

しんちゃんの教師物語(11)
前回しんちゃんは大学時代の親友を訪ねスペインに行きましたが、その帰りの飛行機はドバイ、マレーシア経由でした。
ドバイまではしんちゃんの隣に小学生ぐらいの年の女の子とお母さんが座り、
今となってはどうやってコミュニケーションをしたのかは全く覚えていませんが、コインを交換した記憶だけはあります。
しんちゃんは日本の五円玉をその女の子にあげ、お返しにアラビア語の書いてあるコインをもらったことを今でも覚えています。しんちゃんはアラビア文 字が本当にきれいで長い間そのコインを見つめていました。
そして、ドバイからはとっても元気なフィリピン人が2人しんちゃんの隣に座りました。
なんでも中東の出稼ぎから久しぶりにフィリピンに帰るということで二人は喜びに溢れていました。
しんちゃんの隣に座ったホワン(実名ですが、ホワンという名前はごまんといるので…)はほぼ同い年ぐらいの青年でした。
彼はフィリピンに帰れるのがどんなに嬉しいか、フィリピンがどんなに素晴らしいところか、
機内でずーっとしんちゃんに話してくれました。
飛行機を降りる前に住所を交換して、クアラルンプールの空港で別れました。
その後、しんちゃんが日本に帰ってからもペンパルとしてずっとホワンとやり取りを続けていました。
その翌年の春頃、しんちゃんはボランティアセンターでいっしょに勉強していたタイ人のユタさんの生まれ故郷の
バンコクを訪ねる旅行を計画していました。(この話はまた次回に)
当時しんちゃんはサラリーマンで、夏休みにタイのバンコク以外に、ホワンを訪ねフィリピンに行くことも決めました。
ホワンには手紙で到着する日を知らせ、遊びに行く旨を手紙で送りました。
ホワンから返事は来ていませんでしたが(!)、そのまま旅行に出かけました。
タイのユタさん訪問を終え、フィリピンに飛行機で到着しました。
今となっては自分でもびっくりするのですが、マニラの空港に到着した時点でしんちゃんが持っていた情報はホワンの住所だけ。まずは空港からどうやってマニラの中心部に行ったら良いかもよくわからず(電車があると思っていた)、
近くの人に声をかけました。
その女の子二人は空港職員で私たちもこれから家に帰るところで、
長距離バス乗り場に行くからいっしょに行こ うと言ってくれました。
小さい乗合バスに揺られ、間もなくすると長距離バス乗り場につきました。
彼女たちは「どこに行くの?」と聞いてくれましたが、
しんちゃんはホワンの家があるところがどこなのかは全くわからず(当時はgoogle mapなどは存在していなかったので…)
彼女たちにその住所を見せました。
親切な二人はバスのチケット売り場でしんちゃんのためにチケットを買うのを手伝ってくれました。
しんちゃんは丁寧に二人にお礼を言って別れました。
しばらくすると、バスは当時噴火したばかりのピナツボ火山の近くを通ります。
空は火山灰で煙っていて、大変でしたが、気づくと旅の疲れかしんちゃんは寝てしまったのです
(行き先もわからないのにすごいなあと今のしんちゃんは思います)。
目が覚めると、全く違う景色。自分がどこにいるのかもさっぱりわかりません。
どこで降りるのかも全くわからず、もしかして乗り過ごしてしまったかも!としんちゃんは焦ります。
隣にいる少年にホワンの住所を見せ、ここに行きたいんだけど、もうバス停は過ぎちゃったかな?と聞きました。
すると青年は、ああもう少し先だよ。もしよければ僕がそこまで連れて行ってあげてもいいよ。
でも、まず学校に行かなくちゃいけないんだけど、いっしょに来る?との返答。
しんちゃんは特にやることがあったわけでもないので、その少年の学校に行くことにしました。
その学校は小さな専門学校で、授業は小学校の理科の実験のようなことをやっていました。
先生は近くの大学の工学専攻の学生がアルバイトでしていました。
しんちゃんは、先生とは同年代だったので、授業後に色々話したのを覚えています。
その青年は工学を勉強していて、日本には行ってみたいと思うけど、それは夢のまた夢かな..と当時は日本の経済は絶好調で、
日本と東南アジアの経済格差がおそらく一番あった時期ではないかと思います。
そんな話をした後、例の少年がホワンの家まで連れて行ってくれました。
するとホワンの家のドアからお母さんが出てきて
「ああ、息子は今日あなたからの手紙を受け取ったのよ。
仕事が休めなかったから、あなたが着いたら丁重にもてなすようにと言われていますよ」とのこと。
それにしても、手紙が今日届いたなんて…若い頃のしんちゃんはすごいなあ。
そして、ホワンが帰ってくるまでの間、
しんちゃんは例の少年にお礼の意味を込めてマクドナルドでハンバーガーをご馳走しました。
ものすごく喜んでいた彼の姿は今でも忘れられません。
ホワンの家に戻ってしばらくすると、ホワンが仕事から帰ってきました。
見れば思った以上に物静かで真面目な青年です。
おそらく飛行機であったときはしばらくぶりでフィリピンに戻れるということで相当はじけていたんだと思います。
ホワンの家はお世辞にも立派な家とは言えず、どちらかと言えばむしろスラムのようなところに住んでいました。
トイレの水も自動では流れず、シャワーもバケツから水を汲み取って体を洗うというようなものでした。
親戚一同でそのバラックのようなところに住んでいて、しんちゃんが日本から来たと知るといろんな人が集まってきます。
中でも忘れられないのが、子どもたちの目です。
本当にきれいでキラキラした目!今でもその輝きは忘れられません。
その子どもたちは本当に恥ずかしがり屋で言葉も通じない客(特に子どもたちにとっては英語は勉強し始めたばかりの言語!)のところにはなかなか寄ってきません。
でも、しんちゃんは子どもたちが自分に興味津々なのは見ればすぐにわかりました。
その時、あの黄金則が効果を発揮するのです。
「1,2,3あなたの言葉では何というの?」すぐに子どもたちがたくさん寄ってきて、教えてくれました。
翌日ホワンの友達が家に来て、どこかに連れて行ってくれると言います。
今にも壊れそうな小さいトラックで3人で、まずは、近くの山にいきました。
その山の頂上にはとても大きな十字架が建っていてその中は展望台のようになっています。
その上に登って見渡す景色はどこも樹海。見渡す限りの美しい緑、広大な豊かな自然にしんちゃんは感動をおぼえます。
何と美しい平和なところなのでしょう!
その後、近くの海に行ったり、親戚や友人に合わせてくれましたが、みんな本当に親切で、
日本から来たというと本当に大歓迎してくれました。
そして、みんなが口を揃えて、日本に行くなんて夢のまた夢…と…
移動の途中にホワンとホワンの友達に