第20回
「こわいもの知るズ」の大人たち
お客様:NEKOTOMBO×西のマキコママ
西のマキコママ(通称西ママ)は3年ぶりにサンパウロにいた。
西ママは南米を愛する研究者だ。時々ブラジルに居をかまえ、日系人のことばと文化の多様性を調べている。
今回も調査のかたわら、アマゾン川でピラニアを釣り、なまけものと戯れて過ごした。
時々本を書いている。サンパウロの東洋人街リベルダージの新聞社から本(注1)を出しており、今回新しく出る本も新聞に取材してもらった(注2)。
帰りの空港でNEKOTOMBOと会った。NEKOTOMBOはブラジルの日系人が多い地域で生まれ、日本語もポルトガル語も話せる20代のアーティスト。西ママは時々イラストを頼んでいる。先月やっと大学を卒業したということで、空港のレストランでお祝いをした。
西ママ:卒業おめでとー!
NEKOTOMBO:ありがとうございます!飯まじ美味い!んでもって大学、長かったー!好きで専攻したデザイン学科だけど、本当に辛かった。通学往復6時間の夜学生活と、3年目以降は仕事を始めたりしたこともあって、何度も中退しそうになったもんです。
ブラジルの大学生は、日本と違って、長い時間をかけて大学を卒業する人が多い。入学年齢もさまざまだ。NEKOTOMBOもアーティストとして働きながら、7年かけてようやく卒業した。
そんなNEKOTOMBO、今はいろいろ人生の岐路にたたされている模様。
人生のこわいものを知り、もっと若かった頃にはできたバカもできにくくなったとのこと。
西ママは自分の昔の恥ずかしい体験を語りながら、スナックマキコの定番テーマ、大人ってどういうことかを話したのだった。
NEKOTOMBO:大人ってなんでしょねー。大人びた子どもがいる、子どもじみた大人がいる。でも何を境目に?成人式は年齢で定められてるけど、成人てのは外見年齢で、大人かどうかは「中身」の話だと思うけれども、よくわかんないや。
西ママ:大人とは、「こわいもの知らず」、じゃなくて「こわいもの知るズ」かな。こわいってわかってて、あえて地雷源を進んでいくようなね。
NEKOTOMBO:知る人ぞ知る図!西ママさんもいろいろ活発にやってるけど、こわいってこと?
西ママ:こわいこわい。例えばね、本を出すってことも、こわいのよ。自分の中に貼りついているイデオロギーが知らず知らずのうちに読む人を傷つけるんじゃないか、踏みつけているんじゃないかって、それが怖くて、一歩も踏み出せない気持ちになる。意識の高い書き手はすごいなって、そうなれない自分は情けないなって。
昔出したこの本とかさ、2008年に出したんだけど、今にして思えばひどい表紙だったなって反省してる。いろんな文化が混ざってるっていう意味ではあるけど、ステレオタイプバリバリ。ブラジル人にもいろんな人がいるのに、なんだか一面的なブラジル人像をつくってしまった気がして。
NEKOTOMBO:へー、こんな本出してたんですね!ブラジル人の特有なユニークさは表現されてません?国旗の表し方とか。サッカーボール、もはやブラジルのマスコットですね。でもでも、反省の理由、理解できます。誰が見てもわかるブラジルと、どのブラジル人が観ても共感するブラジル、違いますもんね。
西ママ:今回の本はもうちょっと多様性に配慮したつもりだけど、多様性を色をつけずに、多様性をあるがまま出すって本当に難しいね。
NEKOTOMBO:なるほど。色って強烈なメッセージを放つから、一色使うと他を省く恐れがあって、全部入れると調和が難しい。多様性って、ひとつが万の可能性を秘めてるといった風に解釈していて、そのせいか色とりどりな印象を持ってたもので、この表紙はしんみり真面目、意外でした!都市の民の多様性。表紙写真の経緯が気になります。
西ママ:この表紙はね、デザイナーさんがいくつか出した案の中から編者3人で投票して決まったのよ。幾何学的な色とりどり表紙案もあったんだけど、抽象的すぎて伝わるものがないってことで。エステは何度か調査で行ったんだけど、いい感じにぐちゃぐちゃしてる街で、この本のイメージにあってると思ってる。この本は特に海外にいる「日系」だから、目に見えてわかる日本的な言語景観を写真に出すより、「そこにいるかもしれない」って心を澄ます感じがいいかなと思って。
西ママ:あとさ、多様性の反省話なんだけど、昔日本語教師やってた頃、知らず知らずのうちに「中国ではどうですか」とか「女性の学生の皆さんはどう思いますか」とかって、いろんなラベルを勝手に貼って質問したりしてたことがあって。ふりかえると本当に情けないなって。まさに日本語母語話者と国別日本語学習者を構造的な差別に組み込むイデオロギーの生産装置だったね。自分。
そういうこと考えてたら先生ってこわいなって。教えられなくなっちゃうんだよね。
NEKOTOMBO:あっ!以前、似たような行動とってました。日本語が話せない日系ブラジル人に対して、「こいつら日本語話せない、ろくでもない」って、偏見で人格すら決めつけて・・・。自分自身が「東洋人は努力家、理学が得意、頭が良い」とか言った、個人の努力じゃなくて全て血筋のお譲りみたいな解釈を嫌うのに、未だにレッテルを貼るような発言をしてしまっては反省してます。
西ママ:「よく隠れたものはよく生きた」っていう言葉(※オウィディウスという古代ローマの詩人)があって、よく思い出す。実は、なんか教育することも研究することも発信することも本当はこわいのよ。特に発信することはね。叩かれるし、傷つけるし。隠れるっていうか慎重さにはすごく憧れる。でも、誰かに伝えたいこと、言いたいこともやっぱりあって。もしかしたら言うことで誰かが感動したり、変わったり得したりすることもあるんじゃないか、とか葛藤してね。で、結局言わずにはいられないのよね。
NEKOTOMBO:わかります。私もラジオです。
西ママ:でさ、最近そういうことを友達で作家の温又柔さんに言ったらね、こんな感じのこといわれたんだよね。
まきこさん、自分の足で踏むことを心配しながらじっとしているまきこさんも、もっと大きなものに踏まれてるんですよ。踏む心配もわかるけど、踏まれることに対して意識することももっと大事だと思う。
って。
だからさ、踏むことを心配して躊躇するだけじゃなくて、踏まれることに対しても心配したり抵抗したりしないといけないのかなって。私が好きな温さんのことばで「信じつつ疑う」っていうのがあって、ああまさにそれだよねって。生きていくって、立ち止まり続けることは難しくて、結局は一歩をふみだすしかない。それなら、できるだけよく考えたら、あとは勇気を出して、自分のしたいと思う気持ちを大事に、思い切って地雷源に飛び込む。
大人ってそんな感じかな。
迷える大人全開の西ママにNEKOTOMBOはこんな感じのことをいった。
NEKOTOMBO:なるほど。私は、創作、作品と向き合うことで、自分てこんなこと考えてるんだな、こんな人間なのかって気づくことが多い。日記であれ詩であれ絵画であれ、自分がつくってる間も完成後も、ずっと内省作業で。己の技術的な限界、更に技術的な限界をもってると思ってる偏見、その時の精神などを脳内クライミングして、その果てに生まれるのが作品、かも。
私が創作に生きると決めた理由は、自分が満足する作品を生んだときの感動がこの上なく好きだから。一番大事にしてる観客は私です。創作に関しては、他の人の意見を気にしたりすることは稀。
あと、満足って常に変化するもんで、今満足したら次には変化が必要だったりするから何度でも内省して納得いく創作を追いかけ続けて生きたいと思ってる。
西ママ:なるほど。一番大事にしてる観客は私かあ。その考え方もいいね!
アーティストとして表現活動をがんばっているNEKOTOMBOに教えられるの多い西ママだった。
今回、NEKOTOMBOは、私に詩とイラストの冊子をプレゼントしてくれた。
名付けてNEKOTOMBOOK。
NEKOTOMBOらしい、いろんなことばやイラストが混ざった内省的な冊子。
帰りの飛行機の中で、何度も冊子を読みなおした。
やっぱり、表現活動って好きだな。そして、いろいろな多様性の中で生まれる創造的な活動はやっぱり素敵だし、好きだ。
その活動の魅力をいろんな人に知ってもらう活動はやめられないな。
自分ももっと世界におもしろい発信がしたい。
西ママはそんなことを考えながら、24時間以上かけて日本に戻ってきたのだった。
スナックまきこの大人エレベーター。今後もたまに1階のスナックを抜け出して「大人エレベーター」を企画します。次回は若者なのか、熟年か。乞うご期待!
※NEKOTOMBOOKは今月号の芸術アリスに掲載されています。
注1『ブラジル人のためのニッポンの裏技』=ドラマがちりばめられた日本語教本=楽しく学べてベストセラー
注2 日本が多様性高い社会になるために=松田、岡田両教授が来伯=『「日系」をめぐることばと文化』出版
文:NEKOTOMBO×西のマキコママ
イラスト:西のマキコママ