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しんちゃんの教師物語(26)

お久しぶりです。しんちゃんです。

今回は前回の社会参加の「社会」に焦点を当てて考えてみようと思います!


そもそもしんちゃんが社会(のようなもの)について考えるようになったのは、

学生に今習っている日本語を教室の外で、

先生やクラスメート以外の人とも使ってみてほしいと思ったから。

たしかに「教室外=社会」ではないんですが、

教室の外で実際に日本語が使われている場所で日本語を使うのは、

ちょっと緊張感はあるけど、わくわくする活動なんじゃないかと…


でも、社会って、辞書もネットもAIも使わずに定義しようとすると、なかなか難しいです。

しんちゃんはがんばってみたけど「人の集まり」としかできませんでした。

でも、人が集まっていたら社会?

なんか3人ぐらいの趣味の合う友達で話していたら、それは社会?と問われると、

何か違うような気も…

町内会は社会?地域社会といえばたしかに社会なんですが、

それでもしんちゃんには町内会が社会というのは個人的にはしっくりこないような…

もっと大それたものじゃないと社会じゃないのかな。

社会って自分の手の届かないところにある、もっと高尚なもののような気がするんです。

この高尚なものである感覚ってどこから来たんでしょう。


この感覚はしんちゃんだけのものなのかなと思っていました。

でも、先日〇〇大学の〇〇先生のゼミ(英語教育)を訪問し、

そこで社会って何?という話になったのですが、

何人かの学生さんは血縁関係は社会じゃない気がすると言ってました。

ああ、しんちゃんと同じだ!と…


社会ってなんぞやと、もやもやは増えるばかり。

漢字を逆にすると「会社」で全然違う意味になっちゃうし…と思いながら、

そういえば「平和(peace)」という概念はむかし日本にはなかったので、

意味が一番近い「和平」(戦争と戦争の間の戦争がない期間)をひっくり返して、

「平和」という言葉が作られたんだっけと思い出し、

もしかして英語のsocietyの訳語なのかもと思ったら、大当たり!

この高尚である日常使いでない言葉って訳語であることが多いみたいです。


ちょっと調べてみたんですが、

societyの訳語に「社会」という言葉が定着するまでに使われた言葉の量がすごい!

柳父章『翻訳語成立事情』によれば、当初は、

「伴、相伴、仲間、交り、一致、憩い、組、連中、社中、会、会社、連衆、交際、合同、

社友」などの訳語があてがわれていたそう。

もう何が何だかわからない感じですね。

今の社会という言葉の広い範囲の人間関係を表す部分が含まれていないのは、

日本にはその現実そのものがなかったからだと言っています。

その後、それを福沢諭吉がなんとか訳そうと「人間交際」と訳してみたんだそう。

福沢はほかにも文脈によって「交際、交、国、世人」という言葉も使い、

他の訳者は、「政府、世俗、仲間、会社、総体人、会、結社」という言葉も用いてたと。

確かに「会社」も、人の集まりという意味では「社会」と通じるところがあり、

全く別物ではないですね…


その後、『学問のすすめ』で福沢が「社会」という言葉を、

「世間」という言葉に対立する形で使い始めたそうです。

社会は抽象的でいい意味、世間は具体的で悪い意味であるという感じに…

世間という言葉は日本語として1000年以上の歴史があるんだそうです。

たしかに「世間」という言葉にはなんだかどろどろとしたニュアンスが

(わたる世間は鬼ばかりなどの影響?)

AIに、「世間」を使って例文を作成してくださいと聞いてみると、

世間の特徴がよく現れる例文として


  • 日本では、法律だけでなく、世間の評価や人間関係を意識して行動する人も少なくない。

  • 彼は「社会」のルールではなく、「世間」の期待に縛られていると感じていた。

  • 世間とは、顔の見えない「みんな」であると同時に、自分が日々関わる身近な人々でもある。

  • 「世間が許さない」という言い方には、法律とは異なる、人々の暗黙の規範が表れている。


と、こんなのばかり!そして、柳父さんは


そして、ことばは、いったんつくり出されると、意味の乏しいことばとしては扱われない。意味は、当然そこにあるはずであるかのごとく扱われる。使っている当人はよく分からなくても、ことばじたいが深遠な意味を本来持っているかのごとくみなされる。分からないから、かえって乱用される。……


とも。あー、まさに。



(編集後記)

1.

社会だけでなく、個人、美、恋愛、存在など、

すべてこのような概念は日本にはなく明治期に翻訳されて作られた造語だそう。

柳父章『翻訳語成立事情』に詳しく書かれてますが、柳父さんによると


  人がことばを、憎んだり、あこがれたりしているとき、

  人はそのことばを機能として使いこなしてはいない。

  逆に、そのことばによって、人は支配され、人がことばに使われている。

  価値づけして見ている分だけ、人はことばに引きまわされている。


これ、どう思われます?


2.

今回は稚内の方に旅しています。で、利尻富士はもうすごいです!

いきなり予期せぬところでぽこんと現れて…

パノラマカーに乗っていたもう一人の方と微笑み合いました。

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