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しんちゃんの教師物語(19)

しんちゃんはボストンに住んで仕事をしていた頃にイタリア人の友だちが何人かいました。

よく家に遊びに行っていたので、仕事の後に週2回イタリア語のクラスを習ってみようと思い、大学の夜のクラスを受講しました。教室には学生は30人ぐらいの初級のクラスでしたが、

その先生は連絡事項以外はイタリア語で授業を進めます。

学生たちも片言のイタリア語でそれについてきているようでした。

しんちゃんは何が起こっているかさえもよくわからず、

先生から褒められることといえば「発音がいいね!」ということだけでした。

(イタリア語と日本語は発音体系が近い!)

一生懸命勉強していてもなかなかうまくついていけません。

修士課程の時に(アメリカで)ドイツ語を勉強したことがありましたが、

その時には、日本の大学でドイツ語を勉強したことがあったため、

授業についていくのは問題ありませんでした。

でも、イタリア語のクラスでは何が起こっているかさえよくわからないのです。

しばらく経って気づいたことは、イタリア語のクラスを取っている学生のほとんどが

スペイン語、フランス語、ポルトガル語の既習者であったということです。

4つの言語はロマンス語と言われる同じ言語グループに属していて、

語彙や文法もかなり似ています。

フランス語は発音こそ他の言語と少し違いますが、

他の3つの言語はそのまま話しても意思疎通ができるほど似ているのです。

ですから、授業内で先生と他の学生がイタリア語で会話していると思っていたのですが、

どうやらその会話ではスペイン語やフランス語、ポルトガル語もちゃんぽんになって

飛び交っていたようなのです。

しんちゃんにはその違いすらわかりませんでした(汗)。

新しい言語を学ぶ時にそのやさしさ、難しさというものは人によって異なるのでしょうが、

それは、何を学ぶときでも同じでしょう。全く同じ人は一人としていないのですから…

この時のクラスの中で取り残されたかのような経験は、

今の日本語教師のしんちゃんにとって、大変貴重なものとなっています。

先生の視線、一言でどれだけ救われたことか…


アメリカには公用語はありませんが、ニューヨークのような大きな街では英語だけでなく、

スペイン語表記もよくみられます。

電化製品などを購入すると、隣国カナダの影響もあって

説明書は英語、スペイン語、フランス語の3つの言語で書かれていることが多いです。

(とは言ってもこれも過去のことになりつつありますね。

最近は説明書もオンライン化していて、

最小限の情報以外はネットを見るようにリンクなどがかいてあります。

また、IKEA(スウェーデンの家具メーカー)の説明書は言語すらなく

絵だけでかかれている場合もあります。)

イギリスに行った時に街のさまざまな表記が英語だけでちょっとびっくりした記憶があります。アメリカでは思ったより英語とスペイン語の両表記が多いのだなと…


話は戻ります。

当時は(今もですが)しんちゃんは好奇心旺盛で、

イタリア人の友だちとカルチャーセンターでデッサンのクラスにも通ったことがあります。

人物のデッサンだったのですが、

しんちゃんが思うように書けずに困っていたときの先生の衝撃の言葉は

(おそらく中高の美術でも習ったんだと思うのですが)

遠近法を使って描く時には見えているように書いてはいけないというものでした。

ええっ〜。

正確に見えた通りに書くことがいい絵になるわけではない、

ことばもそうなのかもしれないとふとしんちゃんは思いました。


その後、スタジオで粘土のクラスも習いました。

焼き物のスタジオだったので、粘土で頭だけ、全身の人物像などを作り、

それを焼いて作品にするというものでした。

本当に楽しかったです!

自分には平面の絵よりも3次元の粘土の方があっていると感じましたが、

表現媒体は人により向き不向き、好みがあるのでしょう。

粘土のクラスの先生も旧東ドイツで生まれ育ったというしんちゃんより少し年上の先生で、

英語はかなり「怪しい」感じでした。

ただ、いろいろ言葉で説明するよりも実際に粘土でどうしたら良いのかを見せてくれますし、

とにかく先生がいい人で笑いの絶えない授業だったので、毎回行くのが楽しみでした。

でも、授業が楽しいってどういうことなんでしょうか。

先生が楽しさを自分に与えてくれるだけでもないでしょうし、

自分だけ楽しいと思っていても先生やクラスメートによって

つまらなくなってしまうこともあるでしょう。

教室のダイナミクスは何年教えていても有機的でおもしろいものだと感じます。

教室づくりもアートなのかな?


ふとしんちゃんは小学生の時に絵を習っていたことがあることを思い出しました。

先生はヨーロッパで絵を習ったといういかにも芸術家(木の実ナナのような先生でした)

という感じの先生で、子どもクラスでは先生のアトリエで15人ぐらいの小学生が

一緒に絵を習っていたと思います。

毎回課題があり、それを描く、でも、課題に向かって絵を仕上げる以外、

テクニックなどを習ったという記憶は一切ありません。

描き終わった後、先生のところに絵を持っていくのですが、

いつもいいところを見つけて褒めてくれたことを思い出します。

今考えてみると何を習っていたのかなとも思いますが、

その頃先生が何も教えてくれないと不満に思ったことはありませんでした。

しんちゃんが一番記憶に残っているのは

先生が休暇中に行ったヨーロッパで買ってきてくれたグミベアです。

一人一つずつ小さいグミベアをもらえたのですが、

あまりにももったいなくて食べられずにずっとずっと大切に持っていた記憶があります。

透明な緑のグミベアはだんだん色も褪せるほどにまでなっていました。

今はそのグミベアはどこでも買えるようになっていますが、

そのグミベアをみると絵の先生を思い出します。

(編集後記)

トガルも2ヶ月に一回の発刊になって書くペースもずいぶん変わりました。

それによって少し生活のリズムも変わったような気がします。

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