苦しめることにもなって。自分の他の部分を自分で否定していてすごく苦しかったんですけれど、今は「私は何人です。」という一言に収まらない自分でもいいんだという納得ができてきている、という感じです。

ななみ:    一つに決め切らなくていいんだなと思えるようになった経緯なども、これから聞かせていただ

けたらなと思います。

あんなさん:  ​常にだと思います。どこに行っても外国人というか。

私の場合、父親はいわゆる白人にあたるんですが、私は見ての通りあまり白人ぽくないというか。割と海外に行くと南米の方に間違われることが多いんですが、特に南米にルーツを持っている訳ではなかったり。

 

日本にいると、最近でこそいわゆるミックスルーツという方が増えてきたんですけど、私が幼い頃は本当に「テレビの中の存在」というか、ベッキーちゃんとウエンツ君しかいなかった時代だったので、やっぱり街を歩いていると知らない人に声をかけられたり、小学校の頃はいじめっぽいこともありました。

大学に入ると悪意のある差別は少ないにせよ、いわゆるマクロアグレッションですよね、「日本食好きなの?」とか、「お箸持ててすごいね」とか、「日本語上手だね」とかは日常茶飯事。それが積もりに積もって、あるとき自己紹介カードというのを作りまして、あのアカウントがジェンダー的な怒りの爆発だったんだとしたら、あれはアイデンティティ的な怒りの爆発の矛先だったと思うんです。「何語喋れるの?」とかは、友達だけじゃなくてスーパーのレジ打ちの人にも聞かれるくらい日常茶飯事で、それを聞かれるたびに相手に悪意がないことはわかりつつ、自分がother(他人)、彼らのweではなくthemのほうに入っていることを毎回感じさせられました。

 

当時はマイクロアグレッションについてそこまで詳しくなかったんですけど、今は本を読んだりして、あああれはマイクロアグレッションだったんだなという気づきに繋がり、よくそれに対する反論である「でもそれは相手に悪気はないから」ということの罪深さを感じます。外に出ると必ずそういう質問をされて、そのたびに、その人の目からは私とあなたは違うという風に見られているんだなと感じます。

 

ななみ:   「悪気はないから」と言われるのは、なんの救いにもならないと私も感じます。

あんなさん:  悪気がある人の方が少ないというか。

これは私の友達も言ってたんですが、むしろ悪気がある人の方が扱いやすいです。なぜなら怒れるじゃないですか。「あなたなんでそんなひどいことをいうんですか。それはレイシズムですよ。」って。たぶんその非当事者の人からしても、明らかに悪いことだというのがわかるので、当事者がわざわざ声をあげなくても、悪意のある差別はその時点でタブー視されるので、むしろ傷つきはそこまで深くないかもしれないんです。

 

そういう時はこの人がおかしな良くない人だなって思えるんですけど、マイクロアグレッションだと、その人自身を嫌いにもなれないし、悪意がないことも分かってるけれども傷つきはするというところで、余計に複雑なのだと思います。

 

あおい:    いままでずっと、どこに居てもそういった経験があったとおっしゃっていましたが、特に周り

と違う扱いを受けた環境や年齢はありますか?

 

あんなさん:  そうですね、やっぱり必然的に年配の方になってくるとそういった質問が増えるとは思うんで

すが、意外と同年代でもふとした瞬間にそういう質問をされたりとかはします。メディアにおいて、いわゆるハーフという人たちはモデルさんだったり女優さんだったりして、それこそ「羨ましい」とか、「顔がこういう作りなのはいいよね」とか、若い方にも言われたりしますね。

 

なので、じゃあ大学でそういった経験がなかったかというと全くそんなことはなくて、私は大学は○○大学の法学部で、その後☆☆の大学院に行って、そこを中退してイギリスの△△大学に行ったんですけど、(このように)いわゆるみなさんが頑張って入られるような大学でも、そういったコメントはよくありました。

 

今高校生や大学生のひとたちはまた違うかもしれないんですが、今二十代後半などとなってくるとまだそういう意識を持っている方は少ないかなと思います。割合で言ったら、年齢が若くなればなるほど、そういう可能性(悪気なくハーフの人たちを差別する可能性)は減っているのかなと思います。強いていうなら、ある程度海外経験のある方は(一緒にいて)そういったことはあまり心配しなくてもいいのかなと思います。ずっと日本にいるっていう方だと、「えーハーフ羨ましい」などの発言を含む悪気がないコメントはあるかなと思います。

 

ななみ:   「今はそういう時代だから」などと言って、いいんだか悪いんだか、少しずつ人々も変わって

きているのかなと思います。

 

あんなさん:  私の中学生時代はFacebookやTwitterができた時なんですが、それこそ、今はTikTokなどが

あって、今の方は私の時代以上にデジタルネイティヴで、より海外の価値観に触れる機会が増えていて、学術的な理解はないにしろ、なんとなく何か違う人がいたとしても、「受け入れたっていいじゃん」みたいに軽い感覚でも、そういうのが浸透しているのかなと、希望的観測も含めつつですが、思います。

ななみ:    あんなさんは先ほど、「幼い頃にテレビに出ていたミックスルーツの人は、ベッキーちゃんか

ウエンツ君だった」とお話があったと思うんですけど、やっぱり、メディアでのミックスルーツの方々の取り上げ方についてどのように感じているか、お聞きしたくて…見た目のことで言うと、まだ「ハーフ顔」とか、「外国人風メイク」というような言葉がインスタなんかで出てきたりすると思うんですが、どうお考えですか?

 

あんなさん:  本当に…そこはまず、「良くないよね」っていうところを浸透させたいんです。私も、長らく

贔屓にしていた美容室のホットペッパーのページで、【外国人風カット】というメニューがあって、行くのを止めようか迷ったことがあったりとかしました。美容業界は未だにそういう感覚が多いなあっていう風に思っています。彼らが指しているいわゆるハーフっていうのは誰なのかっていうと、要は白人のハーフの方なんですよね。

 

「ハーフ」ってひとことに言っても、片方が日本人の親御さんってだけで、もう片方はアジア系、南米系、アフリカ系…いろんな可能性がありますよね。それらをすべて包括するのが「ハーフ」っていう言葉なのに、なぜかメディアや美容業界で言われるのは西洋的な人ばかり。これは日本における白人至上主義のあらわれであると思うんです。

 

たとえば日本で街を歩いていて、日本に住んでいる圧倒的大多数の方が東アジア系の方々なのに、ファッション業界のモデルさんは白人系の方が多いですよね、ミックスと言わず。そういったものを見ると、ミックスルーツというものもそうなんだけれど、「非日本人」というよりも、「より白人に近い人たち」というものに対する憧れなのかなって。それは凄くグロテスクだなと日々感じています。私はたまたま父親がいわゆる白人なので、自分自身がそうは見えなくても、私の友人のアフリカ系やアジア系のミックスの子たちよりは傷つくことはないと思うんです。やっぱり、彼らと話していると、(白人ミックス至上主義の)有害性をさらに認識させられますね。

 

ななみ:    白人の方々への憧れという点で、日本における美の基準の、例えば目は二重で鼻が高くて…と

いうようなものは影響を受けているかもしれませんね。

 

あんなさん:  結局それって、日系日本人の方に不要なコンプレックスを与えることになっていますよね。

むしろ海外だと、そういったアジアンなフェイスが可愛いとか、それはそれですごく美しいっていうような感覚があって。アメリカではアジアン・アメリカンの方々のおかげで、最近やっとそういう感覚が浸透し始めています。なので今のアメリカでは少しずつ、他国の美的感覚や、それよりも個々人の美しさがフィーチャーされていて、「人と違うこと、自分にしかないものが美しいんだ」っていうようになってきているんです。

 

でも、日本ではまだみんな同じような服を着たりとか、みんな同じような髪型をしたりとかっていう同調圧力が強くて、さらにその圧力の矛先が、西洋人的な顔―本来ならばそのコミュニティーに存在しないような姿かたちに向かっているっていうのがすごく、心配になりますよね。

 

あおい:    私の話になってしまうんですけど、私がアメリカに住んでたのは小学3年生から6年生くらい

の時で、今からちょうど10年ほど前なんです。そんなに前ではないにしても、確かに私がいた時よりも今の方が、アジアンビューティーとか、圧倒的に浸透しているなと思うので、共感する部分が多かったです。

 

あんなさん:  速いですよね。この4,5年なんじゃないかな。

あんなさん:  このコロナで、やっぱりチャイニーズ・アメリカンの方たちへの差別が頻繁になり、そこから

これまでアジアン・アメリカンの方々が経験してきたレイシズムが爆発的に注目されるようになって。私も今ちょうど、コリアン・アメリカンの方が書いた本を読んでいるところなんですが、やっぱりそれまではアメリカに移民してきたアジア人は「良き移民」でなければならないっていうプレッシャーがすごく強かったと。だからある程度のレイシズムに対しては口をつぐんで真面目に労働する、いわゆる、モデルマイノリティーだった。

 

これに対して、このコロナ禍で元も子もない批判だとか、いのちの危険を感じるようになって、やっと今まで黙って禍いた人たちが声をあげるようになったっていうので、それを機にアジアン・アメリカンのムーヴメントが力強くて、私もすごく心強いというか。

 

ななみ:    そうだったんですね。

 

あんなさん:  それでいうと、先ほどのアイデンティティの問題に戻ってくるんですけど…自分がアメリカン

っていうふうになった時に、アメリカってすごくいろんなアイデンティティがあって、その中にアジアン・アメリカンという人たちがいて、私はそこにすごくシンパシーを感じるというか。

 

私が住んでいたところは日本食のレストランとかスーパーもほとんどなくて、コリアンマーケットに似ている食材を買いにいったりとか、中国系のマーケットにいったりとかしていたんです。それで、こういったムーヴメントを機に、「私ってアジアン・アメリカンっていうグループにも属してるんだな」って再認識して。

 

それは、自分のアメリカ的側面に納得ができるようになってきた1つのきっかけなのかなと思います。ただの「アメリカ人」っていうと違和感を覚えるけど、「アジアン・アメリカン」って言われると、そういう経験もあったなって。いま改めて、アジアン・アメリカンの方の自叙伝を読んでいて、経験や葛藤に共感するところがあって、「私の経験ってアジアン・アメリカンのものに近しいものだったんだな」っていうのを感じています。

 

あおい:        確かにアメリカでは、数えきれないほど沢山のルーツを持っている人が多いじゃないですか。

親もどこかとどこかのハーフで…みたいな。それがもう当たり前で、それが皆「アメリカ人」という形を取っているので、アジアン・アメリカンのように、「○○人でもあり、アメリカ人でもある」っていうのがすごく一般的だと思うんです。でも、日本語にはそういう言葉がないですよね。「○○人」っていう、それだけでしか表せないっていうのが、問題なのかなっていう風に、今気付かされました。

 

あんなさん:  ありがとうございます!そういうのを所謂「ハイフネイティッド・アイデンティティ」ってい

うんですけど、それが日本にないっていうのは仰る通りで。それはまたひとつの日本の問題だと思います。

 

必然的に色んなルーツが重なっていけば、ハイフネイティッド・アイデンティティが生まれるのは自然なはずなのに、日本の場合はそれが表現できない。日本人か、そうじゃないかっていう2択でしかないっていうところが、やっぱり…ポピュラーな言葉ですけど、多様性に対して寛容じゃないんだなっていうのを思わされますね。

▶まずは、あんなさんの自己紹介からお願いいたします。

あんなさん:  ネット上であんなという名前で活動しております。

私は、アメリカのマサチューセッツ州で生まれて、そのあとすぐに日本に引っ越しているんですけど、そこから小学校3年生までずっと日本で育ちました。なので、生まれはアメリカなんですけど、一番最初の記憶というのは日本で、最初の言語も日本語でした。そこで、小学校3年生の時にアメリカのテキサス州に引っ越して、小中高とアメリカで学校に行ってあっちで卒業して、大学で日本に行って、今に至るという感じです。

多分私のことを知って下さった、あのアカウントを作ったのが2、3年前くらいで、そこまで時間は経っていないんですけど、当時は自分がミックスルーツを持っていることを公にしないで、単純にジェンダーの問題提起のものとしてアカウントを作りました。そのきっかけは、当時医学部受験の女生徒の減点問題について怒り心頭しておりまして、どこにぶつけていいか分からず、愚痴るためにアカウントを作ったというのが始まりです。

それまではジェンダーの感覚としても、自分がミックスルーツを持っているという点にでも、あまり周りから普段の生活で理解を得られないな、と感じていたんですけど、今ではオンライン上で素敵な方々とコミュニティを組めるようになって、少しずつ自分の声を見つけられているな、と感じている次第です。

▶自己紹介

▶アイデンティティについて

▶アイデンティティについて
▶ご自分のバックグラウンドが原因で、周りと違う扱いをうけたことはありますか?

▶ご自分のバックグラウンドが原因で、周りと違う扱いをうけたことはありますか?

▶メディアに出てくる「ハーフ」の表現って、偏っている

▶メディアに出てくる「ハーフ」の表現って、偏っている

▶あんなさんと、アジアン・アメリカンによるムーヴメントの影響

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