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第8回

責任を果たせる大人

お客様​:茨城大学 大学院生 張志凌さん

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 2023年になってから、スナックまきこの客層は若返っている。「もうすこし、若いお客さんが増えないかしら」とママが呟いてから、大学生や大学院生が店のカウンターチェアを温めてくれている。
 今夜もから〜んと熊除け鈴が鳴り、一人の青年が現れた。

張:ママ、お邪魔します。
ママ:嬉しい! またもやヤングマン!

 2月に大学院生の夏さんが採れたての春菊を持って店を訪れてくれたが、今夜は夏さんの友人の張さんが来店。張さんは上海出身の26歳、修士課程2年生だ。

張:ルシアン・コークお願いします。
ママ:なんだそれ? ロシア産のコーラなのかしら。

 この時、ウォッカのコーラ割りを「ルシアン・コーク」と呼ぶことを、ママは張さんから学んだ。

ママ:あたし、カクテル疎いのよ、ごめんね。

 ママは反省した。甘い酒が飲めないママだが、若い人にもスナックに来てほしいなら、提供する飲み物の幅を広げておくべき!と肝に銘じた。
 早速、スマホでルシアン・コークの作り方を検索し、そそくさとこさえて張さんに差し出す。
 ママは、35年前ぐらいに上海に行ったことがあるが、今の上海はその時と比べものにならないぐらいキラキラしているらしい。張さんも都会の若者という雰囲気が漂っている。お洒落なカクテルを口に運ぶ仕草も、さすが垢抜けている。

ママ:張さんも夏さんと同じで茨城で暮らしてるのよね?
張:そうです。
ママ:なんで?
張:え。
ママ:なんで茨城を選んだの? 留学先に。なんにもないでしょ、茨城。
張:茨城大学の理工学研究科、僕が研究したいテーマに近いことやってるんで。
ママ:あら。どんなテーマなの?
張:僕の専門は電気電子システム工学で、研究のテーマは自動車製造のためのコンバーターの開発です。

 と言われても、ママにはさっぱりわからない。自分から質問したくせに。
 でも、張さんの目が、早朝の湖面のように輝き出したのはわかった。

ママ:中国ではその研究できないの?
張:中国は、人が多すぎて大学院に入るのも競争が激しいし、コロナで研究室に実際行けなくて、実機の製作が難しかったんですよ。だから海外に行こうと思ったんです。
ママ:どうして日本を選んだの?
張:僕、昔から日本のアニメやゲームが好きだったから。カラオケも好きだし。日本文化がとても好きです。
ママ:実際、来てみてどう?
張:いやー、厳しいです。
ママ:厳しい?
張:ストレスが。
ママ:なんの?
張:研究室での実験とか…。結果を出さなければならないし。プレッシャーが大きいです。
ママ:コンバーターを作るのって大変なのね。
張:でも、すごく役に立つ研究です! 僕、もっと優れたコンバーターをつくって、自動車づくりに貢献したいんです!

 メガネの奥の目がキラッキラだ。

ママ:日本の企業に就職するの?
張:はい! もう就職先決まってます。
ママ:あら〜、おめでとう。会社は東京とか?
張:大阪です。
ママ:就活、大変だったんじゃない?
張:おもしろかったですよ。
ママ:おもしろい?

 ルシアン・コークを啜りながら張さんは笑顔になる。

張:面接に合格したら、なんていうか、自分を認めることができたっていうか。それがおもしろかった。
ママ:なるほど。
張:実験もそうですけど、結果が求められるわけです。内定もらった時、結果を出せたってことで、本当に嬉しかったです。
ママ:張さんは、自分の国に帰る予定は?
張:ないです。もう25年もいれば十分です。僕、もっと冒険がしたいんです。
ママ:冒険?

 瞳のキラキラ度を上げながら張さんは語り続ける。

張:仕事で例えばアメリカに駐在したりとか、ちがう環境で生活してみたいです。それが冒険です。
ママ:茨城での留学生活も冒険の一つだったのね。日本に来てよかったことは?
張:自分の国じゃない国で一人で生活するの、初めてだったんですけど、達成感がありました。それがよかったことですね。
ママ:それも結果が出せたことによる自己承認かもね。
張:はい。大阪の生活も楽しみです!

 一つの場所に居続けるのもいいが、あちこち知らない場所に移動してそこで思い切り冒険するのもいい。

ママ:張さん、どんな大人になりたい?
張:責任感をちゃんと持っている大人です。

 おっと。2ヶ月前に来た夏さんと同じことを、張さんも言っている。

ママ:どこにいても、そこでの生活を冒険って捉えて、張さんは「いま・ここ」を楽しめそうね!

 張さんが熊除け鈴を鳴らして帰ったあと、ママは「冒険か〜。自己承認か〜。達成感か〜。イマココか〜」と独りごちた。張さんのような人を「前向きな人間」と呼ぶのだろう。だけど、前向きの裏には努力と苦労があるに違いない。実験のために朝まで研究室から帰れないことがよくある、と彼は言っていた。自分で決めた目標から逃げずに努力を続けること、何かの役に立ちたいと思いながら行動すること。それが責任をちゃんと持っている大人だと言えるのだろう。
 「最近、若者から学ぶことばっかだな〜」と呟いて、ママはウォッカに手を伸ばす。コーラで割らずに氷を入れる。カクテルはやっぱり苦手だ。でも、今夜は冒険してみるか。コーラがグラスに注がれると、シュワシュワと小気味良い音がして愉快になった。

 スナックまきこの「大人へのエレベーター」。次にスナックを訪れる若者は誰だろう。その若者はどのような大人へとつながるエレベーターを選ぶのだろう。乞うご期待! あ、次回はまた熟年に戻るかもしれないので、よろしく〜。

(了)

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