しんちゃんの教師物語(1)
小さい頃から旅行が好きでした。
それは、父の影響もあったのかもしれません。
週末になると土日のどちらかは必ず家族でドライブに行っていた記憶があります。
家の近くで日帰りで行けるところはほとんど行きました。
父も私も新しい道を通るのが大好きで、
新しい高速道路ができるとただその高速道路を通るという目的だけのためにその場所に行ったりもしたものでした。
何でもこの目で一度は見てみたいという性格は父譲りなのかもしれません。
大学に入って家を離れ、青春18切符には本当にお世話になりました。
帰省は青春18切符を使い、仙台から名古屋まで。
ただ、東北本線はいいのですが、
東海道線(とくに静岡から浜松あたりまで、その辺りの出身の方すみません!)が飽きてしまって、
いつも片道は新幹線を使っていました。
普通電車でおもしろいのは、人間観察です。
時間帯によって乗ってくる人たちも違うし、県を超えて移動する人は意外と少ないし、
大きい川やトンネルを通ると決まってそこで言葉も大きく変わります。
一番びっくりしたのは木曽三川と兵庫と岡山の県境にあるトンネル、
ここでアクセントパターンががらっとかわるので本当にびっくりでした。
北海道に行った時には仙台から夜行特急に乗り込んだのですが、
席がなく床でごろんとしていたらいつの間にか新聞紙の上で横になって寝てしまっていました。
翌朝なんだか周りがざわざわするので目を覚ましてみると盛岡あたりで通勤通学の人たちに囲まれていました。
友人た曰く私がどこまで起きないか観察していたそうです。
旅行は目的地だけでなく、そこに着くまでの過程も好きです。
飛行機や新幹線もいいですが、最近一番贅沢だと感じるのは普通列車や船での旅ですね。
無駄を省き効率だけ追求することと真逆のものに惹かれます。
「無駄」が人生の醍醐味とも言えるのかもしれません。
人生も旅、何かを学ぶということも旅、
どこをどう経由して、どこに泊まって、どんな 乗り物で、どんなスピードで行くのか、
そんなことを決めるのは楽しいですよね。
でも、ある場所に行こうと思っていてもその路線が廃線になってなくなっていたり、
いきなり雨で通行止めになっていたりすることもあります。
そんなことも含めて旅全てが楽しめるようになってきたのはいつのことからでしょうか。
小さい頃は近所の友達の家に遊びにいくだけでも旅行気分でした。
豪邸、小さいアパート、いつお邪魔してもしーんと静まっていて整理整頓されている家、
人の出入りが多くにぎやかな家、私にとってはどの家庭も異文化体験でした。
「うわあ、台所ってこんなに汚い家もあるんだ!」なんて感じたこともよく覚えています(ごめんなさい、友達)。
そのとき、自分の家の方がいいとか、訪問したお宅の方がいいとかという気持ちよりも、
ただただ違っていることに興味津々で、へえ〜と驚いていました。
よく考えてみれば昔からあまり価値判断しない人間だったのかもしれません。
価値判断よりも好奇心の方が上回るとでもいうのでしょうか。
学校にはたいてい勉強のできる子のグループ、スポーツのできる子のグループ、
「不良」グループとか、地味な子のグループとかいろんなグループがありましたが、
私はどのグループにもとくに属すのではなく、どのグループの子達ともうまくやっていました。
そして、よくいろんな友達から勉強を教えてくれと言われていた記憶があります。
いろんな友達が私のところに来てくれることが多かったのですが、
今考えてみると私があまり価値判断をする人間ではなかったからかもしれません。
まあよくわかりませんが…
そんな中、海外にいくのはお金がかかるというイメージがあって、
周りにも「外国人」の友人はいませんでした(と思っている)し、外国にはそこまで興味がありませんでした。
旅行に行くなら近くて安く行ける国内で十分じゃないかと思っていました。
そんなときに大学の3年になりゼミに入ったのですが、そこで多くの「外国人」の友達ができることになるのです。
(後日談)
大人になってから、毎週末はドライブにほんとによく言っていたねえとよく昔話をすることがあります。
ある時、父が確かにドライブは好きだったけど、
休日も会社から呼び出しがかかったら飛んでいかなければならなかったから、
それから逃げるために連絡のつかないところに行きたかった(当時は携帯はない時代)という話を聞いてビックリ!
高度成長期時代の昭和のサラリーマンは軍隊のようなものだったと父は言っています。