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#02

那須正幹さんの本『ズッコケ財宝調査隊』

南浦涼介

それは学級文庫にあって,クラスの中でよく読まれていた。

昭和64年が1週間ほどで終わり平成になった1月。小学校3年生の冬。

僕はちょうど兵庫県の宝塚市から,同じ県内の猪名川町に転校してきたばかりで,まだクラスメートのことをよく知らなかったのだけれども,その本が「絶大な人気」とまではいかないけれども,いつもそこそこよまれている本だったことは知っていた。

たまたま教室の後ろの廊下側の席だったので,後の廊下側にある学級文庫の棚の借りられ状況はよくわかったのだ。『ズッコケ財宝調査隊』それがその本のタイトルだった。

当時は全然知らなかったのだけれども,80年代の子どもたちの中でかなり人気のあった,那須正幹さんの「ズッコケ三人組シリーズ」の初期の1冊だった。もちろんそのときの僕はそんなことは知らず,単体としての『ズッコケ財宝調査隊』だったのだけれども。

ある日,その本が誰にも借りられておらず,僕は手を伸ばすことができた。

『ズッコケ財宝調査隊』は,当時の僕にとってはちょっと難しい話だったところもある。今みても本の構成は少し変わっていて,いわゆる「ズッコケ三人組シリーズ」の中でもやや異色の構成だ。

まず,「プロローグ」が2つある。

「プロローグ1」では北京原人の化石が第二次世界大戦前の中国の北京郊外で発見され,それが大戦の最中忽然と行方知れずになり,なぜ消えたのか,どこに消えたのか,今もその北京原人の化石の行方は見つかっていないという,北京原人の化石消失に関わる実際に起きた歴史の解説だ。この時点では9歳の僕にとってはすごく難しくて多分当時は完全には理解できていなかった部分かもしれない。

その歴史解説の後に「プロローグ2」がはじまる。プロローグ2は,太平洋戦争末期,朝鮮半島から日本に向けて,日本の陸軍の飛行機が2人の軍人と荷物を密かに運んで飛ぶという話。そして日本上空に来たときに米軍に追撃されて日本の山中に墜落してしまうと言う話である(ここは物語になっていて読みやすかった)。

そしてようやく本編がはじまり,ズッコケ三人組の主人公であるハチベエ・ハカセ・モーちゃんが林間学校で中国山地を訪れ,そのまま林間学校の後,近くのモーちゃんのおじいちゃんの家に三人で泊まるという話がはじまる。そして,モーちゃんのそのおじいちゃんの家で,戦時中に村の崖から落ちて亡くなった当時中学生だったモーちゃんの伯父さんの話を聞かされ,さらにモーちゃんの伯父さんが戦争末期に村に飛行機で不時着した軍人を家で看護しており,そのおじさんが,今はダムになっている当時の村の山の中に,何か宝物を埋めていたという話を聞くという話だった。そして三人組はモーちゃんの伯父さんが亡くなる前に隠したという宝物を探すことにする──という話だった。

その後の展開は詳細には書かないが,話の構成の難しさはあっても,宝探しをする話の流れ,モーちゃんの伯父さんの死の謎,戦時中の日本史と物語がつながっていく展開,子ども心に,いや,今書いていてもドキドキわくわくする話だった。僕は読後,このズッコケ三人組がシリーズ本であることを知って,近所の本屋に行ってみると確かに他にも数冊おいてあった。お小遣いをためてさらに1冊買い(たしか『謎のズッコケ海賊島』だったと思う),これもとてもわくわくした話だった。

春になって,4年生になった。僕自身も転校してきて3ヶ月ほどしかたっていなかったのだけれど,当時転校してきた同じクラスになった野田くんと僕はとても馬が合った。そして野田君の家には,僕が当時1冊しか持っていない「ズッコケ三人組」を全部持っていた。本棚にずらりとならぶのは圧巻で,僕は野田君の家でズッコケ三人組を読みふけった。ズッコケ三人組が面白いのは,上にもあるようにけしてプロット自体が子どもにこびず,大人でも面白いとおもえるものになっているところ,それを子どもの知的な好奇心をくすぐるかたちで「謎」や「冒険」の物語に組み立てていく。ここが僕を,そしてたぶんあの80年代小学生たちを魅了した部分だった。

4年生が終わったと同時に野田君は東京に引っ越した。

僕はひきつづき阪神間の田舎町で5年生をした。僕が過ごしたこの猪名川という町は,校区内に平安時代から明治時代まで栄えた銀山があって,銀山地区には当時の間歩(鉱洞)がいろんなところにあった。豊臣秀吉や徳川家康が直轄地にし,大阪の豊臣家の財産はこの銀山から産出されたものがかなりを占めていたらしい。そして,豊臣秀吉が埋蔵したという埋蔵金伝説もあった。ネットで調べるといろいろ出てくるのだけれど,今も日本の埋蔵金伝説としては最大の埋蔵額で,それがこの銀山の山々のどこかの穴の奥に隠されているというのだ。今では安全面から学校では考えられないけれど,「社会科見学」として,実際に学年全員で先生の引率で,当時30年以上埋蔵金を発掘している人の案内で,間歩の中を見学したりしたこともあった。僕と,5年生のころに仲のよかった金瀬くんと住田くんはこの埋蔵金伝説にたいへん魅了された。

そして,ある日,校区内の林の中にあった滝壺(と呼んでいた,ちょっとした小川の落差のある場所)であそんでいたところ,

「うおおおお」

と叫びながら向こうであそんでいた金瀬君が血相を変えて戻ってきた。

「なんだ,何があったんだ?」

と僕と住田君が金瀬君にたずねると,彼は息を切らしながら

「こ,こんなものがあった。見てくれ…」

と右手に握りしめた紙切れを差し出した。そこには…暗号の文字のような日本語の羅列があって,黄ばんでいて,ところどころ破れていて,どうみても宝の在処の書き付けにしか見えなかった。僕らはダッシュで道路に戻り,それを見た。

「東ニ段アリ 北東ニ橋アリ」とかそういうふうに縦書きに書かれていたと思う。それ以来僕らはこの書き付けに夢中になった。町役場までいって,詳しい町の地図をもらいに行ったり,それを見て,「北東にある橋」を探したり,段を探したり。銀山の間歩の中にも入った(入ると数メートルで竪坑になっていて怖くなって戻った)。

一向に秀吉の宝は見つからないまま冬になったけれど,僕らは諦めていなかった。ときどき,その書き付けが学校で使っている黄色いクロッキーノートによく似ていたり,鉛筆で書かれていることに疑問を持ったりもしたけれど,クロッキーノートではなくて黄ばんだ和紙だと言い聞かせ,鉛筆を最初に使った日本人は江戸初期の水戸光圀だったことを調べて,「江戸初期なら豊臣秀吉も使ってたかもな」と言い聞かせ,たまにあれは金瀬君が宝を探したいために自分で書いて発見したかのように僕らに見せたのではないかと思いながらも,僕らは銀山を歩き回った。まるでズッコケ財宝調査隊だ。三人組だし。野田君もいたらもっとたのしかっただろうな。そう思いながら僕は魅了されていた。

もう途中からは宝探しのことなどすっかり忘れて,あそぶことの方が楽しかったと思う。

6年生になって,クラス替えがあって(当時ニュータウンの人口増加で毎年学級が増加して,毎年クラス替えがあった),こうしたこともなくなってしまった。でも,5年生の3月のころ,クラス替えでもうこのクラスがなくなるというころのこと,金瀬君の家から住田君と一緒に帰っていたときにぽつりと住田君が言った

「あの書き付けはきっと金瀬がつくったんやろうな」

「せやな」

と僕は続けた。ああ,とうとう言ってしまったか。と僕は思った。ところが住田君はこう続けた。

「でもオレ,それでもいいと思うねん。おかげでこの町のこと,色々知れたし」

夕陽をバックにした住田君のこのつぶやきはかっこよかった。そして僕らはクラス替えと共にべつべつになった。小学生の冒険は,クラス替えと共に終わったのだった。6年生になるとどうも,気分的に宝探しといっていられない感じになってきたのもあるのかもしれない。

僕はそれから15年ほどたって,小学校の先生の仕事をした。

そのときも,「大人でも面白い。謎と冒険があれば子どももそれに取り組める」という授業をすることの基盤になっている経験だと思う。

そしてさらに10年たって,僕は山口で教員養成の仕事をしていたとき,隣の市に那須正幹さんが住んでいることを思い出した。「子どもが背伸びしてでも読みたくなる本をつくることと,子どもが背伸びしてでも学びたくなる授業をつくること」には共通点があるのではないかということで,みんなで那須さんのお話を聞くという会を開いた。

残念ながら,すでに2010年代の学生はすでに「ズッコケ世代」ではなかったこともあって,参加者は少なかったのだけれども。でも,那須正幹さんの話は,子どもに冒険をさせることの大切さの話に満ちていた。「親が心配するくらい冒険をさせる」というのは,教育でいえば「子どもはこれくらい」ということで大人が片付けてしまわない「知的冒険」をさせていくこと。「知的」なだけでもなく,「冒険」であること。

今僕は,日本語教育の分野にけっこう足を踏み入れ,その視点から子どもたちの教育を考えている。「子どもだから」「外国人だから」「困っているから」ということで片付けるのではなく,やっぱりそこで「背伸びするくらい冒険をする」面白さを大事にしていきたいと,そう思っている。

平成が終わり令和になった今,平成の30年間をかけてズッコケ三人組は,僕の血と肉になった。

折しも平成の最後,東京で30年ぶりに再会した当時のズッコケ仲間の野田君と高円寺で飲んだ。お互いいい大人になったのに,4年生のあの頃しか時を共有していない僕らはやっぱり「ズッコケ三人組」の話だった。もう「組」として動くことはできないけれど,僕も,野田君も,それぞれの世界で冒険をしていることはよくわかった。

30年ぶりに会った野田君と駅に向かう。高円寺の街の光は,消えた北京原人の骨よりも,見つからなかった秀吉の宝よりも,まぶしかった。

​登場人物の名前は仮名です(ハチベエたち以外)

紹介した人:みなみうら りょうすけ

紹介した本の情報はこちらから(Amazon)

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