top of page

#14

『みんなの日本語』(スリーエーネットワーク)

櫨佳世

 日本語学校の研修初日、私は期待に胸を膨らませて新しく真っ白な『みんなの日本語』を持っていきました。ところが、そこでお会いした先輩日本語教師の『みんなの日本語』は表紙が少し黒ずんでいて、どのページにもぎっしりと書き込みがしてあり、とても古くて汚い印象でした。ただなぜか、私はその古くて汚い『みんなの日本語』に憧れを抱いたのを今でも鮮明に覚えています。

 それから、私も『みんなの日本語』に様々な事を書き込みました。三本締めの由来、「家」と「うち」の違い、「ここに触る」と「ここを触る」の違いなど、学習者から聞かれそうなことや、学習者に聞かれたことを夢中になって書き込みました。それは、野球部に入部したての中学生が先輩の持っている使い込んだグローブに憧れて、自分の新しいグローブをわざと汚すような感じでした。​

 この『みんなの日本語』とは、初級の日本語学習者を対象とした日本語の教科書です。
話す・聞く・読む・書くという4技能をバランスよく身につけられるように、たくさんの練習問題が用意されています。主人公は、日本で働くアメリカ人の男性です。彼が日本の生活で経験する様々なシーンが、モデル会話として使用されています。多くの学習者は、最初のうちはこのモデル会話で日本語を話そうとしますが、学びが増えるにつれ、自分のことばで話すようになっていきます。日本語で自分の伝えたいことが伝わった瞬間の、学習者の達成感と少しはにかんだ笑顔に出会うたび、私も笑顔になります。​

 今でも『みんなの日本語』を開くたびに、文型分析が出来ず、教案が書けなかった時のつらい記憶がよみがえります。実は、まだ分析できないままの文型も多く残っています。今は、街で耳にした表現を『みんなの日本語』に楽しく書き込んでいます。その一部をほんの少しですが皆さんと共有させていただきます。​

・緊急事態宣言が解除された時の街の声:「5人以上で飲めるようになりました」
(第36課 文型:~ようになりました)
・パンケーキ屋での高校生の会話:「これ、ヤバすぎ~」
(第44課 文型:形容詞+すぎます)
・公園で携帯電話を受けた人の応答:「今ウォーキングしているところ、後で電話するね」
(第46課 文型:~ところです)

 今、私は日本語教師養成講座で日本語教師を目指す受講生と一緒に日々授業を研究しています。受講生が持っている『みんな日本語』はまぶしいくらい白く、無限の空白が広がっています。私の『みんなの日本語』には、学習者たちとの思い出や、街中の声を切り取りながら書き込まれたことばが詰まっています。ことばの中には、人の想いがあります。伝えたい、伝えられないことばを大切に拾いながら、私にとっての『みんなの日本語』は、世界に1冊しかないバイブルとして今も進化し続けています。

bottom of page