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下田村立鹿峠中学校編(1976)『越後下田郷の昔話』下田村中央公民館
渡邉有紀恵
私は新潟県三条市、旧南蒲原郡下田村の出身です。山の中で育ちながらも、海外に興味をもつ子どもでした。英語を勉強して、外国に行きたいと思う子どもでした。
中学進学時には、村内の他の小学校から来た友達の「下田弁」がわからないことがありました。この地域にしては珍しく核家族であり、母が方言区画の違う村の出身だったことが理由だと考えられます。その後も進学するたびに、周囲から自分のことばが特徴的だと言われました。そのような経験から、海外への憧れと英語学習への興味と同時に、自分のことばへの興味を持つようになっていました。そして、学部の専攻を現代日本語学に決め、研究テーマも自分が使っていることばにしました。修士論文では話題転換について考え、修士論文では談話展開について書きました。談話資料を収集し、文字化し、分析することはとても楽しかったのですが、どこか自分や語られる内容とことばが離れてしまった感覚がありました。
そこから数年後、自分のことばを知りたいという気持ちが再度強くなり、特に気になっていた下田村方言の理由表現について分析をすることにしました。その時資料として手にしたのがこの本でした。
この本は、中学生が夏休みの課外活動として学区内に語り伝えられている昔話を採集し、できるだけ発話された通りに文字化し、昭和51(1976)年に刊行したものです。「動物昔話」「本格昔話」「笑い話」「形式譚」に分類された79話が収録されています。
分析開始当初は、ターゲットの表現を探し、意味分析をするための研究資料としか見えていませんでした。しかし、分析するために物語を読み込んでいくうち、まさに今そこで語られているような物語自体に夢中になりました。一方で、住んでいた村のことなのに、語られている言語、生活習慣、文化、言動にある背景や思考が理解できないことに愕然としました。そして、写真では残せないそれらがことばで収録されていることに感謝もしました。
この本をきっかけに、私の中で、ことばだけが抽象的に存在していると感じることはなくなりました。ことばが文化や習慣を残し、文化や習慣が消えるとそれを表すことばも消える。ことばは人とともにあり、ことばによってその人の使っていた言語、生活習慣、文化、風俗、思考、習慣を残すことができる。人が亡くなると、それらも全て消えていく。ことばを収録することの新たな意義を感じるようになりました。その後、博士論文を執筆するために、下田村のおじいちゃん、おばあちゃんたちのお話を収録しましたが、その分析には、以前感じたような「離れた」感覚はありませんでした。私の研究対象はことばですが、これからもそのことばを語る人やその人の持つ背景を大切に、研究を進めていきたいと思っています。
紹介した人:わたなべ ゆきえ