#31
中津燎子『なんで英語やるの?』
澤田尚美
「人生に影響を与えたバイブル的な作品」…何度も読み返したわけではないのですが、すぐに思い浮かんだのがこの本でした。初版が1978年という古い本ですが、私はこの本から「日本語を学ぶ」という視点をもらい、「日本語教師」という仕事を知るきっかけになりました。
この本は著者である中津燎子氏の英語教育体験を記したノンフィクションで、第5回大宅壮一ノンフィクション賞を受賞しています。著者が受けた英語の発音レッスンの話、アメリカ留学後日本へ戻ったのち知った当時の日本の英語教育、その現状を知って始めた英語塾の実践、交換留学生とのやり取り、日本の英語教育に対する著者の思いなどが、ときに厳しい口調で記されています。
この本との出会いは私が高校3年生のときでした。(今からずいぶん昔の話になります)高校卒業後の進路として、私は大学進学を考えていたのですが、それは明確な意思を持って決めたのではありませんでした。何となく大学に行っておいたほうがいいかというぐらいでした。自分が何を勉強したいのか分からないまま、志望校を決めようとしていました。
英語の成績がそこそこ良かったことと伯父が教師をしていたこともあり、ぼんやりと「英語の先生」になるというのが頭の中にありました。しかし、それは自分の中では確信が持てない選択でした。「英語」は私にとってただ科目の中で成績がいいという理由だけで、自分と何のつながりも持たないことばだったからです。当時、同じクラスに英語がとてもできるクラスメイトがいました。彼女は洋画が大好きで、好きな俳優もいて、自分のことを「どうして私はアメリカ人に生まれなかったんだろう」というくらい、英語にのめりこんでいました。英語に対してそのような熱い気持ちが持てることを私はうらやましく思っていました。
そんなとき、書店で『なんで英語やるの?』というタイトルを見たとき、まさに当時の自分の気持ちを問われたようで、思わず手に取りぱらぱらと読み始めました。読み始めると止まらなくなり、本を買い家へ持ち帰り、一気に最後まで読んでしまいました。
印象的なシーンがいくつかあるのですが、そのうちの一つは中津氏が受けた発音のレッスンの様子です。4メートル離れたところに座っている先生に向かって、英語の教材を読むというもので、生徒が「妙な音」を出すと、先生から「大変静かに、『すみませんがもう一度』(I BEG YOUR PARDON?)」(p.33)と言われ、それが3回だめな場合には「もう一度、最初から始めて下さい」(p.33)と言われます。この「最初」の意味は、使用していた教材がどんなに進んでいても、ABCの発音に戻りなさいという意味なのです。エピソードの中では、中津氏の発音レッスンがもう少しで終わろうとしているところ(そのときに、すでに中津氏は3回もABCの発音から繰り返していた)で、先生にこの言葉を言われ、彼女が激怒するシーンがあります。それでも、この先生は穏やかに「I am very sorry, but I can’t say yes to you when I knew it was wrong. Let’s try it again.」(p.44)と言って、レッスンが続きます。
先生は怒っている中津氏にこう言います。「相手に届きもせずわかりもせぬ言語をそのままでいい、とする事は、きびしすぎると言うよりも、もっと重大な事である。」(p.35)
私が受けた英語教育では、発音についてほとんど教えられたことがありませんでした。自分でも自分の発音が正しいのかどうか分からないままでした。当時、読んだときは(私もこんなレッスンを受けていたら、英語の発音がよくなったかな)ぐらいにしか思わなかったのですが、今、読み返すと、この先生の発音のレッスンには深い意味があったと思わされます。
また、英語の教師になろうと安易に考えていた私に、考え直すきっかけを与えてくれたのが、次のような文章でした。
中学、高校、大学、塾、いずれの教師であっても、自分が教える科目の内容を、よく理解し、
知りつくしている事が、教師としても第一条件である。
英語の場合、化学や数学、国語や歴史、地理とちがって、なかなかむずかしい。
だから、最もたやすく文法にとびつき、文法のみを基準として教える事になるのだろうが、
英語が現実に英語国で使用されている状態はそこまで文法優先ではなく、ごく普通に言語として
使用されているためにギャップが生じて来る。(p.347)
ここを読んだとき、まるで自分のことを言われているかのようでした。私は英語についてよく理解しているんだろうか?英語がどんなふうに使われているのか私は知っているのだろうか?次々に自分の中に疑問が湧いてきました。
最終章には中津氏が考えた6つの「英語教師の条件」が書かれています。その一つに、英語教師は「日本語の起源、発想、構造、文法はもとより、その表現、思考も知っているべきである」(p.353)とあります。これを読んだ時、私は大きな大きな衝撃を受けました。
「日本語を知る?!」
「英語を教えるのに、日本語を知らなければならない!?」
英語教師は英語の文型や単語を教えればいいぐらいにしか思っていなかった私には、自分の母語を知るという発想が全くありませんでした。私の中で「英語」という外国語に向いていた意識が、自分の「日本語」に向いた瞬間でした。
「そっか!まずは日本語を勉強することから始めないと!」
それは、私にとって確信の持てない「英語」教師の勉強をするのに比べて、ずっと自信の持てることのように思えました。進路に迷っていた私は、この本から「日本語を勉強する」という新たな目標を得て、進学する目的を見出すことができたのでした。そして、「日本語を勉強しよう」と決めたことが「日本語教師」という仕事を知るきっかけになり、紆余曲折を経て今に至っています。そういう意味で、私はこの本を「人生に影響を与えた本」だと思っています。
紹介した人:さわだ なおみ