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第16回

「教材」としての大人

お客様:普賢寺住職 小野常寛さん

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冬が来た。入試の季節である。緊張と寒さで体をカチンコチンにして入試会場に向かった朝。使い捨てカイロで暖を貪った雪道。そんな遥か昔の光景を思い出すまきこママ。一番寒かった入試は、人生初の入試となった比叡山高校。京阪電車石坂線の終点で降り、何日も前に降った雪が車のタイヤでぐちゃぐちゃに乱され、轍がでこぼこに凍った道を転びそうになりながら試験会場に向かったっけ。クラスメイトと一緒だったが滑って転ぶと痛いし縁起が悪いし、ただただ無言でカチカチの路面だけを見て歩いた。筆記のほかに面接もあった。中学の担任から面接対策として覚えろと言われたのが「一隅を照らす、これ即ち国宝なり」という理念である。言わずと知れた天台宗の開祖、比叡山延暦寺を開いた伝教大使最澄の教えである。最澄さんはその昔からSDGsの重要性を見据えていたんだな、とママは思う。まあそれはともかく、あの比叡山ではめちゃくちゃ寒くてストイックな一日を体験した。入試は春か秋にすべきだわ、とママは身震いする。そこへ…。

チーーーン。

小野:こんばんは。

 30代半ばの剃髪の男性がエレベーターから現れた。その凛とした姿から、一瞬後光が差すようにスナックは清らかな空気で満たされた。

ママ:小野さん! いらっしゃい。お勤めのお帰りですか。
小野:いいえ、先輩のお供で飲み会に行ってその帰りです。烏龍茶をいただけますか。

 小野さんは東京都府中市にある普賢寺の住職である。祖父、父を継いで43代目。

ママ:お坊さまはお酒は召し上がらないんですね?
小野:いえいえ。8割は飲みますね。私は体質的に難しいんです。

 そういえば、姫路にお坊さんの親戚がいたけど大酒飲みだったな、とママは思い出す。

ママ:私、お坊さまには「修行」っていうイメージが貼り付いていてストイックさを勝手に想像してしまうんです。             
小野:修行は大変なことは大変ですけどね。
ママ:そういえば、小野さんのお寺も天台宗で、延暦寺に修行に行かれたんですよね? 期間は?
小野:トータルで1年以上。
ママ:どんなことするんですか? やはりストイック?
小野:そうですね、身体的にも精神的にもキツいですね。

 小野さんは、修行について説明してくれた。小野さんの修行には百日回峰行が含まれる。これは、100日連日、夜中の1:30~2:00に起床して比叡山を歩いて一周し、その後掃除、朝食の用意をしてから法要などのお勤めをするというものである。一周、7里半。約30キロメートルである。この7里半という距離には意味がある。8里の「8」は「八百万の神」に使われるように「満足」を表す。8里に満たない7里半を歩いて礼拝することは「未完」を表し、修行の継続を意味するのである。

ママ:比叡山一周って何時間かかるんですか?

 ママは結局比叡山高校ではなく自宅から徒歩圏内の高校に入学した。比叡山には高校の遠足で行ったことがあるし、高校の友人たちとキャンプをしたこともある。成人式の日には幼馴染たちとグネグネ道をドライブもした。比叡山の道は険しく、天狗に出会ってもおかしくないような深い深い森が広がる。そのような山を一周するというのはさぞかし骨が折れる修行だろう。

小野:最初は慣れないので7時間くらいかかりました。慣れてくると5、6時間かな。
ママ:それを毎日、100日間も!! すごいですね。
小野:修行の時は幸せの沸点が下がるんですよ。
ママ:え? 下がる?
小野:目が見えること、息をしていること、そんなふつうのことが非常にありがたく思えるんです。
ママ:はあ、なるほど!
小野:修行はもちろん今の住職の仕事に直結してますし、生き方とか考え方がそのまま仕事につながっているというのは幸せなことです。
ママ:ふーむ。生き方=働き方ね。スナック業もそう言われると、そうかも! じゃあ、一番楽しいことはなんですか?
小野:楽しいこと…。うーん今は子育てかな。
ママ:あら! 素敵ですね。そういえば一時期「イクメン」なんて言葉が流行しましたけど、今や男性が育休を取るのも当たり前の世の中になりましたね。
小野:仏教の世界って、男性は外、女性は家庭ってのが伝統でしたけどね。男たるもの台所に入るべからず、みたいな…。でも、子育ては修行中の小僧生活と似ています。赤ちゃんが仏さんにあたるなあ、と。オムツを変えたり身の回りを世話をしたり。ミルクをあげるのはお供えに似ている。

安穏としていていいなあ、とママは自然に笑顔になる。

小野:あと、楽しいのはメダカの飼育。大きな甕を境内に置いて飼ってます。
ママ:へ〜。メダカ〜。

 甕の中でチロチロと泳ぎ回る小魚を想像し、ますます安穏としていいなあ、とママはぽけ〜っとしてしまう。

ママ:小野さん、人生で一番大切なものって何ですかね。
小野:え。難しいこと聞きますね。
ママ:あ、すみません。癒しの説法を聞いているようで、ディープなところが聞きたくなりました。
小野:心ですかね。
ママ:心?
小野:全ては人の心次第だと思います。目の前の出来事や物事をどう解釈し、どう良いものにしていくかは心が決めることでしょう?

 はっとするママ。店に客が来ないのは政策が劣悪だからだとか、コロナのせいでオンライン飲み会が増えてつまらないとか、不満ばかりが積もる毎日。

小野:心を変えれば世界は変わります。
ママ:うーーーーーーむ。

 唸るママ。政策やコロナのせいにせず自分の心を洗わねば。

ママ:では、もう一つ。大人って何でしょうか。
小野:またもや難しいことを…。

 ママは期待のまなこを小野さんに向ける。

小野:「教材」ですかね。
ママ:きょ、きょうざい?
小野:人は、どうしようもない大人になったり、素晴らしい大人になったりします。大人には一つの結果が出ている。それは、子どもの時にいろんなことを教えてくれる大人の影響です。大人は子どもの教材だと思います。
ママ:なるほど…。
 スナックマキコの第1回目のお客様、「灯を受け継ぐ大人」の和谷篤樹さんも同じようなことを言ってたな…。(気になる読者は第1回目を読んでね♪)
ママ:だけど、こんなヤツにはなりたくないって大人もいるでしょ?
小野:反面教師って言葉があります。そうなりたくないっていう人も教材の一つですよね。
ママ:なるほど〜。 今夜はとっても寒いけどなんだか心はポッポと温まりました。近いうちに京阪電車で比叡山に行きたいわ〜。

スナックマキコの大人エレベーター。それは、様々な文化を育む大人が場末のスナックに語りにやって来るエレベーター。次回はどんな客が訪れ、何を語るのだろうか。乞うご期待!

(了)

本文:東のマキコママ
​イラスト:西のマキコママ

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