しんちゃんの教師物語(3)
大学4年の最後の春休みに、またもや青春18切符とともにアジアに旅立つことになったしんちゃんですが、実ははじめての海外旅行はその6ヶ月前の大学4年生の夏。アメリカのマンハッタンのすぐ東にあるロングアイランド、その真ん中あたりのとある町でのホームステイ10日間でした。大学のゼミで留学生に接し楽しい経験をしていたしんちゃんはその頃までには海外に行くことにすっかり興味を持つようになっていましたし、また、親からも大学卒業までに一度は海外旅行の経験をするようにと言われてもいました(そ の理由はずいぶん後になってからわかることに…)。はじめての海外はアメリカのニューヨーク。成田からニューヨーク近郊にあるニューアーク空港までで、それは人生で2回目の飛行機搭乗でした。そのときの飛行機には喫煙席なるものがまだあって、しんちゃんは喫煙席のすぐ前の列の禁煙席に座らなければならずタバコの煙ですごく頭が痛くなってしまったのです。
ニューアークに無事着き、空気の質感もにおいも異なっていたこと、よく覚えています。今でも異国に来たなと感じるのはこの匂いと空気の質感を感じる時です。テクノロジーが発達しテレビ、映画、Youtubeなどで海外の映像はいくらでも見ることができますが、それらの媒体では五感のうち視覚と聴覚しか伝えられません。到着したニューアーク空港の8月はカラッと涼しく甘いキャンディーのようなにおいが漂っていました。空港からロングアイランドのホームステイ先までは同じホームステイツアーに参加した大学生といっしょにツアーバスに乗りました。しんちゃんはまるですべて目に見るものを頭の中に焼き付けようとしているかのように窓の外の景色を眺めていました。広い空、大きい建物…. 何もかも大きいアメリカに圧倒されることもなく、ただただわくわくしていました。
街に到着するとどこ かの駐車場(ここも空が広い!)でホストファミリーに引き渡されました。しんちゃんにはホストファーザーが迎えにきてくれていました。ものすごくフレンドリーな大きいお父さんがTシャツとジーンズ姿でそこに立っていました。名前はチャーリー(これも実名、でも王さんと同様チャーリーもたくさんいるので…)。お腹がちょっと出ていて髪の毛はほとんどなく、でも一目見て話しやすそうなお父さんだと感じました。その後家までの車の中では何を話したのかは覚えていませんが、途中でなんだか車が少しおかしくなった様子。え〜っ、交差点のど真ん中で車が止まってしまいました。なんとガス欠!何か自分が映画の登場人物になったかのような展開に驚きつつも楽しんでいたことを覚えています。
チャーリーは一生懸命話すしんちゃんの話をいつも真剣に聞いてくれました。これは後でわかったことですが、チャーリーはベトナム退役軍人で、戦地から戻ってきてからは定職につけず、建設現場などの仕事をつないで生計を立てていたようです。一緒に住んでいた奥さんのドーンとは再婚したばかりのようで、二人で生活をしていました。ちょうどしんちゃんを受け入れてくれた時には仕事がない時で時間もたっぷりあったようで、お子さんも元の奥さんと暮らしていたため家にはおらず、いつもしんちゃんを近所に連れまわしてくれたり、話を聞いてくれたりしていました。特別なことは何もしませんでしたが、日常の普通のことを いっしょにできたことがまた嬉しかったです。
ほかに、このホームステイには「英語の授業」がついており、その活動の一環として老人ホームのようなところにも行きました。そこでお年寄りの方とビンゴをしたのですが、そこでも本当にみなさんが自分達の話を一生懸命聞いてくれました。郵便局に行っても夏の小さな町の郵便局にはお客さんはだれもおらず、郵便局の人もわれわれの質問を一生懸命聞いてくれました。英語をはじめてアメリカで使用した時に自分の声を真剣に聴こうとしてくれる人とたくさん交流できたということは本当に幸運だったと思います。色々な意味で時間とか心の余裕がないと相手の言っていることをよく聞かず自分が聞きたいように勝手に解釈してしまうことあります。ここで出会った人たちは多くの人がいつ自分が話しかけてもavailableだったのですが、これはある意味すごいことだったなと感じます。自分はいつも学生にavailableな状態であるのか、今学生の声をちゃんと聞いているのだろうかと忙しい時ほど自分に問いかけるようにしています。
真剣に聞いてもらったという経験をもう一つ。しんちゃんが小学生のときのことです。母が地域の小学校の子ども会の会長になりました。毎年行われる子ども会の遠足は近くにある大池公園という場 所で、正直小学校でも遠足や写生大会などでしょっちゅう行くところでしたので、そこに行くのが特に楽しいと思ったことはありませんでした。そんなときに母が子ども会の遠足についてどう思うか聞いてきたのです。しんちゃんは感じていることを母に伝え、バスや電車に乗ってもっとおもしろいところに行けたらいいのにねと軽い気持ちで言いました。その後、母は遠足は明治村という住んでいる町からは少し遠くのところまで行くことにしたと。そんな遠くに電車を乗り継いで行って何かあったらどう責任をとるのか、いつも言っている大池公園でいいじゃないかと何人かの親からは反対の声もあったようですが、母は周りの人を説得し、明治村に行くことを実行したのです。そのときにしんちゃんは軽い気持ちで言った自分の声が聞き入れられたことにちょっとした驚きと喜びを感じたのです。
しんちゃんはこの後すぐ就職して営業マンになるのですが、そこでも本当に多くの聞く・聴くということを体験し、そこから多くのことを学びました。(これについてものちのち書きますね!)ああ、この話は、いろいろ脱線してしまって、アジアの旅どころか、まだアメリカに着いたばかりのところで今回は終わってしまいました。次回はこのホームステイ10日間でしんちゃんがどんな体験をするのかについて書こうかと思っていますが、正直何を書くかまだ決めてません〜
(執筆後記)
今回1人称がしんちゃんになっていますが、気づいたらこうなってました。
最近読んで『鴨川ランナー』に影響を受けたのかもしれません。
本当にいい小説でおすすめです。
ところで、この「しんちゃんの教師物語」、一人称の私で書くのと三人称のしんちゃんで書くのと
みなさんはどちらの方がお好みでしょうか?