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書名:世界中で言葉のかけらをー日本語教師の旅と記憶ー
(筑摩書房、2023.10.16)
 
日本語を持って いろいろな言葉の森へ

山本 冴里
(山口大学)

 出版社から見本が届いたとき、ヤープータープー!!という奇声をあげて足を踏みならし、躍りあがっていた。照れくさい。恥ずかしい。うれしい。ヤープータープー!!に意味なんてないけれど、きらきら星のメロディーだったのは、最近この歌がお気に入りでしょっちゅう口ずさんでいる娘の影響だと思う。

 『世界中で言葉のかけらを』――そもそも日本語で書いているし、副題には出版社の意向で「日本語教師」という言葉も入っているものの、エスプリとしては「日本語」よりもずっと、「複言語」の本になっているはずだ。

 

第一章 ちがう言葉でおなじ世界を夢に見る──日本語教師としての経験から
第二章 どうかあらゆる泉に敬意を──「ぜんぶ英語でいいじゃない」への長い反論
第三章 そういえば猫さえも国がちがう──三者三様の言語教師
第四章 ぶらごだりや──言葉が通じない場所への旅
第五章 さえぎらないで、妄想中だから──歩くこと坐ること、食べること着ること

 

 はや二十年ほども前のこと。師匠、細川英雄先生には、大学院のゼミ生に対する幾つかの口ぐせがあった。「目の前30センチ」に囚われてはいけない、「あなたにとって~(ゼミで検討中論文の鍵概念)とは何か」、そして、「自分をくぐらせ」て書きなさい、ということ。

 先生、私は、この『世界中で言葉のかけらを』で、自分にとって慣れない言葉を使うというのはどういうことか、ということについて、記憶を探り、考え続けて、文章にしました。これほど「自分をくぐらせ」た文章を出版したことはありませんでした(もちろん、あくまでも過去の自分と比較しての話であり、これで十分だ、と言っているわけではないです。たとえばミランダ・ジュライの本を読むと、小説なのに、痛いほど「自分をくぐらせ」ていることや、私はまだ遥かにそこからは遠いことを感じます)。

 「目の前30センチ」問題については、今は、できれば「目の前5センチ」から「50メートル」くらいまで、様々なスコープを使い分けられるようになりたいと考えています。『世界中で言葉のかけらを』は、どうでしょう。半径3メートルくらいの話、かもしれません。

 

 原稿の校正を終えたとき、やっと書けた、これを書けた、そういう高揚感があった。最後のタイトル決めまで難航し、十年かけてようやく出来あがったこの文章がどう読まれるのか(そもそも読んでくれる人が本当にいるのだろうか?)、どう受け取られるのか(ひとりよがり?)、緊張で震えながら、送りだす手をいま離したい。せせらぎを流れる笹船のように、風にのった紙飛行機のように、そのモノそのものを超えて惹きつけるなにかを、一瞬、垣間見せられることを願いながら。

 

 ――あなたに、届きますか?

 

 

*本書籍の情報は、以下の出版社のリンクからご覧いただけます(トガル編集委員担当者付記)。

世界中で言葉のかけらを ─日本語教師の旅と記憶

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