#23
『言葉の誕生を科学する』小川洋子・岡ノ谷一夫(2011)河出書房新社
香月裕介
「好きな作家は誰ですか。」と聞かれたら、私には即答する作家が二人いる。そして、小川洋子さんは、その二人のうちの一人である。好きな作品が多すぎて、「好きな作品は何ですか。」という質問には即答できないほどに、好きな作家である。ときにはフェティシズム溢れる狂気を孕んだ世界を、ときには世界の片隅で生きる人々や動物たちの愛しい日々を、小川さんは、静謐な筆致で、淡々と、しかし丁寧に描く。小川さんには、この世界がどのように見えているのだろう。常々、その地平に接近してみたいと思っている作家である。
岡ノ谷一夫さんは、動物行動学、生物心理学の著名な研究者である。ハダカデバネズミの社会生活やジュウシマツの歌などの研究を通して、「ことば」や「心」はどこから生まれたのかという言語・感情の起源を探求している。分野は(もちろん功績も)まったく違えど、同じように言語・感情の前意識的な世界に強い関心を持っている私にとって、岡ノ谷さんの知見は、私を本質的な問いへと導いてくれる刺激的なものばかりである。
今回ご紹介したい『言葉の誕生を科学する』は、このお二方の対談をまとめた本である。先の文章でお分かりのように、私はお二人のことを尊敬してやまないので、この本は、私にとっては夢の競演が実現した作品だと言える。研究者の科学的な知見と小説家から見える地平が絡み合うお二人の対話は非常にスリリングである(しかし、お二人の穏やかな語り口のおかげで、対話の場から醸し出される空気感は非常に和やかである)。幾度となく読んでいるが、対話に触れるたびに、自分の研究、ひいては自身が持つパラダイムを問い直すことになる。
たとえば、「言葉が通じないゆえに、飼っている犬と心が通い合っているような幸福な錯覚に陥ることができる。人間どうしだと、錯覚を共有できない不幸がある」と言う小川さん。それに対し、「特に文字では共感性が伝わらずちょっとした表現でけんかになる。言葉は情動を乗せない道具として進化してきたのでは」と返す岡ノ谷さん。「むしろ自分の本心を隠すために言葉を使うのか」と訊く小川さん。「隠蔽のコミュニケーションとして言葉は進化していった。一方で表情、目にはごまかせないところが残っている」と答える岡ノ谷さん。
【言葉に情動は乗らない】【本心を隠すために言葉を使う】というやりとりを、小説家である小川さんはどう受け止めたのだろう。そして、教師の語りを文字にして、それを素材に分析を進めていく私の研究は、いったいどれほどのことを明らかにできるのだろう。そうは言っても、言葉から独立した本心とは、どこにあるというのか。これは、自分のパラダイムとは異なるだろう。いや、しかし、語りだけでなく、表情や視線も含めて分析に組み入れたほうがいいのではないか。……このやりとりを読みながら、私は悩み続ける。
また別の場面で、「小説を読むとほかの人生を生きている満足感を感じることができる。作る側としてはどうか」と問いかける岡ノ谷さんに対して、「登場人物を創作することと、その人の人生を生きることとは、少し違う。私の場合は、登場人物と自分の距離をある程度保っておいたほうが書きやすい」と答える小川さん。「生きるんじゃないとすればどうするのか」という岡ノ谷さんのさらなる疑問に、人それぞれだと断りつつ「世界の輪郭の外側にいて、じっと見ている」と説明する小川さん。
このやりとりが私に投げかけてくるのは、教師の語り研究をめぐる人々をどのように位置づけるのかという問いである。教師の経験を語る人(語り手)がいて、それを聞く私(聞き手)がいて、その対話を研究として記述する私(書き手)がいて、さらにその記述を読む人(読み手)がいる。私の研究を構成するこれらの一連の行為をどのように意味づければよいのか。「私」も含めたそれぞれの人々の立ち位置、関係はどのようなものなのか。思索は尽きない。
終盤には、「発達心理学のもっとも大切な理論」として「心の理論」と「ミラーニューロン」の話題が登場する。これは、現象学における他者論、間主観性論とも結びつくという点で、私の研究の土台となる哲学的思想にも密接にリンクするものである。「心の理論」と「ミラーニューロン」によって自分の心よりも先に他者に心があると仮定できるという岡ノ谷さんの説明に、「人の振り見て我が振り直せ、ですね。自分とは何かを探る以前に、まず他人とは何者かの追究が必要だった」と応じる小川さん。
「どうして、学習者ではなくて、教師の研究をするのですか。」と聞かれたことが何度かある。そのたびに私は、「他の教師のことを知ることで、つまるところ、私は自分のことが知りたいんだと思います」と答えてきた。どうもふわふわした感覚的な答えだなと我ながら思っていたのだが、お二人のやりとりを読んで、自分の言葉がようやく腑に落ちた気がした。
この本の文庫版へのあとがきで、岡ノ谷さんが「小川さんとの対談により、私は思索の翼を得た」と書かれていた。お二人の対談を読んだ私もまた、翼を得て、あちらこちらと思索をめぐらせている。語り手も、聞き手も、書き手も、読み手も。関わる人たちがみな思索の翼を広げ、自由に飛び回ることができるような研究。そんな研究が私の目標である。
紹介した人:かつき ゆうすけ