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#08

山崎豊子さんの本『大地の子』

瀬井陽子

わたしが「大地の子」を初めて読んだのは、日本語教師としてタイで働いていた時でした。初めての海外での一人暮らし、夜は出かけられる場所も近所になく、時間がある日は手に入る日本の本を片っ端から読んでいました。「大地の子」は、その頃読んだ本の中で、一番印象に残っています。文字を読んでいるはずなのに、敗戦直後の満州や戦争孤児の様子が映像で頭に浮かんだのは、作者の山崎豊子さんの表現力、構成力によるものですが、何よりも緻密な調査、取材によるところが大きいのだと今は感じています。

「大地の子」は、「白い巨塔」や「不毛地帯」などの作品でも有名な山﨑豊子さんの作品で、ドラマ化もされたのでご存じの方も多いと思いますが、少しだけあらすじについても触れたいと思います。物語は、7歳の頃に満州で戦争孤児となった主人公の陸一心が27歳になった1966年、文化大革命の頃の工場の広場から始まります。日本を離れ、20年もの時間を中国人として生きていた一心が、日本人の血が流れていることを理由に差別を受け、働いていた北京鉄鋼公司から「労働改造所」に送られ囚人として過ごすことになります。5年半の労働改造所での暮らしののち、一心は釈放されるのですが、製鉄現場には戻されず、日中国交回復の流れを受けて、重工業部で日本語を使い日本と繋ぐ仕事を命じられます。時代の変化とともに、中国と日本の間で生きていくことになる一心を中心に、一心を引き取り育てた養父、日本で戦争孤児を探す実父、家族、同僚、上司、労働改造所で出会った人々、など様々な登場人物が描かれています。

はじめに「この作品は、多数の関係者を取材し、小説的に構成したもので、登場する人物、関係機関なども、すべて事実に基いて再構成したフィクションである」と書かれていて、それもあって、読み始めてから400ページぐらいは読んでいてとても苦しくなります。でも、だからこそ戦争を体験していない私を含め、たくさんの人にその時の状況を伝えるために書かれたのだと思いました。あとがきによると、作者の山崎豊子さんは、この小説の執筆にあたり、中国で三年間取材・調査を行っています。取材・調査期間は、国家機関、労働教養管理所、労働改造所を取材し、戦争孤児と養父母の家を訪問し、農村でホームステイをした、とも書かれており、会って話を聞いた人は中国人と日本人合わせて千人以上、参考文献が百六冊にのぼります。執筆期間の5年を合わせると8年がかりの大作です。この小説を読んだ時に苦しくなるのは、このように実際の場所に足を運び、たくさんの人の声を聞いたからなのだと思いました。

私が初めて「大地の子」を読んでから数年、大学院に進学し、出会った研究は質的研究でした。研究協力者の声をじっくり丁寧に聞く、それらを分厚い記述にして伝える、という手法は、私にとってよく理解できました。もちろん小説と研究は同じではなく、研究の場合は学術的な位置づけを述べ、分析を行い、明らかになったことを論理的に書いていかなければならないわけですが、声を聞き、記述していくことが中核をなすという点で、とても重要な部分が共通しています。

私は今、第二言語として日本語を使って生きる学習者に研究協力を依頼し、質的研究をしています。インタビューを行い、その人にとっての日本語とはどのようなものなのか、使えるようになりたい日本語はどのようなものなのか、というのを聞いていき、文字化して、繰り返し音声を聞き、そこから文章を書いています。まだまだ未熟ですが、これから続く研究者としての時間、自分の研究課題を時に様子が目に浮かぶような、そして時に読む人が感情移入するような、そんな風に記述していけたらと思っています​。

紹介した人:せい ようこ

紹介した本の情報はこちらから(Amazon)

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