#24
シルヴァスタイン 『ぼくを探しに』
丸田健太郎
この連載の話を頂き、家の本棚をしばらく眺めました。自分の研究に影響を与えたような本は確かにありますが、「バイブル」と言われるとどれも違うような気がしました。迷走を始めた私は、「バイブル」ということばの意味を調べました。「聖本」という訳が出てきました。当然の結果です。
いろいろな研究書のお世話になってきましたが、1冊の研究書を「聖本」と言ってしまうことへの後ろめたさもありました。「聖なるもの」として神聖化することは、研究にとって無意味なことなのではないかと考えたからです。私にとって研究は、自分のことばにできない何かを表現するためのものだと思い続けてきました。
そこまで考えて、この本のことを思い出しました。なぜもっと早く気がつかなかったのでしょうか。それは、最近私が研究をあまりしておらず、『ぼくを探す』歩みを止めてしまっていたからなのかもしれません。
このお話の中で、「ぼく」は自分の足りないかけらを探すために旅に出かけます。
「ぼく」は、途中でぴったりのかけらを見つけたと思っても、落としたり、壊したりしてしまいます。
結果として、ぴったりのかけらと出会い、これで大円団かと思いきや、ぴったりのかけら、つまり足りないかけらを見つけたにも関わらず、幸せそうではありません。なぜでしょう。
この本の原著のタイトルはThe Missing Pieceです。日本語に訳されたタイトルと比べると、お話の雰囲気の違いを感じることができるかもしれません。この本の巻末には、訳者からのことばが掲載されています。少しだけ抜き出します。
例えば、これは、理想の女性と結婚したが、やはり一人でいるのがよくなった男の話であってもよい。
大人にはその種の単純な童話が必要である。
逆に子供にはこの絵本が示しているような子供の言葉では言い難い複雑な世界が必要なのではないか。
その世界を言い表す言葉を探すこと、これも子供にとってはmissing pieceを探すことに当たる。
「自分にとってのmissing pieceを探すこと」
この本を読むと、私の人生にとっての研究の目的、意味を考え直します。「言葉では言い難い複雑な世界」が自分の中にあると思うと、そのモヤモヤを言語化したいと感じてしまいます。そして何より、研究を始めたばかりの「子供」だった頃の、自分の感情に純粋に従って闇雲に研究をしていた時の気持ちが、研究の原点であるということを思い出させてくれます。
ただ、自分にとってのmissing pieceを探すことに終わりはないでしょうし、見つけてしまっては面白くないんだろうなと思います。全てをことばにして語り尽くすことにある種の残酷さがあるような気もします。
この本は、出会いと別れの繰り返しの中で、微妙なずれを感じ続けていくこと、研究に対する姿勢も教えてくれるような私の「バイブル」です。最後に、お話の中に出てくる歌詞を載せます。
「ぼくはかけらを探してる
足りないかけらを探してる
ラッタッタ さあ行くぞ
足りないかけらを探しにね」
これからの研究や実践について思い悩むことがあるでしょうが、その度にこの本を読み返したいと思います。歩き続けた先にどのようなものが待ち受けているかはわかりませんが、道中の出会いを自分なりに価値づけていくことの大事さも教えてくれるからです。
これを読んでくださっている皆さんも、missing pieceを探す旅に出かけられますように。
紹介した人:まるた けんたろう