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​第7回

​いろんな人と、
やらなきゃいけないことができる大人

お客様:
桜美林大学 リベラルアーツ学群 大学生 桒田(くわた)晶さん
桜美林大学 教員 内山喜代成さん

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 「アレクサ、J-WAVEつけて」

寝床からスピーカーに呼びかけるのがママの新しい一日の第一声。別所哲也の声で目覚めるママ。スピーカーから流れる彼のキメ台詞は「自分のご機嫌は自分でつくろう」だ。さあて、今日もご機嫌でいこう!と朝は思うものの、日中なんやかんやと厄介な出来事もあり、夕方のスナックまきこの開店時間には「あいつ、いつかしばいたるからな〜」と心がささくれ立つこともしばしばである。今夜のささくれ度は結構高い。

 カランカランと熊よけ鈴が鳴り、最初の客が入ってきた。二人連れである。

内山:ママ、こんばんは。今日は学生を連れてきました。
ママ:内山さん! お連れがいるなんて珍しいわね。
桒田:初めまして、内山先生の授業をとっていました桒田です。今日はよろしくお願いします!

 ハキハキとした挨拶。真っ直ぐな背筋。ママの心のささくれはナタネ油を塗られたかのようにしんなりとおさまっていくのであった。

ママ:こちらこそよろしくね! 何を召し上がる?
桒田:ビールお願いします。
ママ:内山さんは?
内山:僕、持参しましたんで。
ママ:へ?

 内山さんはカバンの中から保冷バックを取り出し、何やら緑色の缶を取り出す。「ONLY 18 DAYS」という文字が見える。

内山:「18天。台湾ビールです。日本では手に入らないんです! 賞味期限18日」

 そんなレアなものをどこから仕入れてきたのだろう。まあ、いい、放っておこう。ママは、ささくれを癒してくれそうな桒田さんの目の前に、凍ったグラスを置き、瓶ビールを注ぐ。

桒田:いただきます!

 爽やかである。

内山:桒田さんは、今4年生で、将来日本語教師になるために大学院をめざしてるんですよ。
ママ:そうなの? なぜ日本語教師?
桒田:私、高校の時から日本語教師に興味があって…
ママ:あら、高校の時から。どんなお勉強が好きだったの?
桒田:私、あの日本で一番有名な体育大学、A体育大学系列の女子校だったんです。ほんとに体育ばっかやってました。
内山:え⁉︎

 「18天」を噴き出す内山さん。

ママ:あら大変。もったいないわね、賞味期限18日なのに。

 内山さんに布巾を差し出すママの視線は、完全に桒田さんの口元に向いている。

桒田:みんな、A体育大学への進学をめざしてるんです。
ママ:校則も厳しいの?
桒田:すごく。髪の毛は絶対ショート。化粧はNG。毎日何を食べたか書いて先生に報告するんです。で、厳しくチェックされるんです。これは、二日連続食べたからバランス悪い、これは体に良くないからやめなさい、とか。
ママ:ライザップ高校!!
桒田:それが普通だと思ってました。みんな、目標が同じで同じ方向を向いているんです。
ママ:なるほど。なぜ、その高校を選んだの?
桒田:母がそういうタイプなんです。母親がずっとストイックにやってきたんです。幼児体育の専門で、私も体育の世界に方向付けられたんです。
ママ:で、なぜ日本語教師?
桒田:高校3年生まではずっとA体育大学に行くもんだと自分でも思っていたんです。周りもそう思っていました。
ママ:ライザップだものね…。なりたい自分のイメージは一律よね。
桒田:ゴルフとか武道とかも含めて体育の授業がほとんどの高校で、部活でバレーボールをやってました。で、自分のプレーがうまくいかないスランプの時に、なんだかみんなが同じ方向を向いてるのがおかしいって思ったんです。

 内山さんもママも、ふむふむ、と深く頷く。

桒田:みんな同じ髪型して、同じ大学をめざして。それって変だよなって思ってた時、1年の時に担任だった先生が声をかけてくれたんです。その学校で唯一A体育大学出身じゃない国語の先生がいて、その先生がJICAで日本語教師を募集していることを教えてくれて。その先生も応募したけど、結局はしなかった。でも、私は国語の先生のおかげで日本語教師という仕事を知ることができました。それから、英語の先生も声をかけてくれて、アメリカ大使館に連れて行ってくれたんです。そこで報道官の方とお話できて、ああ、国際的なことっていいな、と。父も元々旅行会社に勤めていて海外でよく仕事していたので、そんなこともあり、日本語教育っていいなと思いました。A体育大学に行くことに対する反抗心もあったので。
ママ:お母さんに反対されたんじゃない?
桒田:そりゃもう。先生も猛反対。3者面談を3回やりました。で、日本語教師になりたい理由をノートに書いて、紙芝居のようにプレゼンしました。で、周りの大人たちが「好きにすれば!」ってなって。
ママ:学校の先生もほとんどがA体育大学出身。大変だったわね。でも、最後には説き伏せたのね。
桒田:はい。母が諦めました。それで、日本語教育を学べる桜美林大学を受験しました。

 内山さんは、桒田さんとママの話を興味深げに聞いている。桒田さんが日本語教師をめざすまでの経緯については初耳だったようだ。大学の教員って、学生のことを知るチャンスが結構ないのかも、とママは思う。大学の外でお酒を飲んだりして、教える/教えられる関係をほぐしていくのも必要ね!!

内山:ママ、桒田さんはね、いろんなところで外国人のサポートに尽力してるんですよ。4箇所くらい。

 聞けば、桒田さんは、外国人支援の緊急シェルターに泊まりんでインターンをしたり、NPO、プレスクールの外国にルーツをもつ未就学児や母子の日本語のサポートをしているという。保育園でバイトをし、たまたま外国にルーツのある親子がいて日本語支援をするうちに、保育士資格の勉強も始め、もうすぐ免許も取れそうだという。なんともアクティブ!!

桒田:子どもが、できなかったことができるようになった時、とても嬉しいです。
ママ:ご苦労はないの?
桒田:今、オンラインでスリランカの17歳の女の子の日本語支援してるんですけど、彼女、スリランカの小学校を卒業して日本に来て、それ以降お父さんの車で移動する以外自分の足で家の外に出かけられないんです。
ママ:ええ! 4、5年間、自由に外に出られないの?
桒田:宗教上の理由で。お父さんがムスリムの宣教師でして。エアコンの修理の人が家に来る時は、家の中に隠れて、声を聞かせちゃいけないからしゃべらず息を潜めていると言っていました。こういう人たちが日本にどれだけいるかわかんないけど、見えないだけで、もっといるんじゃないのかな。
ママ:普段の買い物とかどうするの?
桒田:お父さんと男兄弟が。彼女、オンラインで学校に所属してたんですけど、学生が少ないってことでその学校はなくなり、今は完全に自律学習です。日本語、勉強してるんですけど、特に目標がないんです。これができるようになりたいとかっていう。
ママ:ふーむ。
桒田:結構、大変です。日本語の教科書も、買い物の場面とかの単元、使えないんですよね。買い物する機会がないので。で、YouTubeで動画コンテンツ探して見せるんですけど、「これは男性の声が入ってるからダメ」とか言われちゃうんです。ダメなものが多いです。オンラインでのセッション中、私の背後にちょっと男性が通った時、問題になりました。画面に男性が映るだけでNGなんです。だから、今はキャンパスの中のチャペルの祈祷室を借りて、ひっそり誰も来ないところでセッションやってるんです。
ママ:それは厳しい!

ムスリムといっても、いろいろである。というか、思想は一つでは括れない。

ママ:同じ女性としてどう思う?
桒田:私は…。耐えられません。でも、宗教を選ぶのは自由だと思います。だけど、彼女からしたら生まれた時からそういう環境だったわけで、他の生活の仕方を選べない。もっと世界を知ってから選ぶことができたらいいけれど。「中」にいると「当たり前」と思って異議を唱えられないこともありますよね。それで、いいのかなと。
ママ:そうよね〜。今は彼女とどんな日本語セッションしてるの?
桒田:趣味が料理なので、料理を素材にして作り方とか日本語でできるようにしてます。いつも試行錯誤。日本語支援をやめてしまったら、その子、人との関わりがなくなってしまう、家の外とつながれなくなるんじゃないかと思って。だから、支援をやめたくないんです。

 毎日食べたものを学校の先生に報告しなければならなかった高校時代の桒田さん。A体育大学入学が「当たり前」という環境だった。でも、桒田さんは「外」の世界を知っている先生と出会って、新しい進路のオプションを得て、「当たり前」を疑い、用意された扉じゃない別の扉を開くことができた。スリランカの17歳の女の子も、その頃の桒田さんと同じ年代である。家の「中」だけだと、いろいろな人と話すことは難しい。いくらパソコンとWi-Fiがあっても、画面ですら男性の姿を見てはいけない、男性の声を聞いてはいけないのなら、自由に誰かとオンラインで繋がることは難しいだろう。そんな状況で「当たり前」を疑うことはできるだろうか。もちろん、戒律に従って家の中から一歩も外に出ない生き方にも、幸せや意義がないとは言えない。ママは悶々と考える。「生きるためのレシピなんてない」とミスチルも歌っていた。

ママ:桒田さんはこれから、どんどん大人になっていくわけだけど、大人ってなんだと思う?
桒田:そうですね、いろんな人とうまくやれる人。好きじゃない人とも、そんな感情を抜きにして、苦手な人と一緒でもプロジェクトがあれば、やらなくてはならないことをちゃんとやる人。自分の機嫌を自分でとれるみたいな?
ママ:別所哲也!!
内山:え? べっしょ?
ママ:なんでもありません。内山さんにとって、大人って何?
内山:桒田さんの話を聞いていて思いました。大人って、これから大人になる人の見本になる人かな。
ママ:その通りね!!

 二人が熊よけ鈴を鳴らして店を出て行った後、ママは「18天」をAmazonで検索してみる。「18天」のロゴ入りミニカーだけがヒットした。賞味期限が短いから通販で売ってるわけがない。チッと舌打ちをするママ。いけないいけない、自分のご機嫌は自分でつくるのだ!更けゆく夜に、お気に入りのサッポロ黒ラベルをグラスに注ぐママであった。

スナックまきこの「大人へのエレベーター」。次にスナックを訪れる若者は誰だろう。その若者はどのような大人へとつながるエレベーターを選ぶのだろう。乞うご期待!

(了)

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