

しんちゃんの教師物語(21)
今回は、読み手、聞き手、聴衆、オーディエンスについて
ちょっといろいろ書いてみたいと思います。
多分長くなりそうな予感がするので、今回はパート1?
しんちゃんが日本語教えていて、作文の課題というのはいつもいろいろ考えることが多いです。ことのはじめは、修士の時にアメリカでTAとして初級日本語を教えていた時の作文課題。
日本語を勉強して2か月ぐらいの学生の感謝祭の作文というもの。
感謝祭の日に何をしたか書きなさいという類のものだったと思いますが
(もう30年近く前なので記憶はかなりあいまい〜)、
しんちゃんはTAとして採点していて、まず、とにかくほとんどみんな内容が同じで、
かつカタカナ語が意味不明で読むのが辛かったことが記憶にはっきり残ってます。
「家に帰って、家族や親戚と会って七面鳥やマッシュポテトやパンプキンパイを食べ、
翌日テレビでフットボールを見ました」という感じのストーリーなのですが、
学生たちはひたすら祖父母、叔父、叔母、いとこというような家族の言葉を調べて使い、
マッシュポテト、クランベリーソース、パンプキンパイなどの食べ物の言葉、
出身地や友人の名前などカタカナで書こうとしている…がかなり解読不能でした。
家族や友人の名前はともかく、学生は一体どこで何を食べたのか…。
そして、内容のコメン トをしようにも内容がほとんど同じで四苦八苦。
この作文って、日本語の練習という目的以外に、
だれに何のために書いてるんだろうとしんちゃんは思いました。
もちろんもう少し上のレベルであれば、
アメリカの感謝祭をそれを知らない人に紹介するという課題設定は可能だと思いましたが、
これは初級の課題。
その後、これ中級だったと思いますが、
架空の将来のホストファミリーに自己紹介の手紙を書くという課題。
これは学生の個性が出るおもしろい課題でした。
ただ、びっくりしたのは、そのあと、
日本の提携校の学生とグループでプロジェクトをする活動があった時のことです。
提携校の学生に自己紹介のメールを書いてくださいね〜としんちゃんが言うと、
クラスがざわつきます(今でも明確にあのどよめきは覚えてます!)。
そして、こんな会話が…
しんちゃん「どうしたの?」
学生たち「そんな急に言われても書けません」
しんちゃん「えっ、何度も手紙を書く練習はしてるよね」
学生たち「あれは練習で、間違えても先生に点を引かれるだけだけど、
これは提携校の学生に与える印象もあるしそういうわけには….」
しんちゃん「ああ、確かに。じゃあ、何が心配?」
学生たち「名前はどう言うふうに書いたらいいんですか」
しんちゃん「名前?」
学生たち「メールの最初に書く相手の名前、宛名です。
フルネームなのか、名字なのか、名前なのか。
それに、敬称は「さん」ですかそれとも「様」ですか。それから…」
とここから延々と授業が終わるまで質問の嵐となったのは言うまでもありません。
こんな経験から、しんちゃんの授業では、
ちょっと怖いけどモチベーションも上がるクラス外の人とやりとりをする
「本番」の活動をどんどん取り入れるようになりました。
それは、ブログ、ポッドキャスト、UStream(懐かしい〜)、
ラジオ生中継、Zoom、LINEなどなど。
テクノロジーが発達して確かに30年前に比べるといろんなことが便利になりましたが、
ゲストスピーカー、日本語テーブル、近隣のコミュニティ貢献活動など
対面の活動はまたちがった醍醐味もありますよね(この部分、次回もっと書きますね!)
どうして「本番」をそんなに取り入れたいか、それにはいろんな理由がありますが、
一番大きな理由として、だれに話しているのか、だれが読むのかというオーディエンス、
つまり、読み手、聞き手、聴衆が明確になるというものがあります。
言葉や文法だけでなく、だれに宛てて何のために書くことばかが明確になることで、
表現、スタイル、言い回しなど単に正しさとだけでは割り切れない要素も
真剣に考えていかないと いけません。
なぜなら、その後ツケが自分に回ってくるから…。
もちろん、いいツケ?もあります。
こういう相手との関係性を考えた判断は、まだAIも上手にできないんじゃないかなと思います。
だれに宛ててのことばかと言うことで言えば、
教員が学生に与えるアドバイスも同じだと思います。
同じアドバイスをするのにも学生によって言い方を変えるのは
ある意味個人が異なっているのだから、当然のこととも言えます。
同じことを言っても人によって、響き方が違うというのはよくあることです。
しんちゃんの勤務校では毎年スピーチコンテスト(=スピコン)をしています 。
今の時代にスピーチコンテストという発表の形式が合っているかどうかについては、
いろいろ話し合ったのですが、勤務校の伝統だけではなく、いろいろな利点もあるため、
形を変え、現在では最終選考の会場には全学年学生参加で、
コミュニティのゲストの方にも来ていただき、100名ほどの方の前での発表という形で、
続けています。
これがいい!
しんちゃんの担当する初級レベルのお題はShow and Tell。
アメリカの子どもなら小学生のときによくすると言われている、
自分の紹介したいものをクラスに持ってきて、みんなの前で見せ、
それについて説明すると言うシンプルなものです。
各セクションの 予選を勝ち抜いた学生が本番のスピコンに臨みます。
クラス内での予選から最終のスピコンに残った学生には、
しんちゃんは毎年必ず一人30分ずつ時間をとってアドバイスを与えるようにしています。
自信のなさそうな学生とは何度も練習して自信を持ってコンテストに臨めるように、
演劇やダンスなどのパフォーマンスをしている学生にはそれと比較して、
どんなポイントを押さえたら良いのか(例えば、視線、スピード、ポディランゲージの使い方、間の取り方、服装、歩き方、マイクの持ち方だけでなく、スピーチで何が伝えたいのか、
スピーチの中でどこが一番重要な部分なのかなど)を挙げ、
パフォーマンスとしてスピーチを見直していきます。
また、コンテストではオーディエンスが予選とは異なるので、それも考えるよう、
そして、どうやってオーディエンスとコミュニケーションをはかるか、
一般的すぎるストーリーの場合は個人のエピソードをどううまく組み込んでいくかなど、
たった3分のパフォーマンスですが、さらに上のレベルをめざして考えていきます。
監督経験のある学生には、自分のスピーチに対して
監督として自分にどうアドバイスするかなど、
時には答えを一緒に考えたり、時には自分で考えスピーチに臨むように指示したりもします。
大切なのはその問いをいっしょに考えること…。
そんな学生たちの当日のスピーチの当日のパフォーマンスにはいつも驚かされます。
予選を知っているのは私とクラスメートだけなのですが、
クラスメートもその成長を暖かく見守り、その変わりぶりに驚くだけでなく、
尊敬の眼差しで本番に臨むクラスメートのスピーチを見ている真剣な空気がビリビリと?
伝わってきます。
こういう瞬間、しんちゃんは、先生やっててよかったなあ〜とほんとに思うのです。
(編集後記)
そして、このイベントでは近隣日本語学校の小中高校の有志の生徒さんも
スピーチに参加してくださるのですが、自分たちより年齢が下の生徒さんが
本当にがんばってスピーチをしている姿を、しんちゃんの学生たちが、
会場全体で息を呑んで見守る姿は言葉では言い表せないものがあります。
生徒さんたちの発表を見て、自分たちももっとがんばろう!
ときっと思ってくれているはず。
そんな時間は、年度末で学生も教員も疲れ切ってへろへろな時の
心のオアシスなのです。