第18回
大人とは遠くにありて思ふもの
お客様:山系応用言語学者 佐野愛子さん
客がいない時の最近のママのお気に入りはネトフリ。
最近うっかり韓国ドラマ「愛の不時着」をみて、沼入りしてしまった。そんなママにとってここ数日のロシアのウクライナ侵攻はドラマから抜け出したような戦争のニュースですっかりブルーだ。
어떤 날엔 그대가〜(ある日にはあなたが~)
マキコママが焼酎のお湯割りを片手にしんみりしっとり韓国ポップスを口ずさんでいると
マキちゃーーーーーん!!!
とムードをぶち破って登場。
眩しい!
どよーんとした暗い空気にものすごい照度の高いライトの塊が転がり込んできた。
アウトドアウエアにニット帽に丸めがね。
愛子ちゃんだ。
「あ、愛子ちゃん、、、いらっしゃ~い。」
「まきちゃん何暗い顔してんさー!のものも!」
愛子ちゃんはマイボトルをカウンターの中から勝手に取り出してきて自分でグラスも出して豪快に飲み始めた。
愛子ちゃんはママと同じ歳。北海道で生まれ育ち、イギリスとカナダで学んだ。高校や大学で英語教師をしながら、北海道の冬山回りを精力的に行っている。ママは趣味がいじけることなので、愛子ちゃんは憧れの存在だ。
「えっと、愛子ちゃんはさ、とにかく私から見たらほんとうらやましいぐらい強いっていう感じするんだけどどうやって辛いこととか乗り越えてきたの?」
「えー、多分だけど、すごい辛いっていうことをあんまり感じないっていうか、
なんかもっとすごい辛いことあったよねって思っちゃったりとか
後もっとすごい辛い思いをしてる人っていっぱいいるよねとかっていうことを思うんだよね。
例えばちょっと理不尽な目にあったとかなって腹立つわってなっても、例えば今だったら
もうプーチンに理不尽な仕打ちをされてるウクライナの人が受けてる理不尽な仕打ちを考えれば、ま、私の受けた理不尽な仕打ちなんてほぼ大したことないっていうか
なんかそういう感じね」
「確かに。もう今はもうウクライナで頭いっぱいだよね」
「もうあれは理不尽以外の何者でもない。幸せな生活が一気に破綻してしまうっていうか、そういうことってもう本当に世界中あるし、歴史上いっぱいあったし
なんか自分のおじいちゃん、おばあちゃんの世代とかもさいっぱい色んなことをやっ乗り越えてきてるからあれを考えればさほぼ大したことないなみたいな感じ」
「確かにプーチンとヒグマ比べたらどうってことないという感じ?」
ママは愛子ちゃんの武勇伝に水を向けた。愛子ちゃんは実は北海道の冬山でテント設営中、雪の中で冬眠中のヒグマを掘り当てたことがある。そしてもう1人が走って逃げるなか、絶叫した愛子ちゃんに驚いてヒグマの方が逃げたらしい。
「そう。ヒグマの話もだけどね、今言った話は世界のすごい話になるんだけど、
でも後は自分の体験の中でもっと苦しい思いをしたことはいっぱいあるな
とかもっと怖い思いをしたからことはいっぱいある。それは結構そのあの学生時代に
山やってた時のことが多くて、冬山でラッセルっていうんだけどあの雪の中をさ、こいで歩く、一番最初の人が一番辛いわけよ。でその後に続く人はだいぶ楽なんだけど最初の人をラッセルするっていうんだけどラッセルやってる時のあの辛さ。それで考えると別に大したことはない。で、そのクマに会った時の怖さを考えると全然怖くない。ヒグマにあったからもう圧倒的に負けるっていう対象だった。それを見たことがあるっていうのは自分の中がすごい強さだと思ってて多分なんかまあちょっと傲慢な言い方になるかもしれないけど
普通に暮らしてるとさ、人間ってさ自分が死ぬかもっていう感覚ってさなんか薄れていっちゃう。っていうかでまあ特に日本とかにいるとなんか自分がいきなり殺されるかもしれないっていう風に思ってないんじゃないかな。で、あの自分より凄い強い者がいると
あんまり思ってない。物理的にないけども完全に強いんだよ。
一方的に存在としての負け感がある。刃向かっても無駄っていう感じの。あのジュラシックパークで出てくるティーレックスみたいな感じなんだよね。高いんだよね。
もちろんテレックスの方が大きいけど、でも気持ち的にはもうね、圧倒的に勝ち目はないっていう。」
「そうだよね。でもそもそもね。何でそんな危険な思いまでして山に行きたいのって思うんだけど」
「別に危険な思いをしに行ったんじゃないけど。」
「それは本当に綺麗なんだよあ。特にその何だろう。大雪山とか北海道で山行ってたからさ
あんま人がいないんだよね。基本的に山入ってて人に会うってことはほとんどない。冬とかは絶対なくて、もうその中で一人でこう自然に向き合っている。っていう感覚はものすごいなんか敬虔な気持ちにもなるし。まそれもクマと一緒だけど。アイヌ語で神は熊と自然と同じカムイって言葉で言うんだけど、その本当にあのその自分よりも強くて美しい存在っていうのと自分がこうぽつんといるっていう感じはさ、なんかすごくその宗教的な感覚にも近いぐらいすごい透明なあの気持ちになるっていうのもあるし
あとは実際に本当に風景。冬とかめっちゃきれいだよ。みんな冬って真っ白な世界だと思うでしょ。だけどその光がめちゃめちゃきれいで。雪が風でこう模様ができて波をうってるわけよそこにこう朝方とかだとまあ日が昇るちょっと前とかだと新見南吉じゃないけどさ
コバルト色のさ、影がこう貯まるわけよね。そこへね。そこにこう朝日がばっとさすじゃない。そうするともう金入るとオレンジみたいな光がさこっち側の逆の目のところに
ばっとあってある訳で遠目に見るとそのコバルト色と金色の縞々になるみたいな
じゃでも鳥肌立つほど綺麗で今でもはっきり思い出せるけど、
その冬山のまた日が沈んだ時のものすごい深い青とかは多分もう完全に雪の世界の
中にいないと感じない美しさだし、そこに星なんて出てきたら、もう鳥肌立つんだよね。
「それってさ、ドローンとかじゃ無理だよね」
「多分やっぱね全然感動が違うね。やっぱその五感じゃない?人間の感じで
それでその雪の中って凄い静寂だし。あとその空気のピンと張り詰めるような透明な冷たさとかもあるし何かそういうものが全部がなんかこう自分を綺麗にしてくれる感じだから凄い冬山好きなんだよね」
「ねえ、愛子ちゃんにとって大人って何だと思う?」
「大人?いきなり来るよねー!」
「大人か大人って何だろうな。大人ってやっぱり難しいな。
本当にずっとうんずっと子供のまま来たからなあ
ロバートサーヴィスっていう人の詩の中に
そういうのがあって
子供のキラキラとした好奇の眼差しで
とかっていう感じで始まるんだけど
世の中の全てを見てみたい
小さなあの砂粒から
大きな星までも
全て意味を持って
そこにあるんだ私は
その全てをこの目で見たい
っていう詩があって私はずっとそうなのね。
何でも見たいし、なんでもきれいなものがあるだろう
何でも楽しいことがあるだろうって思って
それを全部見たい全部やりたいってずっと思い続けてる
だから大人になるっていうことはその本当は
すごくポジティブに捉えるべきなんだろうけど
まだわかってない。
五十年近くなってでもいつかは大人に、ちゃんとしたみんなが尊敬する
大人になりたいなと思うんだけど、多分なれる気がしないっちゅうか
大人になれる気がしないっていう。子供って楽しいよねって。楽しいこといっぱいあって
やりたいこといっぱいあってやってると大人にならなさそう。」
「大人とは遠くにありて思ふもの」みたいな?
「そうそうそうそんな感じ!「いつかなりたい大人」みたいな!」
愛子ちゃんらしいなあ。と思いながら、また世界情勢に思いを馳せるマキコママ。
「みんながそうやって子供の気持ちでいたら世界ってどうなるだろうね」
「ちっちゃい子と歩いてるとさ本当どうでもいいものに
凄いわくわくするじゃない?それって凄い素敵だなって思うし。
例えばさうちの息子とかもちっちゃい時、きれいな石ころ拾ってきてさ、私に見せて、家に持って帰るんだよね。なんかね全然違う視点で世の中楽しいことがいっぱいあるんだろうなって思って」
「世の中の色々なものをね、自分の見方で楽しめていたらなんか戦争とかね興味なくなると思うんだけどね」とママ。
「子供って基本的にさなんかさすごく楽しいものを見つけて
それを共有してくれるじゃん必ず親とか友達とかにそれそれが一番凄いことで
なんか独り占めにしないじゃん。きれいなものがあったらきれいなきれいなものがあったよって見せてくれるって言うか。それはなんかずっと自分の原点なんだと思う
だから多分言葉のこととか教育のこととか好きなんだと思う」
これからもね。なんかこうなんていうの
感動を伝える言葉っていうかねことね
感動を支えに生きるっていうのをうんなんか
みんなが楽しめる世の中を作る為に願望みたいね」
じゃーねー!!
バタン。
賑やかな時間が終わり、また静かなスナックに戻った。
愛子ちゃんの明るさやキラキラにすっかり当てられ、ママの湿った気持ちも少し乾いた気がする。雪山か。今度行ってみようかな。でも寒いの嫌だからまずはバーチャルツアーかな。
スナックマキコの大人エレベーター。それは、様々な文化を育む大人が場末のスナックに語りにやって来るエレベーター。次回はどんな客が訪れ、何を語るのだろうか。乞うご期待!
スナックまきこ
文 西のマキコママ
イラスト 西のマキコママ