#18
小山勇『こゆびにキッス』
近藤弘
『こゆびにキッス』は小学生が夏休みの課題図書として読むような本、いわゆる児童文学です。そして、私が小学1年生の時にクラス担任だった小山勇先生の作品です。この記事では、『こゆびにキッス』の筆者である小山先生のこと、先生との思い出についてお話したいと思います。
小山先生は髭を蓄えた、熊のような見た目の人で、授業内容とは関係のない話、いわゆる「脱線」が多いタイプの先生でした。小山先生の脱線が始まると、私はクラスメイトと一緒に「また関係ない話してる!」とツッコミを入れていましたが、本当は先生の脱線を楽しみにしていました。私のように喜んでいる生徒がいることに気づいていたのか、先生は脱線したまま授業を終えることもよくありました。
小山先生の脱線の中でも、私は海外旅行の話が好きでした。インドの路上で露店を出し、日本から持って行った缶詰やトイレットペーパーを売ったら旅費の足しになったという話は今でも覚えています。私が育ったのは、漁港に囲まれた、潮の香りがする団地でした。当時7歳だった私にとって、暮らしていた団地が世界そのものでしたが、旅の話を聞いて、私の世界は団地とインドになりました。
小山先生の本について話を聞くことも好きでした。『こゆびにキッス』は、先生が私の担任だった当時執筆していた作品で、主人公は寂しい時についつい指しゃぶりをしてしまう小学1年生の女の子です。おそらくですが、この作品は、当時私が在籍していた学級や同級生をモデルにした作品でした。先生は、執筆中の原稿用紙を広げ、身振り手振りを使って読み聞かせをしてくれました。時には、提出した原稿に編集者からたくさん赤を入れられて修正が大変だという苦労話までしてくれました(まさか自分も、論文執筆を通して同じような経験をする時が来るとは…)。小山先生は読み聞かせをしながら、読者であるわたしたち子どもがどんなリアクションをするのか観察していたのだろうと思います。
実は、『こゆびにキッス』の内容はあまり覚えていないのですが(汗)、『こゆびにキッス』を執筆している小山先生と過ごした1年間のことは断片的に今でも頭に残っています。私は小山先生から様々な影響を受けることになります。
授業で書いた詩を小山先生に褒められて「国語が得意なのかもしれない。」と勘違いしました。高校時代、進路を決める時「何を学んで、どんな経験をしたら小山先生みたいな面白い人になれるんだろう。」と考えて、国語の教員免許が取れる大学を受験しました。大学時代、教職の授業を隣の席で受けていた同級生に、インドで家を建てるボランティアに誘われました。小山先生のことを思い出してボランティアに参加することを決めました。インドでのボランティア経験を通して「海外に行ってみたい」が「そこで暮らす人と一緒に働いたり、生活してみたい」へと変わり、国語教師の仕事にも活きそうで、海外で働くチャンスがある日本語教育の勉強を始めました。そして今、エジプトにある大学で日本語を教えています。
私が関心を持っている研究テーマは、教師のライフストーリーです。先生方がどのような人生を送ってきてきたのか、何がきっかけで教師の仕事を始めたのか、そして、どのような経験をどのように意味づけ、教師としての価値観を形成してきたのかに興味があります。
自分の人生を振り返ると、7歳で小山先生に出会ったことは、私が何か人生の選択をする際、その方角を緩やかに示してくれる羅針盤を得るような経験だったのかなと思います(まさか、エジプトに導かれるとは思いもよりませんでしたが)。小山先生の脱線は、カリキュラムを進める上では非効率的で意味の無いことだったかもしれませんが、時間が経つにつれ、私の人生の中で意味を持つようになりました。
教師としての私も、小山先生のように脱線しがちで、日常生活の中でも一見意味が無かったり、意味が見出されていないであろうことや会話が大好きです。私が書いているこの記事も、人の紹介になってしまっており、コーナーの趣旨である「自分に影響を与えたバイブル的な作品を紹介する」から、脱線している感がありますが、これも小山先生の影響ということにしたいと思います。
小山先生がインド旅行のお土産でくれた象の置物は、壊れる度に父と母が直してくれたおかげで、今でも実家に飾ることができています。『こゆびにキッス』も実家のどこかに眠っているでしょう。今度帰省したら、引っ張り出して、じっくり読み返したいと思います。
紹介した人:こんどう ひろむ