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言語文化放浪記
〜滋賀もいろいろ、人もいろいろ〜

6月号から「文芸アリス」に新連載。

放浪者が地域のことばに着目し、風土とともにことばに対する愛をお届けします!

​7月号は、いろいろな言語文化を放浪した、滋賀県出身のさえりさんのお話です。

 

 滋賀県を通り、京都駅と福井県の敦賀駅をつなぐJ Rの路線は二本ある。ひとつは琵琶湖線。これは東海道本線でもあり、京都から草津、米原、彦根、長浜と琵琶湖の東側を通る。草津あたりだと京都、大阪からの通勤圏でもあるので現在はベッドタウンの沿線でもあり通勤客は多い。もうひとつは湖西線。琵琶湖を挟んで反対側、西側を通る。この二つの路線はちょうど琵琶湖をぐるりと取り囲むようにしてつながっているので、鉄道ファンは、一駅分のチケット180円で購入し、反対方向にぐるっと琵琶湖を一周したりする。

 

 西側は東側とは地形的にも大きな違いがある。平野が多い東側に対して、西側は平野が少ないので、電車は左手にそびえる比良山系と右手に広がる琵琶湖の間を縫うようにして走る。まさに絶景である。鉄道ができる前は汽船が琵琶湖西岸の村々と大津を繋いでいたそうだ。このような地形は人の行き来を困難にし、その結果として、独自の言葉や文化を残す。ちなみに我が故郷は琵琶湖の西側に位置する滋賀県高島郡(現・高島市)である。わたしはここで18歳まで育った。

 

 高校は地元の高校だったのだが、高島市の北隣の伊香郡(現・長浜市)からや、南隣の滋賀郡(現・大津市)の同級生に出会い、彼らの話す言葉と自分の言葉の違いに気づいたのである。特に、伊香郡からきた同級生はイントネーションが既に関西弁ではなく、我が故郷が関西イントネーションの北限に近いことを知ったのもこの頃だった。また滋賀郡からきた学生は「〜しはる」という、はんなりした言葉を使っていてさすが都会に近い!と驚いたものだが、滋賀郡には大きな住宅地があり両親とともに大阪や京都から引っ越してきた子が多かった。また琵琶湖を挟んで対岸の彦根などから赴任した先生は「先生、今日、宿題あるんけ?」(あるんですか)という女子がいることに驚いていた。「女の子がそんな言葉を使ってはいけない」と真剣に諭されたものだ。「滋賀」と一口に言ってもさまざまであることを体感として知ったのが高校時代だった。

 

 時は流れて、わたしは細々とweb に記事を書く仕事をするようになった。ある日、取材で滋賀県に行った時のこと。

「若林さん、たちまち、コーヒーでも飲まへんか」と言われた。その人はサッカーやメロンで有名な守山市の人だった。ちなみに、元サッカー日本代表の井原正巳選手は守山高校出身である。

「は、はあ」と二つ返事をしたものの、「たちまち」の使い方が明らかに間違っていると思った。怪訝な顔をしている私にその人は「あ、高島の方では使わへんの?『たちまち』っていうのは『とりあえず』って意味なんや」と得意げに説明してくれた。それを聞いていろめきたった。おもしろすぎる。

 

 「たちまち」というのは「その後すぐに」とか「瞬く間に」と言った意味で「苦労してつけた火がたちまち消えてしまった」とか「そのお菓子はたちまち売り切れるだろう」というようにして使われていると思う。ところが滋賀県の一部地域では「とりあえず」という意味で使われるのだ。「もう遅いし、たちまち帰りましょう」という具合だ。ちなみに、広島県の一部でも「たちまち」という言葉が同じ意味で使われているらしい。やはり、わたしが知っている「滋賀」はほんの一部にすぎなかった。

 

 京都の大学へ進学し、京都出身の友達ができると、こんなことを言われた。「さえりの関西弁ってちょっと違うよなあ」耳を疑った。自分の言葉はれっきとした関西弁だと思っていたから、どこがどう違うのか自分でもわからなかった。そういうと「なんかきつう感じるねん」と言われ、長年慣れ親しんだ前述の疑問助詞「〜け?」は封印した。「〜け?」というのも高島郡の人だけで「都会に出る前に、その言葉だけは直していけ」と言われるのだったが、無意識に出ていたらしい。

 

 また、久しぶりに帰省して「お父さん、おる?」というと、母に「なんちゅう言葉を使うんや」と言って叱られた。父親がいるかどうかを聞きたかっただけで、そう言うとき標準関西弁というものがあるとすれば、「おる?」と聞くのだ。母に「なんて言えばいいん?」と聞くと、「お父さん、やんすけ?」と言うのだと言われた。「訛りすぎやろ?」と笑ってしまった。いつの間にか自分の使う言葉が変わっていたらしい。帰省の話で言えば、幼い頃の娘は実家に帰省した際に母(娘にとっての祖母)が疑問助詞「け?」を使うたびに「おばあちゃん、そんな言葉を使ったらあかんで」と言っていた。

 

 自分の言葉もおかれた環境と周りにいる人の言葉の影響で無意識にゆらゆらと変わる。だから、滋賀の言葉に揺れがあって当然だろう。滋賀にもいろいろな言葉があり、滋賀に住む人も滋賀出身の人もその人なりのお国言葉がある。そして、その違いが他の他府県より少しだけ大きいのではないかと想像する。それは、母なる琵琶湖があるおかげだ。母なる琵琶湖の周りを取り囲むようにして滋賀県民は暮らしている。だから当然行き来も少なくなり、言葉も文化も違ってくる。「近畿のお荷物」と言われることもあるが、それこそが滋賀の豊さなのだと思う。

 

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