
#35
能楽『葵上』より「思ひ知れ」
芹川佳子
「思ひ知れ」は、能楽『葵上』でシテ(主役)の六条御息所が発する一節です。『葵上』は、能を象徴する1つにもなっている鬼のような般若面が出てくる演目です。鬼のような形相は、源氏の正妻である葵上に対する恨みや嫉妬の表れです。しかし、「思ひ知れ」と言うとき、六条御息所はまだ般若面ではなく、一見すると普通の女性の顔なのです。正確には泥眼という意味深な面を付けていますが、遠目にはただの女性に見えます。ただの女性が生霊となる程に苦しい胸の内を明かす、恐ろしく、悲しい台詞です。
私の実生活で誰かに「思ひ知れ」と言うことはないだろうし、日本語教師として教える機会もないと思います。しかし、そんな日本語が私の中に他にもたくさんあります。「人生に影響を与えたバイブル的な作品」について考えたとき、いくつもの本が思い浮かび、1つを選びがたく、悩みました。その中で、私の日本語での思考やコミュニケーションの根底にあるものの中に、謡曲があることに気付きました。
能楽と出会ったのは、大学1年生のときです。大学から始められることをしたいという想いのもと、能楽をする部に入りました。能楽部では先輩とプロの師匠に謡と舞を習い、年に数回舞台に立ちました。大学卒業後も趣味として謡と舞を続け、鼓も習いました。その後、紆余曲折を経て、日本語教育の道に入り、大学院で研究を始めても、謡と鼓は続けました。駆け出しの日本語教師および修士課程の学生は、お金も時間もありません。それでも、能の稽古の時間は、普段出さない声を出してリフレッシュする時間でもあり、普段出会わない日本語に触れる時間でもありました。しかし、渡仏を機に能楽から離れ、帰国後も多忙を理由に離れたままでした。10年近く離れていたのですが、あるとき、友人に誘われ、能楽部の同窓会を兼ねた記念舞台を見に行きました。そこで師匠に再会し、私の口から出たのは「また謡いたい」でした。能楽は見るだけ、聞くだけでも楽しめます。しかし、実際に謡い、音の高低や節回しもあわせて、そこに描かれる心情や風景を楽しむことが私には必要だと感じたのです。今は謡だけ、習いつづけています。
能楽の謡で好きな一節は、たくさんあります。
『葵上』から「思ひ知れ」…能楽に出会ったばかりの頃に、この一節に出会い、私の人生では言わないだろうと衝撃を受けました。しかし人生は長いもので、心の内では何度か言ったことがあります。
『班女』から「形見の扇より。なほ裏表あるものは人心なりけるぞや」…人の心のほうが扇よりも裏表があるというこの一節は、多くの人の共感とともに謡い継がれてきたのだろうと感銘を受けました。
『清経』から「舟よりかつぱと落ち汐の」…入水する場面の「かつぱ」という擬音がいいです。謡曲には他にも感心する擬音がたくさんありますが、その中でもお気に入りの擬音です。
日本語教師や日本語教育分野の研究者として、能楽や謡の知識や技能が役立ったことは、まだありません。それでも、確かに私の日本語をつくってくれています。日本語学習もすぐに役立つものばかりではありません。しかし、すぐに役立たない日本語学習も、学習者の日本語能力を支えます。私にとって謡は、そういう意味での日本語学習です。
紹介した人:せりかわ よしこ

