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しんちゃんの教師物語(6

 

しんちゃんは大学時代はオーケストラでフレンチホルンを吹いていたのですが、

アメリカで10日間のホームステイ経験後、いろんな人に吹き方が変わったね〜と言われました。

帰ってきて2−3ヶ月後にオケのコンサートがあり、

その曲ではホルンのソロがあったのですが(忘れもしないグリーグのピアノコンチェルト!)、

吹き方がダイナミックになったというのです。

その頃のしんちゃんは「へえ、そうなのかなあ」とぐらいにしか考えていませんでしたが、

今よく考えてみると、本当に吹き方が変わっていたのでしょうか。

わずか10日ぐらいの経験で吹き方がそんなに変わるとも思えません(でも、変わることもあるかも!?)。

しんちゃんがアメリカに行っていたと知っているので、

周りの人はしんちゃんの吹き方が変わったように思えたのかもしれません。

もちろん、今となっては知る由もありませんが…

理由といえば他にこんな話もあります。

しんちゃんはこんな性格(知らない人はわかりませんね(笑))なので、本当に小さい頃からよく話す子どもでした。

3歳ぐらいまでは父の会社の社宅に住んでいたのですが、

そこにはお風呂がなかったので近所のお風呂屋さんに通っていました。

(そして、お風呂屋さんが休みの日にはなんと、二層式洗濯機の洗濯水槽の方にお湯を入れて入っていたのです。

今でも写真が実家に残っています。)

銭湯ではいつもよく話していて近所の人から「おしゃべりしんちゃん」と呼ばれていたくらいです。

(ただ、ふだんはおしゃべりでも3歳児健診のような大切なときには

緊張してお医者さんとうまく話せず泣き出してしまうような子でしたが(笑))

幼稚園から高校まで通知表のコメント欄は、このおしゃべりで表情がゆたかな性格をプラスに見てくれるようなもの、

例えば、しんちゃんは何でも話してくれて先生はうれしいです!というものから、

このおしゃべりをマイナスにとらえ、いつもおしゃべりで落ち着きがないというようなもので、ある意味一貫していました。

ところが、アメリカに長く住むようになってから、この性格はアメリカと結び付けられるようになることが多くなります。

「佐藤さんは表情がゆたかで明るくて…きっとアメリカ生活が長いからですね」などというものです。

ほかにもいろいろな事柄が、しんちゃんが長くアメリカに住んでいるからという事実と結び付けられることが多くなりました。

しんちゃんは「ええっ!?なんでそう説明されちゃうの?」と感じながら、

何かの物事の因果関係というのは一つの理由で説明できるのだろうかと 感じるようになります。

そして、そもそも「いつも理由ってあるんだろうか?」とも…。

ある種の研究ではインプット、アウトプットを比較して何か効果があったことを証明するようなものがありますが、

しんちゃんはいろいろな意味でそのような研究について疑問に思うようになります

(その種の研究の意味を否定するつもりは全くありません。)

人は生きていく中でいろいろなことを経験しており、

また、気分にもムラがあったり理性的でなかったりするのは人間であるわれわれが一番よくわかっていると思います。

その中で何かの事象に対してこれが理由だ、原因だというものを一つあげられるのでしょうか。

本人に聞けば、これが理由ですとあげてくれる可能性もありますが、

先に述べたような理由で人は聞かれた理由を答えなければいけないような、

ある意味理由を言わされるというような状況に立たされたので答えたとも言えます。

もちろん、多くの研究では諸所の条件はコントロールされているわけですけれど、

現実ではいろいろなことが複雑に絡み合っており、コントロールされているようなことはほとんどあり得ないでしょう。

人は何か自分に理解できないような事象、「興味深い」と感じる事象に巡り合うと理由を探したがるのかもしれません。

学生によく「どうして日本語を勉強しているんですか?」という質問をすることがあります。

その際に学生はアニメやポップカルチャーが好きだとか、

日本の食べ物が好きだとかいうような理由を挙げてくることが多いです。

しかし、日本語を継続して数年経った学生が、実は正直あんまり理由はなかった、

ただ先生に聞かれた時に何か理由がないといいけないのではないかと思い、

(嘘ではないけど)何か言ったというようなことを伝えてくれたことがあります。

理由って何なんでしょう。

チョコレートが好きな人にどうしてチョコレートが好きか聞けば理由をたくさんあげてくれるかもしれません。

でも、好きなものは好き、それでもいいのではないかとしんちゃんは思うのです。

その後、しんちゃんは、ゼミでの留学生との経験、アメリカでのホームステイ体験を満喫し、

日本旅行とは違った海外旅行の魅力にどんどんはまっていくことになります。

そんな中で「卒業旅行でアジアを見てみたい!」と思うようになったのは偶然ではないと思います。

ゼミの留学生は全員アジア出身でしたから…

ゼミの留学生の一人が上海出身で春休みには実家に帰っているというので、

それに合わせて上海にも遊びに行くことにもしました。

当時はインターネットもスマホもなかったので、おそらく情報は『地球の歩き方』だけだったんじゃないかと思います。

そうやって卒業旅行の予定を立て、春休みのとある日、

名古屋の実家を起点に青春18きっぷを持って普通列車に乗って出発したのです。

​                                                              つづく 

(執筆後記)

先日台湾で学生さんに「私の日本語教師の旅」というお話をする機会をいただきました。

その準備で自分の「旅」をいろいろ振り返ったのですが、最近は旅とはどこかにいくことだけでなくて、

どこにも行かなくてもそれはそれで一つの旅の在り方なのではないかとも考えるようにもなりました。

辞書を見てみると旅は「自宅を離れてよその土地へ行くこと」と定義されていました。

それを見て、体が旅行していなくても、頭が日常を離れてよその場所へ行けば旅なのかな?とか、

過去を振り返って時間を遡っても旅なのかな?とかいろいろ考え、楽しくなりました。

そして、なぜか突然(いつもなんですが)松尾芭蕉が奥の細道で歩いた道をなぞってみたくなりました。

「夏草や 兵どもが 夢の跡」旅だけじゃなくて、夢も奥が深いですね… 今回も楽しく書かせていただきました!

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