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第13回

自分より相手を優先する大人ん

お客様:兵庫県立伊川谷北高校教諭 原西浩孝さん

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…なんですか?大人って?
…自分のことより相手を優先に考える人かな

さよなら夏の日。スナックまきこの店内を山下達郎の澄み切った声が響いている。無観客の全国高校野球大会が終わった。まきこママの故郷の代表チームがベスト4に進んだものの、強敵に敗れ、その強敵が優勝を果たしたそうだ。ママは試合を一つも観なかった。オリパラも見なかった。毎日心が荒むようなコロナ情報が流れ、疲れてしまうからである。それでもスマホにバンバンとフェイクニュースっぽいのが入ってくるので、ヤマタツの歌声で心を浄化している。そこへ…。

チーーーン。

原西:おう! 元気か?

 ガッチリ体型の男性が現れた。真っ黒に日焼けした顔面と短髪のシルバーグレイのコントラストが、ジャイアントパンダかシャチを彷彿とさせる。ヤマタツの澄んだ歌声がどうもマッチしないので、ママはBGMをオフにした。

ママ:原西さん、久しぶりやん。部活帰り?
原西:県大会の試合帰り。負けた。トーナメントやし、もう夏が終わった。何も考えられへん…。
ママ:そら残念やったね。お疲れさん。何飲む?
原西:あれ、あるやろ? 鮭とばもあったらちょうだい。

 ママは冷蔵庫からサッポロCLASSICを2缶取り出した。小皿にバサバサっと鮭とばを盛り、原西さんの前に置く。二人はプシュッと缶を開け、間の抜けた「カンパ〜イ」をつぶやく。

原西:うっまいなあ、やっぱクラッシックは!
ママ:なんで、それ好きなん?
原西:俺らの高校、修学旅行が北海道やねん。ルスツでスキーして、その後札幌泊まるねん。下見も入れたらもう6回くらい行ってるわ。クラッシックの生、飲んだことある? めっちゃうまいで。そういえば、俺、外で酒飲むの、去年2月の下見のススキノ以来やわ。結局、コロナで修学旅行が中止になってもうて。
ママ:ほんまに残念やったね。ウポポイ、楽しみにしてたのになあ。

 原西先生は、高校の国語の先生で、野球部の監督もしている。現在は3年生の担任をしていて、生徒たちの大学受験のサポートに大忙しである。それに加え、土日も平日も野球部員の世話に明け暮れている。

ママ:原西さん、どうして教師になったん?
原西:どうして? んー忘れたけど、誰かに何か教えるのが好きやったから…。うち、実家が本屋で、本屋を継がなあかんって子どもの頃から思ってたんよ。やけど、中学ん時、継がなくていいってわかって、ほんで、教師になりたいって思った。
ママ:へえ。教えるのが好きなんかあ。今、野球も教えてるもんなあ。野球はいつからやってんの?
原西:小学校2年生から。ずーっと高校まで。大学では体育会から誘われたけど、俺、腰が悪くて。何度か部活の練習に参加させてもろたけど、結局やってない。
ママ:野球部ってさ、なんか部活の中でも厳しいって印象あるわ。みんな坊主頭にせなあかんし。
原西:厳しいで。しばかれるし、水飲めへんし。練習、練習で年に2日しか休みないし。「アホ、ボケ、カス」って言われるし。
ママ:誰にしばかれるん?
原西:監督。高校の先生。
ママ:まさか、原西先生、今、野球部の監督してるけど、そんなことせえへんよな?
原西:そんなんしたら大問題やで。
ママ:当時、親から監督にクレームこなかったん?
原西:けえへんな。そんな親おらんかったんちゃう?

 原西さんとママは同い年。そういう時代だった、1980年代。ドラマ「金八先生」シリーズでは必ず「ツッパリ」が活躍し、歌番組では横浜銀蝿がテッカテカのリーゼントでボンタンを履き、黒いベルトや鎖を腰からチャラチャラ下げながら「不良」を文字通り謳歌した。近藤真彦が男前の暴走族を演じ、ドラマ「積木くずし」「不良少女と呼ばれて」も大ヒット。テレビに登場するツッパリは美化され、人情を大切にするイイやつがほとんどだったが、リアルな学校はそんな悠長な状況ではなかった。ツッパリたちの暴力を暴力で抑えるために熱血教師も登場した。ツッパリを増殖させないために、おとなしい生徒たちも熱血教師の支配下に置かれ、スカートの長さや髪型や髪の色、靴下の色に至るまで規制されたあの頃…。

ママ:アホボケカスって言われて傷ついた?
原西:傷つかへんよ、そんなん。あの時代に絶対戻りたくないけど、理不尽なことされたから、あんなふうな理不尽なことが起こっても、耐えて流せる術を身につけた。
ママ:うーん。そんな術を身につけなければならないってこと自体が、ほんまに理不尽や。なんでそんなに野球が好きなん? 野球の魅力って何?
原西:「失敗のスポーツ」ってとこかな。
ママ:へ? 失敗が魅力なの?
原西:野球は失敗が記録に残るスポーツ。野球って、団体競技やけど、誰がミスったのかを明確にデータに残していく。ヒットはな、なかなか出えへん。打てないことの方が多い。打者は3割打てれば強打者。気持ちの切り替えはどの競技でも必要やけど、野球は失敗の記録が積み上げられる。失敗を怖がらず次に繋げていかないと。そのために、チームの仲間同士が個人の失敗を受け入れて、失敗したやつを思いやるってことが肝。

 野球を熱く語る原西さん。原西さんの高校が甲子園に出たら、今度は必ずテレビを見よう、原西監督の采配が楽しみだ、とママは思う。

ママ:原西先生が面倒見てる高校生も猛烈野球部員?
原西:今の高校生、真面目でおとなしいで。
ママ:そうなんや。野球にガーっと打ち込んでる感じじゃないの?
原西:今の高校生って、いろいろやることあるやん。
ママ:例えば?
原西:ゲームとか、インスタとか。それやってるだけで一日終わるで。

 ふむふむ。今は「金八先生」みたいな熱い学園ドラマは見向きもされないのか。ツッパリなんてダサいと思われるのか。「ダサい」自体が死語だったな、確か。

原西:勝たせてやりたいんよなあ。

 原西さんが、カウンターの上方を見つめながら、ふとつぶやく。今日の敗戦がこたえたのだろうか、疲労の色が顔面の浅黒さに混ざる。

ママ:監督〜、なんかええ感じに黄昏てるなあ。原西さんにとって、大人って何?
原西:なんや、突然!
ママ:この店の決まりごとやねん。何ですか、大人って。
原西:自分のことより相手を優先に考える人かな。自分の子より他人の子を大切にしてきたもんなあ。
ママ:学校とか野球チームの子どもか…。相手への思いやりはとっても大切やけど、自分への思いやりも大切ちゃうかなあ。原西さん、何かしたいことないの?

 しばし、考え込む原西さん。

原西:日本語教師になりたいって思ってた。高校教師途中でやめて。
ママ:へえ〜。なんでまた?
原西:10年ぐらい前に、俺、兵庫県高校野球選抜チームのタイ遠征を引率したんよ。その時代、オリンピック競技から野球が外されて、アジアの野球の発展を助けるってのが目的で。それで、タイのナショナルチームと高校生が試合して、3連勝したんよ。
ママ:ナショナルチーム??? タイ代表? すごいやん!
原西:いや、タイには野球チーム1チームしかないねん。それがすなわち、ナショナルチーム。
ママ:へえ!!
原西:タイで野球したい人いるけど、難しいねん。なんせ、その当時、タイの大卒初任給が金属バット1本分やった。そやから、遠征の時、SSKさんがスポンサーになって、バットとかグラブ、寄付したんやで。1チームしかないから、練習相手がいないし、試合でけへんし。俺らの3連勝は、17-0、15-2、18-1で圧勝。
ママ:はあ、そんなタイの野球事情、知らんかった。
原西:俺、野球後進国の発展の力になりたいねん。
ママ:えっとー、それと日本語教師と何の関係があるの?
原西:タイに遠征に行った時、日本人学校を訪ねて、小中学生に野球教えてん。高校生たちが中心になって。そこの保護者が言うにはな、野球したい日本人がたくさんいすぎて、入りたくても定員オーバーで入れないんやって。指導者も不足してるから育たへんねん、野球少年と野球青年が。日本人学校じゃなくてもいいから、日本語をどこかで教えながら野球も教えたい。日本には、国語も野球も俺なんかよりずっと優秀な指導者はゴロゴロおる。けど、タイにはおらん。自分ができることで、他人に役に立つことを俺はしたい。
ママ:ええやんか、その夢。すぐにタイに行ったらええやん。
原西:家のローンがまだまだ残ってて無理やねん!家族が路頭に迷わんようにせなあかん。60で定年後も再任用で働かな返せへん…(泣)
ママ:そんな家、売ってまえ!
原西:簡単に言うなよ〜。

短い夏が終わる。金属バットが球を跳ねる、あのカキーン!という音が聞こえた気がする。
スナックマキコの大人エレベーター。それは、様々な文化を育む大人が場末のスナックに語りにやって来るエレベーター。次回はどんな客が訪れ、何を語るのだろうか。乞うご期待!

(了)

本文 東のマキコママ
イラスト 西のマキコママ

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