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#06

班忠義さんの本『曽おばさんの海』

米本和弘

私が育ったのは、大阪の中国帰国者が比較的多く住む地域でした。と言っても、それを知ったのは、その地域で15年以上生活した後の、大学4年生の教育実習の時でした。母校の中学校で教育実習をしたのですが、その時、私が通っていた頃にはなかった日本語教室があることを知りました。それと同時に、私が通っていた頃から、母校には多くの中国帰国生徒が在籍していたことも知りました。

大学で日本語教育を専攻していたこともあり、教育実習の間、日本語教室での授業にも参加することができました。当時、中国帰国者に関する知識はあったものの、実際に接するのは初めてだった(と思っていた)私に、日本語教室の先生が勧めてくださったのが『曽おばさんの海』でした。『曽おばさんの海』では、曽おばさんという一人の中国残留婦人の半生を中心に、中国残留婦人や孤児が時代や国家、社会に翻弄されながら、孤独の中で自分は何者か悩み、そして、どう生きていくのか葛藤する姿が、著者の視点を通して描かれています。もちろん曽おばさんが経験してきたことを描いているからということもありますが、その時、私の目の前に、曽おばさんの孫にあたる世代が実際にいたということもあり、日本語教育が歴史と、現在が過去と切り離せないものであることをとてもリアルに感じたのを覚えています。

学部卒業後も一年間、同じ母校の日本語教室で臨時講師として中国帰国生徒の日本語教育に関わることになりました。私が接していた中国帰国生徒は、曽おばさんほどは波乱万丈な人生は送っていなかったかもしれません。また、他の中学生と同じように、中学生らしい、楽しいこともたくさんあったと思います。しかし、私自身は、彼らのように、例えば、両親が銀行の手続きをする際、通訳として付き添うために学校を早退しなければいけなかったこともありませんでしたし、自分の話すことばが中途半端だと不安になったりしたこともありませんでした。そんな私が、移動によって何か大切なことを諦めたり、様々な問題に直面したり、葛藤したりしている生徒と、どのように向き合うことができるのだろうかと、彼らについて知れば知るほど、考えるようになりました。今、思い返すと、これが学習者はどのような経験をして、どのように考え、そして、自分自身をどのように見ているのか知りたい、話を聞きたいという現在の興味につながっているのかもしれません。

また、私はその地域に15年以上も暮らし、小学校や中学校にも通っていたにも関わらず、どうして中国帰国者との接点に気づかずに過ごしてきたのでしょうか。もしかすると日本語教育というものに関わっていなければ、そのことに気づきもしなかった可能性もありますし、知らず知らずのうちに、曽おばさんに孤独を感じさせてしまうような社会の一部になっていたのかもしれません。そんな気持ちが、単に日本語を教えるだけではなくて、日本語教育というものを通して、教室の外へも働きかけていきたいという現在の気持ちにつながっているように感じています。

紹介した人:よねもと かずひろ

紹介した本の情報はこちらから(Amazon)

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