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第19回

ラスター彩の大人

お客様:児童文学作家 新藤悦子さん

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雑居ビルの5階から1階に引っ越したスナックまきこだが、5階の新しいテナントはまだ見つかっていない。まきこママはたまにエレベーターで5階へ上り、かつての居場所に戻る。窓を開けて風を通し、営業もしてみる。誰にだって気分転換は必要である。

チーーーン。

お、きたきた! 今夜はママが特別に招いた客である。

新藤:お久しぶり〜

 満面笑顔のショートカットの女性がエレベーターから現れる。「olive」のロゴ入りTシャツ。コットンのフレアスカートを揺らして軽快に店に入ってくる。確か半年前に還暦を迎えたはず。だけど、なんと若々しいのだろう。

ママ:えっちゃん、いらっしゃい! お呼びたてしてすみません!一刻も早く本のお礼が言いたくて。

 新藤さんは児童文学作家である。最近、新刊を出した。『いのちの木のあるところ』という大作だ。出来立てほやほやの一冊を、新藤さんはママに送ってくれたのである。ママは分厚い、その本をこの1週間、少しずつ読みながら時々泣いた。悲しいシーンや「よかったね〜」と安堵するシーンが胸を何度も締め付けた。

ママ:毎日、涙涙のオンパレードよ!
新藤:あら、ありがとう。嬉しい。あの本はこれまでで一番時間もかけたし、私にとっても特別な本なの。
ママ:そうでしょうね。物語が壮大だもん。さて、何をお飲みになる?
新藤:クラフトビール、ある? フルーティなのがいいな。
ママ:ありまーす!

 ママは、長野県の酒造がつくっている、柑橘系の香りがするIPAの瓶を冷蔵庫から取り出す。

ママ:しっかし、えっちゃん。あの本を書くのにどんだけ歴史を調べたの? 私、世界史全くだめなんで、へー、そーなんだ〜!って新しく知ることばかりだったんだけど。
新藤:うん、歴史はね、相当調べた。わかっていないということをわかるってことが重要だった。わからないこと、表に現れてないことは、私が自由に書けるから。

 新藤さんのつくる物語のほとんどは、トルコが舞台となっている。今回の新刊は、800年ほど前のトルコの王族たちの物語。

ママ:そもそも、なんでえっちゃんは児童文学作家になったの?
新藤:ふふふ。それはね、不純な動機なのよ。
ママ:不純? 

 新藤さんがイタズラっぽく笑うので、ママはますますその動機を聞きたくなってカウンターに乗り出す。

新藤:トルコに仕事で行ける、それだけの動機よ。
ママ:えっちゃんのトルコへの思い入れは特別よね。
新藤:最初はトルコの紀行文書いてたの。
ママ:ノンフィクション作家だったんだ!
新藤:子ども生んだらトルコに行けなくなっちゃったの。子どもができる前に行ったトルコのことを、子育てしながら、今旅してるかのようにしばらくルポにしてたんだけど、だんだんネタ切れになってきたの。ある時、創作を書かないか?って編集者に言われたの。

 新藤さんは、ヴォーグ社から出版されている「毛糸だま」という手芸雑誌にエッセーを連載していた。トルコの絨毯の産地を紹介する紀行エッセーだった。そのエッセーの連載を本にする予定だったのが、絵本に仕立てることになった。そこで、新藤さんは編集者から「お話を書いて」とリクエストされたのである。そうしてできあがったのが、絨毯の絵と新藤さんの文章からなる「空とぶじゅうたん」という短編集絵本だった。

新藤:恋愛ものにしてくれって言われたの。ええ?っと思ってね。子どものおむつ替えながら恋愛⁈ 恋愛なんてはるか昔のことだしさあ。第一、恋愛って「する」ものでしょ。「書く」ものじゃないでしょって思ったの。私、私小説と恋愛小説には興味ないのよ。読みたくないし書きたくもないの。
ママ:うーむ。でも引き受けたんだ。
新藤:トルコのこと書いていいっていうから(笑)。渡りに舟なわけ。で、「毛糸だま」だけじゃなくて、文芸関係からも子ども向けの小説書かないかってオファーが来たの。子ども向けは正直わかんないって言ったら、いろーんな種類の児童文学の本を編集者が送ってきてね。こんなのも子ども向けなんだ!!ってのがあって。子どもの本を見る目が変わって子どもの本の可能性を知ったのよ。

 ママは、新藤さんの『青いチューリップ』という本も読んだことがある。子ども向けだが、熟女のママの胸にも爽やかな風を吹かせる名作である。

新藤:『青いチューリップ』は、編集者がよかったな。彼女と話していると、物語が広がっていくのよ。彼女と一緒に仕事がしたいって心から思った。

 そうか、そうか、とママは熱を帯びてきた新藤さんの話に耳を傾ける。
でも、ちょっと待てよ。そもそも、なぜ「トルコ」なんだ?

ママ:ねえねえ、なんでトルコなの?
新藤:え?
ママ:トルコのどこに惹かれるの?
新藤:人、かな。料理もおいしいけどね。
ママ:人? 人の何?
新藤:話が長くなるわよ。

 新藤さんはビールをおいしそうに飲みながら、トルコに魅了された経緯を話してくれた。それは、トラブルと偶然と縁がつなぐ愉快な旅物語だった。

 新藤さんが入学した大学の学部では、世界の中から自分で国や地域を選んで研究をすることになっていた。新藤さんは、ポピュラーな国や地域ではなく、ちょっと変わったところを選びたいと思った。そして、中南米か中近東のどちらかに、と心に決めたのだ。

いろいろ比較した結果、トルコを選んだ。そして、大学3年生の夏休み、初めてトルコに行くチャンスが訪れた。サークルの先輩の紹介で、アリババさんというトルコ人と文通をしていた新藤さんは、日本語が堪能で日本に興味を持つアリババさんに会ってみたくなった。アリババさんはトルコの南方に住んでいた。イスタンブルからバスに乗り、アリババさんの住む街を目指した。バスの中で、タルソスという街に住む青年に出会った。

青年は新藤さんにタルソスに行くのか?と聞いた。「行かない」と答える新藤さんに「クレオパトラがデートした公園があるっていうのに? タルソスに行かないなんて道理がある?」と迫った。新藤さんは青年と一緒に途中下車した。折しも、その時期は街中大きな祭りで賑わっていた。祭りなので次のバスの予約は満席で取れなかった。そして、祭りなので銀行は1週間休業していた。新藤さんは現金の持ち合わせもなく、その頃クレジットカードなんて学生が持てる時代でもなかった。新藤さんが持っていたのはトラベラーズチェックだった(今もあるのだろうか、TC…)。万事休す、身動き取れず。

青年は責任を感じて自分の家に新藤さんを連れて行った。そこには青年の親戚縁者がたくさんいた。1週間、新藤さんは青年の家にホームステイをすることになった。それまで縁もゆかりもない家族と、だ。

近所の人は日本人を珍しがって、毎日お菓子を新藤さんに持ってきて食べさせた。ある日、お椀いっぱいのオリーブを携えたおばあさんが訪れた。オリーブを一つ齧って、新藤さんは礼を言った。あまり美味しくなかったのだ。おばあさんはもっと食べろと言う。他の人が持ってきたお菓子をたくさん食べるのに、自分のオリーブを食べないのは何事か、とむくれた。祭りの時期に訪れた、珍客の新藤さんは、神様が連れきてくれたゲストだと地域では認識されていた。その特別ゲストに親切にすれば、自分も幸せになると信じられていた。つまり、おばあさんは徳を積むために新藤さんに山盛りのオリーブを振る舞ったのだ。

聞けば、おばあさんは自分の4日分のオリーブを持ってきたと言う。そして、自分はその日のオリーブを買うのが精一杯なくらい貧乏なのだと。新藤さんは「大変ですねえ」と、おばあさんに優しい言葉をかけた。が、おばあさんは大変じゃないと言う。1日分のオリーブを買うだけのお金しかないから1日分のオリーブのことだけ心配してればいい。もし、1週間分のお金をその時持っていたら、1週間分のオリーブを買うことを考えなければならない。1年分のお金なら1年分のオリーブのことを考えなければならない。だから、自分は不幸ではないのだと。ははあ…そんな考え方したことない、と新藤さんはあっけに取られた。

クレオパトラのデートスポットにも足を運んだ上で、タルソスを後にしてアリババさんの街を再び目指すも、新藤さんはブルサという街でバスを乗り換えることになる。またそこで不思議な青年に出会う。自分の10年後はわからないけど、新藤さんの10年後はわかると、彼は言った。「私、どうなってるの?」と驚きの表情で聞く新藤さん。「君はね、今と同じように笑ってるよ。10年先も、そのずっと先も」と青年は答えた。新藤さんは、ははあ…と思った。「将来のこと」といえば、職業とか結婚とか、そんなことを想像するものである。しかし、「笑っている」なんて答えが来るとは想像しなかった。実際、新藤さんは今でもいつでも笑っているのだ。トルコの旅は万事がそんな感じだった。不思議な人、不思議な言葉にたくさん出会った。

新藤:日本にいたら、見られなかったこと、聞かなかった言葉、できなかった体験。私は、そんなことを物語を通して人に伝えたいんだよね。
ママ:なるほど〜。

 ママは新藤さんのTシャツのロゴに目をやった。「olive」。新藤さんはママの視線に気づいて言った。

新藤:今ではオリーブ大好きなの。

 タルソスのおばあさんの4日分のオリーブ。私だったら何粒食べただろうか、とママは想像してみる。

新藤:トルコの話はもういいです、日本を舞台にしてくれっていう編集者がいるのよね。日本の子どもたちに読ませる物語だからって。
ママ:ふむふむ。そうくるでしょうね。
新藤:それで、そういう人とは一緒に仕事しなくなっちゃうのよね。

 自分の中に、誰かに伝えたいことがあるから筆が動くのだ。新刊『いのちの木のあるところ』にも、名誉やインカムよりも、そして戦争に巻き込まれる危険があっても、自分のしたい仕事、誰かに見せたい作品づくりをやり通すキャラクターが出てくる。もはやそれは「仕事」を超えた人生そのものなんだ、とママは思う。

ママ:えっちゃん、大人ってなんだと思う?
新藤:大人? んー、わかんないねえ。

しばし、考え込む新藤さん。

新藤:大人じゃないけど「中年」って考えると、子どもと老人の間に立つ、まさに「中年」。子育てと介護に追われる立場だよね。幼くもないし年寄りでもない。働き盛りの。
ママ:ああ、えっちゃんは子育てと介護、両方同時にしてたものねえ。

 子どもの世話も、夫の親と自分の親の世話をしながらも、新藤さんは物語を書いていた。

新藤:ああ、そうそう。大人って、ラスター彩かも?
ママ:ら、らす?
新藤:ラスター彩。焼き物よ。スペインに一つだけ工房が残ってるの。

 ママには初耳のラスター彩。12~13世紀につくられたイスラム陶器の一種だそうである。金じゃないけど金のような輝きを放つらしい。ラスターとは「落ち着きのある輝き」という意味だと新藤さんは教えてくれた。

ママ:落ち着きのある輝き?
新藤:青山に「グランピエ」っていう西洋民芸の店があってね、そこでラスター彩を見つけたの。還暦の記念におちょこを買ったの。
ママ:ほー。ラスター彩のような「落ち着きのある輝き」がえっちゃんの「大人」なわけね。
新藤:だけどさ、知人がね、私の娘に言ったんだって。「あなたはお母さんより落ち着いてるよね」って。
ママ:わっはっは! 理想の大人にはまだ到達してないってことかな〜。じゃあ、えっちゃん、将来の夢は?
新藤:書くこと。書き続けること。

 新藤さんの目はど真剣で、鋭い光を放っている。

ママ:トルコのことを?
新藤:もちろん!

 新藤さんは楽しそうに笑った。彼女は10年後も20年後も笑い続け、トルコのことを書き続けているに違いない。ちょっとだけママより人生が先輩の新藤さん。私も笑い続け、好きな仕事を続けたいと強く思うのだった。新藤さんが店を去った後で、ママは、ふとひとりごちた。

ママ:結局、えっちゃんはアリババさんに会えたのかな? 

 スナックまきこの大人エレベーター。今後もたまに1階のスナックを抜け出して「大人エレベーター」を企画します。次回は若者なのか、熟年か。乞うご期待!

※新藤悦子さんの新刊『いのちの木のあるところ』については、次号「文芸アリス」でたっぷりご紹介します。こちらも乞うご期待!

スナックマキコの大人エレベーター。それは、様々な文化を育む大人が場末のスナックに語りにやって来るエレベーター。次回はどんな客が訪れ、何を語るのだろうか。乞うご期待!

文 東のマキコママ
​イラスト 西のマキコママ

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