#12
『ノラネコの研究』/伊澤雅子・文、平出衛・絵(福音館書店)
髙井かおり
「私は本を読むのが好きです」
いつの頃からか、人に訊ねられればこう答えるようになり、そう言っているうちに自分でもそうだと思うようになりました。私にとって本を読むことは楽しいことなので、日本語を勉強している学生にもぜひ本を読むことを楽しんでもらいたいと思い、今の職場で「多読」の授業を始めました。
「多読」の授業では、私も学生と一緒に本を読みます。授業では、普段は読まないような種類の本を読むことができるのが私にとって楽しみの一つです。その「多読」の授業でこの本に出会いました。
私は動物が嫌いではありませんが少し苦手です。なぜ苦手なのかというと、動物は何を考えているかわからないからです。一方、動物が大好きな友人は動物が何を言っているのかわかると言っていました。本当にわかるのかずっと疑問でしたが、この本の著者にはわかっているように思えました。本にはネコ社会のルールがいくつか紹介されているのですが、なるほど、あの行動にはこういう意味があったんだと、私の知らないことばかりでした。それがわかるのは、おそらく何回も何回も、そして長い時間の根気強い観察あってこそだと思いました。人間同士で言葉が通じても本当に何を考えているかはわかりませんが、つき合いが長くなり関係性が築かれてくとともにだんだんわかってくる、そんな感じなのかなぁと思いました。
このように、この本からは著者の「好き」がひしひしと伝わってきます。ほぼ24時間1匹のネコを観察し続ける気力の源は「好き」だからではないかと思うからです。しかも、そのネコは結果、24時間中18時間も寝ていたというのです。それを観察していて楽しいのかなぁと私は思ってしまいます。また、夜になってネコが寝ているのであれば、観察を終わりにして家に帰って眠ればよいのに、野宿をしてまでネコの側にいる(ずっと眠らずに観察していた訳でもない)のはなぜなのか。そのようなことを考えると、相当「好き」じゃなければできないのでは?と思ったのです。
そして、「好き」であれば、「好き」じゃない人が楽しくないとか辛いとか思うようなことでも楽しいと思えるはずだとか、一生懸命取り組めるはずだし、その結果上手にできるはずだとか考えていたことに気づきました。そう考える私は、だから何か「好き」なことは持つ「べき」だと考え、私は何が好きなんだろうかと「好き」を探すことになります。その際には、人の「好き」と自分の「好き」を比べてしまい、あの人がしているようにはできないから私は本当は好きではないと、自分のことなのにわからなくなってしまいます。
私は好きで研究を始め、楽しいと感じているから続けているにもかかわらず、論文執筆などがうまくいかなくて辛くなったりして、ふと投げ出したくなったりもします。そんな時には、本当は好きじゃないんじゃないかと思います。でも、「好き」で24時間ノラネコを観察している人だって、時にはうまくいかなかったり嫌になったりするのではないかと思いました。でも、やっぱり「好き」だから続けるのではないかと。
この本を読んで、「好き」のパワーを再認識しました。しかし、それと同時に、ずっと払拭したいと思っている私自身の考え方の癖、何でもつい人と比べてしまうことや「べき」だと考えがちなことも再認識してしまいました。これはもう何十年も私の頭のどこかにあって、これからもあり続けるんだろうなと思いました。ただ、こうやって何かの折に意識して考えることで少しずつでも変えられるかもしれないとかすかに期待しています。
紹介した人:たかい かおり