言語文化放浪記
〜対話から生まれる「魔法のことば」part2〜
放浪者が地域のことばに着目し、風土とともにことばに対する愛をお届けします!
4月号は2月号の続編です♪
2024年2月号の放浪記のタイトルは「対話から生まれる『魔法のことば』」だった。舞台は、まきこママの放浪先であるサホロスキー場。これを再読しつつママは首をかしげる。
…どこが『魔法のことば』やねん? 読者に伝えたいことの100分の1も伝わっていないではないか!! 自分を不甲斐なく感じるママ。なので、今月号は気を取り直し、「魔法のことば」についてママが語り直す。
ということで、またまた舞台はスキー場に戻る。今回はママのホームゲレンデ、志賀高原。ここには、ママが大学生の時からお世話になっているスキー学校がある。仕事や子育てでかなりの間ブランクがあったが、ここ10年近くは頻繁に通っている。そのスクールには、ママが「師匠」と呼ぶスキー教師がいる。最初、師匠にスキーを習い始めた時、ママのスキーの技術レベルはとても低かった。不恰好にローテーション(上体を無駄に回してしまうこと)していたし、お尻がプリッと後ろにはみ出て上体が雪面にかぶり、脚の曲げ伸ばしが少な過ぎた。外傾(スキーの外に向かって体を傾けること)がうまく作れなかったり、滑るスピードが増すと後傾(滑走中、上体が板の後方に残されてしまうこと)気味になったりした。脚をひねり、板を積極的に回さねばならない昔の真っ直ぐなスキー板と違って、今のくびれのあるスキー板は真上からブーツで押して「たわみ」を作れば、スーっと勝手に曲がる。それが頭で分かってはいても、昔の滑り方が身についている中年のママはうまく板を乗りこなせない。
ママは師匠に悪いクセを何度も指摘された。しかし、直そうと意識してもきちんとは直らなかった。スキーシーズンの終わりに「ちょっとよくなったかな、ちょっとね」と言われることもあったけれど、次のシーズンにはまた同じことを言われた。それが何年も続いた。自暴自棄になり、「もうスキーなんかやめてやる!」とママはゲレンデで何度も弱音を吐いた。しかし、結局ゲレンデから決して離れられないママであった。
特に右ターンの時、ローテーションしているから。そこ、気をつけて。
脚を自分からひねらないで、板を真上から押して。そこ、気をつけて。
お尻が落ちて後傾になってる。もっと背が高く見えるようにして。そこ、気をつけて。
急斜面ではもっと外傾を強くして。そこ、気をつけて。板が自分の体から離れすぎ。お尻の真下で抑えて。そこ、気をつけて。
師匠は、ママが気をつけなければいけないポイントを何度も何度も繰り返し指摘した。しかし、強く意識して気をつけていても、ママの滑りは進歩しなかった。
なぜ???
ママは、師匠の指導を継続して受けているうちに、指示を聞いて素直に気をつけるだけでなく、師匠にいろいろ質問するようになった。質問を重ねていく間に、私見を挟んで反抗もするようになった。「やれ」と言われていることをやってるのに、師匠に「できてない!」と言われた時、「やってます! もっと違うやり方はないですか? 他のアプローチは?」と聞いたり、「私には、その方法は向いてないと思います」と助言をはねつけたり。破門されてもおかしくない態度をママは師匠に取ってしまっていた。
ところが、師匠はママの反抗を受け入れるようになった。ママに指導を始めた頃は、師匠はいわば一方的に教えていた。ママには口を挟む隙がなかった。かつては、師匠が教える内容は、ほとんどの受講者を十把一絡げにしたような画一的なものに近いとママは感じていた。もちろん、一人ひとりの癖を見抜いて個々に適切な、ためになる指導はしてくれるが、レッスン中のそれは、数十秒くらいの簡単なものだった。一度に10人教えることもあるので、師匠は一人ひとり丁寧に指導ができないのだ。しかし、最近は、ママの言葉に耳を傾けてから、従来とは違う助言をするようになった。
わかった。じゃあ、次は〜してみようか?
〜が悪いんだね。ちょっと違う練習してみるけど、大丈夫?。
今の滑り、自分でどう思った? 何が悪かったと思う?
できたじゃん! 今、何を変えてみたの?
…とまあ、こんな感じだ。一方的ではなく、ママにうまくなる方法を考えさせ、それを体得させようとしているかのようだった。それだけではない。師匠の指導のことばにオリジナリティが出てきた。例えば「五木ストック」。師匠が編み出したストックの使い方である。五木ひろしが歌うとき、拳を握りしめて肘をぐいと曲げるが、ストックを持つ腕をその形にすると、ちゃんと外足に荷重できるのだ。特に急斜面やボコボコの悪雪で有効なのだ。そのうち、ママも師匠の影響を受けてオリジナルのことばを生み出すようになった。最近生まれたのが「シュワッチ外傾」。ママは骨盤の右側が前に出ていて、骨盤と背骨が歪んでいる(たいていの人は骨盤の向きが左右非対称で多少の歪みがある)。右の板を真上から踏もうとしても、腰が板から外れてうまく踏めない。師匠が、「これがちゃんとした板の乗り方だ」と急斜面でママの両肩を掴んでぐいっと谷に向けたとき、ママは第五腰椎の傾きをシカと感じた。「これだ!」と思った。骨盤に対して背骨が第五腰椎から脇に傾くと、うまく板に乗れることを発見したのだ。確認のため、右のグローブで骨盤を、左のグローブで背骨を表現してみると、それはウルトラマンのシュワッチになった。「師匠、シュワッチです!!」とママ。「大発見だよ、ママ! すごい!」と嬉しそうな師匠。
最近、師匠はママの滑りを見て「ちょっと三十秒ちょうだい。練習方法、編み出すから」と、刹那の沈黙後、新たなアプローチに挑む。「師匠って天才なんですね」とママ。「うむ」と頷き、否定しない師匠。そして、師匠とママは変わるがわる新しいことばを作っては活用する。「ターン入り口のゴルゴ狙い撃ち」「スタンスは青春ソフトボール女子」「クロスオーバー八の字無限滑り」「左前、右後の缶潰し」「へそ先。伸ばし回し。ストックずるずる。ケツ収め」など、数え切れないほどの謎の合言葉。その合言葉を念じながら滑ると、本当にうまくいくのだ。そう。それらは師弟が生み出した「魔法のことば」である。他の誰にもわからない、効果抜群の「魔法のことば」だ。 教える、教わるという間柄には対話が欠かせない、とママは強く思った。一方的な指導は、到達点に向かう学習者を遠回りさせてしまうのだ。指導者は、個人に耳を傾け、問答を繰り返し、指導の仕方を惜しみなくどんどん変えていくことが求められる。
魔法のコトバ 二人だけにはわかる
夢見るとか そんな暇もないこのごろ
思い出して おかしくてうれしくて
また会えるよ 約束しなくても
魔法のコトバ 口にすれば短く
だけど効果は 凄いものがあるってことで
誰も知らない バレても色あせない
その後のストーリー 分け合える日まで
(from 「魔法のコトバ」by スピッツ)
春が来て、師弟はしばらく別の世界で生きる。来シーズンはどんな対話からどんな「魔法のことば」が生まれるのだろう。厳しい特訓ではあるがとてもワクワクなママである。