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しんちゃんの教師物語(7

 

人生生まれてはじめての海外旅行は大学4年生の時のアメリカでしたが、

その半年後の大学の卒業旅行先にしんちゃんがアジアを選んだのは偶然ではありません。

所属ゼミにいろんなアジアの留学生がいたから、韓国、中国、香港を見てみたい!と思ったのです。

しんちゃんはまたまた大好きな青春18きっぷを使って実家のある愛知県からバックパックを背負って出かけました。

途中広島県の呉にあるユースホステルに一泊して、夜下関を出て朝釜山に着くというフェリー行きました。

韓国のフェリーだったので使用言語は韓国語がメインのためか乗客は、日本人はそんなにいませんでした。

フェリー内がすでに異文化!そんな中でわくわくしながら、フェリーの食堂で一人の早稲田の学生と知り合いになりました。

彼は(たしか)韓国にルーツがあるか、親御さんが韓国で生まれたとかで、かなり熱心に韓国語を勉強していました。

いっしょにフェリーのレストランで食事をしながら

彼とレストランのウェイトレスさんに韓国語のフレーズをいくつか教えてもらったことを今でも良く覚えています。

フェリーではブラジル出身の日系人の人とも友達になり、何語で話したのかは全く記憶がありませんが、

あっという間に時間が過ぎ、釜山に着きました。

ソウルに行くバスの時間まで市場をうろうろしていたのですが、

キンバップを食べてまるで日本の海苔巻きと同じじゃないか!とびっくりしたことを今でもよく覚えています。

釜山からソウルまでのバスでは、隣に座った年配の女性がしんちゃんに何かしきりに話してきたのですが、

しんちゃんは全くわかりませんでした。

彼女はやっとしんちゃんが韓国語がわからないということを理解したようで、

ゼスチャーで少しやり取りをしながらその方にお菓子を分けてもらったことを良く覚えています。

しんちゃんはソウルではゲストハウスに2泊し、

その後、ソウルのそばの仁川から中国の遼東半島にある小さな町、煙台までのまたフェリーで行きました。

そのフェリーは混んでいて乗客はほぼ韓国人か中国人でした。

フェリーのアナウンスも韓国語と中国語で、どちらもわからない、

しんちゃん、アメリカ人とノルウェー人の男性で何が起こってるのかわからないね〜と言いながら、

すぐに打ち解けて仲良くなりました。

その時には英語のわかる中国人が助けてくれて4人で英語で会話したことを覚えています。

中国では一部屋にベッドが20ぐらいあるようなドミトリーに泊まり、中国人と同じ部屋になったときもありました。

お互い話し言葉は全く通じないのですが、漢字を知っている強み!筆談で「話し」気づけば5時間ぐらい経っていました!

宿の人も親切で、電車の切符の買い方を聞くと、

「中国人用の切符の方が全然安いから中国人用の硬座の切符を買ってあげるよ。

乗る時には絶対に何も話さないように(話すと外国人であることがバレる)」

と言われたことも記憶に残っています。

そんな硬座と言われるような座席に座り、丸一日中国人の人の家に泊まったような感覚の列車に乗って、

威海から(ビールで有名な!)青島を通ってしんちゃんは上海まで旅したのです。

このように旅は出会いと別れが入り混じり楽しさとちょっとの寂しさ、

(まあ、これを人は一期一会というのでしょうが)いつもついて回ります。

いろいろなものを見て肌で感じ、多感な年頃だったせいか、しんちゃんには毎日が驚きの連続でした。

たくさんものを考える時間もありました。

この旅での言語使用を考えてみると、当たり前のことですが、

そこにいる人が持っている(言語)リソースを駆使して、ときにはちょっと新しいことを習いながら、

コミュニケーションを交わしただけのことです。

複数の人で複数の異なる言語リソースを持つ人たちがいる場合は同じグループの中でも当然話す相手によって言葉も変えます。(これは今言われている「トランスランゲージング」という概念とも関係があると思います。)

とにかく何か伝えたいという気持ちがあるので、何語をどう話すかよりも、

伝えたい!という気持ち、伝わった!と感じた時の喜びは大きく、

はじめての人に話すこっぱずかしさはあるにせよ、コミュニケーションをしている最中に恥ずかしい〜と感じたことは、

しんちゃんはありませんでした。(今も同じで興奮すると話が止まらなくなります(笑))

大学の時に、授業でも、英会話教室でも、こっぱずかしさを感じたのはなぜなのでしょう。

それは、お互い日本語を話せば意思疎通がおそらく問題なくできるのに、

あえて英語を練習するために英語で話していたからだと思います。

そして、英語が上手になりたい!とは思っていても、よく知っているクラスメート、

あるいは、たまたま小クラスで同じになった英会話教室の日本人と

(わざわざ英語で)コミュニケーションする違和感を感じたのだと思います。

ある程度の語彙や文法の勉強は確かに必要ですが、

この人と話してみたい!そのためにはこの言葉を使うしかないという状況、

そこでそのことばを使うのはある意味自然なことです。

しんちゃんが今もよく考えていることの一つは、

ことばの教育においてこのような状況をどう作り出せるのかということです。

この旅行を今振り返ってみて、同じ場所でも時代が変われば、視点が変われば見え方が変わるということです。

しんちゃんが上海に行ったのは1992年でしたが、その当時上海に地下鉄は一本もなくどこもかしこも自転車だらけでした。

同じ中国でも威海から上海まで使った硬座と、上海から香港まで使った軟座では見える景色が何もかも異なります。

また、その上海からの電車は上海でも深圳でも一番綺麗な列車でしたが、香港では一番古い車両でした。

同じものを見ていても人はそれぞれ生きてきた環境は異なるし、

本当に同じものを見ているのだろうかと感じることがよくあります。

しんちゃんは子どもの頃、色に対してそんな気持ちを持っていました。

自分が赤と認識している色が他の人の目から見ても同じ赤であるということはないんじゃないかと。

自分が見ている青を赤と呼ぶ人がいてもおかしくなくその場合は全く世界の見え方がちがうんじゃないかと…

しんちゃんはまだ大学生ですね。

そろそろ次回はしんちゃんを就職させてあげましょうか(笑)

​                                                              つづく 

(執筆後記)

しんちゃんは子どものときに自分の鼻の穴には宇宙があるんじゃないか、

そして、自分が住んでいるこの世界はだれかの鼻の穴の中なんじゃないかと思っていたこともあります。

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