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文芸を通して、地域の言語文化に対する己の愛を確かめる

 −2023年3月発売   

『成瀬は天下を取りにいく』宮島未奈著 新潮社−

 ここに「『成瀬は天下を取りにいく』宮島未奈 3月17日(金)発売予定」というタイトルのプルーフ本がある。プルーフというのは、まだ出来上がっていない、つまり校了前の段階で宣伝に使うための製本見本である。筆者はこのプルーフ本を、新潮社に勤める友人Y子から手に入れた。そのY子は本書を大絶賛しており、なんとかドラマ化、映画化に漕ぎ着けられないだろうかと日々考えている。

 最初にことわっておこう。今回の「文芸アリス」の筆者、大津びわ子は滋賀県大津市出身で、故郷を心から愛している。よって、本稿は滋賀県への偏った愛が、そこかしこから溢れ出ているに違いない。本書を大絶賛するY子も小中高時代を滋賀県で過ごした。滋賀県に興味のない読者の方々、あるいは滋賀県で痛い目にあったことがあり滋賀県を疎んでいる読者の方々が、もしおられたら、本稿は読み捨てていただいても構わない。もし、読者の中に(10人にも満たないと思うが)「滋賀フリーク」がおられたら、ぜひぜひ、『成瀬は天下を取りにいく』を手にとって読んでいただき、滋賀を偏愛する同胞としてのご感想を「トガル」宛にお寄せいただきたい。

 

 以下は、Y子による本書の評価である。

【新潮社・Y子のコメント】

 滋賀に住んでいた人にしかわからないと思っていた滋賀の魅力が、そうじゃない人にも伝わるものなんだ、というのは結構驚きでした! 主人公がものすごい変わり者なのに、周囲に受け入れられているところが、素晴らしい。この主人公を嫌っている子も、しっかり(小説の中に)出てくるところが、リアリティがあってよく描けてる。なかなかひと口で説明しにくい小説なんだけど、作者の筆力は相当なものだと思います。ちなみに、作者も主人公に近いかも? という少し変わり者さん。

 そうなのだ。とにかく、主人公の「成瀬あかり」の変人ぶりが快感を呼ぶ。まず、話し方。女子中学生、その後女子高校生に成長する成瀬は、ほとんど「だ・である体」に近い言葉の使い方や男性的な話し方をする。誰かに何かを頼むときは「〜てほしい」、感想を述べるときは「〜と思ったんだ」、疑問を呈するときは「〜だろうか」、提案するときは「〜てはどうだろうか」、謝るときは「すまない」。

 高校入学の時には丸坊主にしたり、けん玉の達人だったり、容貌や特技に突き抜ける個性がある。しかし、何といっても成瀬の変人さは、小説の第一文目「島崎、わたしはこの夏を西武に捧げようと思う」という台詞にある。

 

 さて、ここからはネタばらしにならぬよう、細心の注意を払いつつ本書の紹介をしていかねばならない。初文の「西武」とは何か。野球チームを思い浮かべる人が多いのではないだろうか。それは半分当たっている。しかし、本書の肝となるのは、デパートだ。成瀬が一夏を捧げた「西武」とは、「西武大津店」のことである。西武大津店は、2020 年8月31日、44年の歴史を閉じた。成瀬は、西武大津店の閉店を心から惜しみ、カウントダウン中毎日デパートに通い、ライオンズのユニフォームを着て、びわこ放送(略してBBC。どうだ、カッコイイだろう)の中継に映るのである。日頃閑古鳥の鳴く西武大津店は、実際、閉店セールの期間中はものすごい人混みだった。小説では、その渦中に成瀬がいたのだ。

 筆者にとっても、西武大津店は特別な存在であった。最寄りの膳所駅は新快速が止まらないが、お隣の大津駅からJR琵琶湖線の新快速に乗れば、15分ほどで京都駅に着く。よって、大津市民はちょっと足を伸ばせば京都の大丸、高島屋、近鉄に行ける。しかし!! 徒歩やチャリ、または2両編成の路面電車、京阪石坂線で行けてしまう西武大津店は、ジモティーにとって、身近だけどちょっとハイソなショッピングスポットであった。もちろん普段は平和堂(滋賀県が誇る、「弾む心のお買い物」が叶うスーパーマーケット)で事足りる。だが、ご進物用にリッチな和菓子(「叶匠壽庵」や「たねや」の)を買ったり、来客向けにふなずしやすき焼き用の近江牛を仕入れたり、お出かけ用またはオフィス用の洋服や靴を物色したり、お友達への誕生日プレゼントを調達したり、バレンタインデーに義理ではなく本命チョコを選んだり、というのは平和堂では間に合わなかったのだ。「ほな、西武いこか」と気軽に行けるデパートの存在は大きかった。

 筆者は、西武大津店で定期的に企画される「大千円街」と「古本市」、そして西武ライオンズが優勝した暁に開催される「優勝セール」には欠かさず行った。「大千円街」では、母から一つ一千円の品物を買ってもらえた。「古本市」では、ちばてつやの『おれは鉄平』を両親・弟と一緒に必死で探した。確か全部で31巻あったと思う。古本なので、とびとびでしか買えず、1巻〜31巻を連続して読めるのには数年を要した。我が家は広島カープファンだったが、カープが優勝すると西武大津店のレストラン街で祝会をした。小説にも出てくるが、レストラン街の「バードパラダイス」は圧巻だった。巨大な三角形のガラス張りの空間にいろいろな種類の鳥たちが生息していた。カープ優勝をステーキなどで祝ったあと、駐車場にいくその途中でしばし家族で色とりどりの鳥たちを眺めたものだ。西武大津店は、私たち家族にとってなくてはならない存在だったのだ。だから、本書で西武大津店が取り上げられたことに、筆者は非常に感動している。もう訪れることのないデパートが、小説の中で息を吹き返している。それが、閉店間際の姿であったとしても、心から嬉しい。 

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いつの頃からか「バードパラダイス」から鳥たちの姿は消えていた。(2020年8月30日)

 本書は、とてもテンポがよく、ユーモアに溢れる上に滋賀県愛にも溢れているのだが、筆者はどうしても腑に落ちないことがある。それは滋賀の方言がほとんど出てこないことである。いや、滋賀弁じゃなくてもよい。もっと大きなカテゴリーの関西弁でもいい。主人公成瀬も、その親友の島崎も、成瀬を嫌う大貫も、周りの大人たちも、いわゆる「標準語」を使っている。

-なんでやねん?

 著者の宮島が静岡出身であるため、ということは想像できる。しかし、今、彼女は滋賀在住のようだ。筆者は、小説の中で滋賀弁が猛威を奮っているところを見たかった。それが叶わなかったことが残念だ。

もう一つ、腑に落ちない場面がある。東大のオープンキャンパス参加のついでに池袋西武を訪れた成瀬が、西武大津店を懐かしんでいる場面だ。これも残念ながら全く共感できなかった。筆者は何度か池袋西武を利用したことがある。いつも人の動きが激しくて、大阪・梅田の阪神百貨店を思い出させた。池袋西武は、西武百貨店であることには違いはないが、西武大津店とは全然違う世界観がある。なんせ、池袋西武はお隣に東武百貨店という競合がいる。新宿西口の京王百貨店と小田急百貨店のごとく、マジでラグジュアリーなデパートを競えるレベルにあるのだ。西武大津店は違う。琵琶湖を背に一人ぽつねんと鎮座し、どことも競う必要がないので安穏さが漂っていた。だから、ジモティーが「ほな、西武いこか」とジャージ姿でチャリにまたがり行けちゃうのであった。所望のものを見つけられなければ、「ま、しゃーないな。大津やし」と呟きながら最寄りの膳所駅からJR琵琶湖線に乗り、御公家様エリアの京都に遠征して大丸なぞで用を足せばいい。

  

 ところで、本書には、西武大津店だけではなく、琵琶湖を周遊する観光船ミシガンや「ちはやふる」で有名スポットとなった近江神宮も登場する。しかし、筆者にとって、小説における有名観光スポットの登場は実はどうでもよく、小説の舞台が滋賀県かつ自分が愛した西武大津がネタとなっていることによって、滋賀県特に大津という地域への情が深まっていることに改めて気づいた。文芸を通して、滋賀県の言語文化に対する己の愛を思い知ったのである。

 

 筆者が西武大津店の閉店セールにわざわざ東京から駆けつけたのは言うまでもない。あれは、閉店の前日、2020年8月30日のくそ暑い昼下がりであった。悲しくて、とても最終日には出向くことができなかった。

 成瀬、ありがとう! 西武大津店は筆者の心の中で永遠に不滅です!!

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閉店セール(サンクスセール)中の西武大津店

(2020年8月30日)

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表玄関付近で閉店を惜しみ、むせび泣く筆者

(2020年8月30日)

文:大津 びわ子(ペンネーム)

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