#10
自分だけじゃないんだ―クロード・モネ『睡蓮』
小島卓也
言語文化教育という文脈でモネという名前を挙げると、どんな反応が返ってくるのか、怖くもあり楽しみでもあります。今回取り上げるのは画家のクロード・モネの作品の一つである『睡蓮』です。残念ながら、私は美術に造詣が深いわけではありません。作品自体ではなく、作品にまつわるストーリーと私自身のストーリーがこの話の中心になります。
まず、この話を書くに至った理由を書き、想定する読み手や意図を明確にしたいと思います。この話を書く時点で、私は大学所属の研究者として2年目の駆け出しです。そんな私の研究内容や教育ビジョンに興味を持つ方がどこまでいるのだろうか。何を書こうか考え始めた時、そんな考えが頭の中に広がりました。では、現時点で私が伝えられるものの中で意味を持ちそうなものは何か。それは大学院生時代から研究者として駆け出しに至るまでの研究への取り組み方を共有することだと思いました。一人の大学院生として、大学、地域、国という垣根を越えて大学院生とつながり、思いや経験を共有し合う活動にこれまで取り組んできました。今回も、大学院生や大学院修了直後の人たちと一緒に前に進みたいと思いこのテーマを選びました。
小さい頃から見聞きしたことのあったモネの『睡蓮』にきちんと向きあったのは、シドニーの大学で博士課程の3年目をしている時でした。その頃、データ収集が終わり、データ分析を進め、博士論文を書き上げていこうとする段階にありました。当時の私の状態は混迷を極めたものでした。博士論文で求められたレベルは量も質もそれまでに取り組んだものと比べ物にならないほど高かったです。日本語環境で生まれ育った私にとって「英語で書く」ということも大きな重荷としてのしかかっていました。苦しい状況が続く中、いろいろな方からアドバイスをいただきました。しかし、自分の中では進展が感じられず、何度も「もう無理だ」という言葉が頭の中を駆け巡っていました。さらには、「こんな思いをしているのは自分だけなのでは」と考えてばかりいました。指が、思考が何度も止まりました。そんな時、日本に一時帰国をし、名古屋の美術館で開催されていた『モネ それからの100年』を訪れました。そこで目にしたのがモネの『睡蓮』であり、モネがいかに『睡蓮』に取り組んだかというストーリーでした。
その中で最も驚いた事実が『睡蓮』は300を超える一連の作品を指すことでした。晩年のモネは日本美術に影響を受け、家族と暮らす自宅に整備したといわれる「水の庭」を描き続けました。その水の庭に睡蓮があったため、これらの作品は『睡蓮』と呼ばれます。その連作の特筆すべき特徴は限られた構図の中でも陽光や空気感に多彩なバリエーションを持っていることだそうです。明確なテーマを持つモネが、遊び心を加えながら何度も何度も『睡蓮』を描いた姿が思い浮かびます。モネは完璧主義者の一面も持ち合わせていたようで、納得のいかない作品は世に出すことなく処分したそうです。つまり、うまくいかないことに伴う悩みや葛藤から自由だったわけでもありませんでした。それでも、画家であり続け、描き続けました。試行錯誤を繰り返し、新しい道を切り開いたモネを研究者と呼ぶのに違和感を感じないのは私だけでしょうか。
モネが、モネも、モネですら悩みながらも描き続けたという事実は当時の弱気な私の心を奮い立たせました。まだ、研究とは何かを学び始めたばかりでした。「うまくいかないことが当たり前の自分が立ち止まっていてどうするのか。うまくいかないとわかった時こそ前に進むチャンスなのだ。やりたいから、好きだから、楽しいからこの道を選んだのだ。モネのように遊び心を持って色々な課題へのアプローチを試してみよう。」うまくいかないことを何とかしてやろうという前向きな姿勢に変わりました。頭を動かすこと、指を動かすことが苦にならなくなりました。周囲からの厚いサポートも続き、無事に博士論文を書き上げることができました。
私の研究の土台は、学習は社会的な営みであると考える社会文化アプローチです。このアプローチは、できないこと、助けを借りてできること、そして、一人でできること、という三つの発達段階が想定されています。できないことが、助けを得てでき、徐々に一人でできるようになることを学びとみなしています。学習過程で「助けを得る」ことを重要視していると言えます。人は一人でできることは限られている。人と一緒に何かを上手にできることは大切だ。こういった考え方は私の軸をなしており、否定できません。一方で、本当に必要な助けを知るために、自分なりに課題に挑み続けるのも大切だというメッセージが隠されているような気もします。人任せになってはいけないだろうともう一人の自分が声をあげているのかもしれません。そのような取り組みは悩みや葛藤が伴い、楽しいばかりではないと思います。しかし、待っていれば誰かが必要なことを全て教えてくれるのでしょうか。誰かが代わりに学んでくれるのでしょうか。やり切ったと思えるところまで自分でやり抜く覚悟と強さも学びには必要なのだと言えるのではないでしょうか。
当時の私は「教えてもらう」と「学んでいく」の間にある壁を乗り越えようとしていたのだと思います。大学院生の孤立が大きな課題の一つとして取り上げられるオーストラリアの大学院であっても、私は恵まれた環境にいました。先生や先輩が勉強会実践コミュニティを運営し、学び合う場をいつも確保していてくれたからです。とはいえ、先生や先輩が一から十まで手取り足取り教えてくれるわけではありませんでした。勉強会の場に参加し、議論を聞き、学び、時になんとか貢献しようとする中で大切なことに気づくことが求められたのです。今では、そのような経験に感謝しています。教えてもらってばかりいては、できる限り自分の頭で考えようとする姿勢が身に付かなかったはずだからです。先生や先輩も研究に関する悩みや葛藤を経験し、乗り越えていたのではないでしょうか。先生や先輩は研究者になるプロセスを理解した上で、あえて一歩下がったところから見守っていてくれたのでは、と今は思っています。モネの『睡蓮』を知り、表面上は見えない一人一人の時間にまで想像が行き届き、そんな先生や先輩の意図にも気づくことができました。
暗闇の中を歩くのはいつも不安です。時には、こんなに大変なのは自分だけなのだろうかと思ってしまうのも仕方がない気がします。自分のことで精一杯な時はなおさらです。しかし、私は一人ではありません。きっと、多くの先輩たちが同じようにつまずきながらも自分の足で歩いてきたはずだからです。ずっと一人で歩き続けなければいけないわけでもありません。周りには見守ってくれる人がいるからです。博士課程を修了した今でも、新しいことへの挑戦の毎日が続き、何事も簡単にはいきません。大変ですが、十分だと思えるまでは自分の足で歩いてみたいと思っています。
紹介した人:こじま たくや