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​ひつじのおにく

番外編

ふるさとってなんだろう

今回は番外編。登場人物は東京の暑さに堪えかねて北日本に帰省した白石と、地元の友人・三山。共通の友人・はっちゃんの実家で、羊肉をはじめお肉やら海産物やら、焼いて食べたBBQの帰りのドライブ中のお話です。

白石:夏を満喫したって感じ!はっちゃんの家のあたり、すごくいいよね。あの山と海に囲まれた感じとか、ねことか、大きい木とか、全部よかった。星もきれいに見えるし、ふるさと感すごかったな。
三山:んだね。ふるさと感あったなー。よし、毎年行こう。
白石:行こう行こう。なんなら明日も行きたい。笑 私さ、今まであんまりふるさとって強く思ったことなかったんけど、今回結構意識してるかも。帰省を繰り返してるからこそ、ふるさとっていうものがあるのかなっていう感じがして。住んでないから言えるのかな?
三山:あ、確かに。私さ、一時期関西に住んでたけど、その頃からすごい感じるようになった。やっぱり一度その場を離れてからこそ、なんかそういう場所っていうのはくっきりするのかもしれない。なんか四季リズムとかがさ、関西とこっちじゃ、やっぱ全然違うじゃん。違和感とかも結構強くて、心はずっとこっちにあって、ふるさとすごい意識しながら住んでたな。
白石:そっかー。じゃあ、離れてからこの街のことを良く捉えるようになったってこと?
三山:んー、良くは捉えてないし、なんならすごい嫌いなんだけど。基準っていうか、常になんか心の中にあって。
白石:あぁ。はっちゃんの家のふるさと感はすごくいい感じだったけどさ、自分のふるさとって別に、良いものとは限らないのか。
三山:そうなんじゃないかな。唾吐きたくなるものだっていう人も多いだろうね。
白石:確かに。なんか、家族は作ったりすることもできるけど、ふるさとって自分じゃ作れないっていうのもあるよね。結果的にそこがふるさとになるとしても、長い時間がまず必要な気がする。
三山:そうだねー。確実に、ふるさとは作れないね。逃げられない。自分で決められない。
白石:はっちゃんの家のあたりはふるさと感すごかったけど、じゃあここが私のふるさと!とは勝手に言えないもんね……。自由に選べるわけではないから、ふるさとが好きな人もいれば唾吐きたくなるような人もいるのか。
三山:うんうん。……あ、ここ右?まっすぐ?
白石:ここ、まだまっすぐ。次の信号で右かな。
三山:あっちか。んーなんか、そもそもふるさとって、古い言葉だよね。
白石:たしかに、日常的には使わないな。
三山:全く使わない。地元は使うけどね。地元どこ?とか言うけど。
白石:地元もさ、やっぱなんかこう、自分が長く住んでたところが、地元になるのかな?
三山:それはそうかな。えーじゃあ、ふるさとって、単純に考えたら、生まれた場所ってだけなのかな。
白石:それも、やっぱり地元っていう感じがするなぁ。
三山:あ、地元とふるさとって違うのか。確かに地元とふるさと。絶妙に違うね。
白石:なんかちょっとふるさとの方が、ちょっと気恥ずかしさある感じ。笑
三山:確かに。笑 そうだね。 ふるさと……。
白石:地元は本当に土地を指してる気がする。
三山:ただ単純に住んでる場所、育った場所みたいな。ん-、なんか、ふるさとって言葉、いまいちしっくりこないけど……。実際さ、今だったらネットとかもあるし、交通の便もいいし、物理的な距離はあっても、時間的に近いから、ふるさとって感覚薄いよね。
白石:そうかもしれない。移動し続けてる人にとってのふるさととか考えるとさ、やっぱり文化的な何かがあるのかな。文化とか気温とか肌感とかが要素になってるのかなぁ。「地元の味」と「ふるさとの味」って、なんか違う感じするよね。
三山:確かに違うなー。田舎っぽいものというか、自然的なものにふるさとを感じるのかな?
白石:そうかも。味っていうのは味付けのこともあるし、食材のこともあるけど、元々その土地にあったものとか、風土に合わせた味付けとか?ふるさとっぽさが示しているものって、ちょっと古い感じなのかな。
三山:そうだね。季節だとか味だとか。なんか勝手に言うけど、都会とかに生まれ育った人も、都会だって別に自然的なものが全くないわけではないし、公園とか……。 商店街とかにもふるさとっぽさって感じるのかな。
白石:感じるかもしれないよね。でも、その商店街がどんどんチェーン店ばっかりになったりしたらさ、昔のお店とか風景を思い出して、懐かしんだりするのかな。あ、懐かしいっていう気持ちがふるさとと結びつく?
三山:懐かしいし、なんか絶対ふるさとって考えると苦しさも絶対あるよね。なんかキュンキュンっていうさ。
白石:なんでキュンってするんだろう。
三山:なんでキュンってすんだ。手に入れられないっていう感じかな。
白石:ああ、届かないのかな。もう存在しないのかな。
三山:存在はするんじゃないか。でもまあ、帰れない。戻れない。ずっと居られない。戻らなきゃ?
白石:変わっていくから、その当時には戻れない切なさみたいな?
三山:ふるさとって変わるのかな?もしその周りのものが変わってても、その土地に足を踏む、踏み入れるっていうだけで、帰ったって感じは絶対するような気がするような。 だからその町の風景とかが変化していくってことは、重要じゃないような気がするな。変わっていくから切ないとか、そういうことじゃなさそう。
白石:なるほどね。変わっていくことは重要じゃないか。
三山:うん。きっと、ふるさとは動かないね。ずっとそこにある。絶対そこにあるね。
白石:人によっては、もしかしたらもうないかもしれないけど、でも、きっとそこにあるんだね。
三山:まあ、インプットされてるってことだよね。自分の中の記録とも言えるし、記憶とも言えるし。
白石:味とかもきっとそうだもんね。その土地にいなくても、その味、料理とか食材とかを通して、その土地のものを自分に入れることができるんだよね。
三山:うん。そうだよね。
白石:産地が違ったとしても、味付けとかが媒介して、その土地の味付けとかを連れてきてるふるさとかびつくのかな。
三山:うん。なんだっけあの歌、カントリーロード?ふるさとって感じしない?
白石:カントリーロード♪この道~♪
・・・・・・(二人でカントリーロード合唱)・・・・・・ 
白石:私たちもあとはこのまままっすぐ行けは、ほぼ着くね。
三山:ほんとだ。笑 てかさ、だって宇宙旅行とか行ったら、 ふるさと地球になるでしょ、絶対。途端に。なんかさっきまでふるさとじゃなかったところが、多分もう急にふるさとになるな。
白石:そうかもしれない!もしかしたらさ、今はふるさとが狭いけど、ジャングルの奥地とか、世界のいろんなところを含めて、地球を私のふるさとだって思える日が来るの?もう私たちは無理かもしれないけど、次の次の次の世代の人とかは、地球がふるさとになり得る?
三山:なり得るよねー。だって宇宙旅行が簡単にできるようになったら、地球が自分のものだっていう感覚。
白石:三山はさ、ふるさととか街が、私のものっていう感覚、ある?
三山:あ、結構あるかも。私のものっていうか、自分の一部っていう感じ?
白石:へー。私のものっていう感覚、私は持ってない気がする。
三山:なんか街っていうものが自分の一部だからか、その街の好きじゃない部分は、自分のコンプレックスにもなってる感じがする。
白石:私は、どちらかというと、自分の記憶として持ってるもの?自分の中に、その町の記憶として一部があるっていう風に思えた方がまあスッキリするかな。
三山:なるほど。結構ふるさとってさ、すごい個人的な感じがしない?なんて言うかさ、こう、例えば地元ってなるとさ、結構いろんな人との共同体みたいな感じがするけど、なんかふるさとって、超個人的な感じがする。
白石:それって、個人とその土地との関係なのかな。私、「地元」はただ土地を指してる感じがするんだけど。土地だとまあ、みんなで共有してるわけじゃん。でも、同じ土地を共有してたとしても、どこを切り取ってるか、切り取って自分のものとしてるか、っていうのが違いそう。どこ見てるかとか、どこをどう感じてるかとか。
三山:あぁ。だからな同じ場所でも、捉え方とか環境で、あったかい!良い!最高!帰りたい!みたいに思う人もいるけど、切り取り方が違ったりすると、なんか憎んでしまったりする人もいるのかな。そういう意味で、確かに個人的な感じがすごくするな。
白石:納得~。あ、もう着くね。こうやって話してたらあっという間だね。

今日のシメ

「ふるさと」って単なる土地じゃなくて、実はけっこう個人的で、個々の中にあるものみたい。同じ土地にいても見え方が人それぞれだから、ふるさとが好きな人もいれば、嫌いな人もいるのかな。自分に染み込んだその土地の風土、自分では選べないからこそ、いろんな感情をともなうのが「ふるさと」なのかも。

今回は帰省中の白石とその友人・三山のBBQ帰りのドライブでの会話でした。
共通の友人・はっちゃんの家の環境に「ふるさと」っぽさを感じたことから、「ふるさと」について語り合いました。二人の話は宇宙にまで広がり、「地元」とはまた違う「ふるさと」という言葉がもつ奥深さを感じたのでした。
みなさんにも「ふるさと」ってありますか?それはどんな感覚と結びついていますか?

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