言語文化放浪記
〜北の国から“おだつ”
6月号から「文芸アリス」に新連載。
放浪者が地域のことばに着目し、風土とともにことばに対する愛をお届けします!
「今頃、あきらママはどうしているかしら。変な客に絡まれてたりしてないかしら」
まきこママは、カーフェリー「さんふらわあ」のラウンジでサッポロクラシック生の2杯目をやりながら、ドス黒い太平洋を眺めつぶやいた。船内の生ビールサーバーが利用できる時間は限られているし、自動販売機の稼働時間も限られている。だからママのピッチは早い。翌朝、苫小牧の入港前にドライバーたちはすっかりシラフに戻らねばならないからだろう。とにかく、とっとと飲まなければ。
何やらおっさんたちの高笑いが奥の方から聞こえるが、姿は見えない。大勢で飲んで騒いでいるような様子である。笑い声の発信元は「長距離大型トラックドライバー専用ルーム(全席指定)」と書かれた扉の奥だ。扉の奥の野太い声が、ママの意識を元職場のスナックに向けたのだった。
いやいや、やめよう。酒を飲む中年以上の男性がスナック店主を絡むというのは、偏見そのもの。当のママだって、酔えばおっさん客に向かってコンコンと無駄な説教をすることもあったのだ。ママは取り越し苦労を脳みそから取っ払い、プラスチックカップをゴミ箱にぶっ込んで寝室に向かう。と、その時、赤ら顔の中年男性二人がトラックドライバー専用ルームの扉をバーンと押し開け、揃ってタオルを首から下げながらおぼつかない足取りで現れた。
「ケンちゃん、おだんつんでないよ!」
「いやあ、ごめんごめん、なっまら楽しくてさ」
ケンちゃんと呼ばれたおっさんは、しわくちゃな笑顔でもう一人のおっさんの肩をポンポンと叩いた。肩を叩かれたおっさんは、「しょーがねーな」と言いながらケンちゃんの後頭部をパシッとはたく。仲が良さそうなおっさんたちだ。二人は風呂場の方に歩いて行った。
「ケンチャンオダツンデナイヨ…」
ママはおっさんの言葉を頭の中で繰り返した。
翌朝。入港前の汽笛が海原に鳴り響き、「さんふらわあ」は苫小牧港へ。ママは軽い足取りでトントンと螺旋階段を降り、船底で冷え切った愛車ジムニーに乗り込む。目的地は十勝の一軒宿である。スナックのママを引退したママは、放浪の旅に出たのであった。苫小牧から十勝方面に向かう道中、海を見て、牧場を見て、自衛隊の小型トラックの群れを追い越し、トウモロコシ畑の隙間を縫い、車中一人カラオケをしながら運転し続けた。「あー、あたしって自由なのね」と、片手でハンドルを握りながらママは微笑む。途中、疲れてソフトクリームスタンドに寄った。ぺろぺろと夕張メロンソフトを舐めていると、隣のベンチに座っていた家族づれから微笑ましい会話が聞こえてきた。
「まりちゃん、写真撮ろうね〜。はい、ポーズ」
3歳くらいのまりちゃんは、母親の膝の上からピョーンと地面に降り立ち、父親の構えるスマホに向かってニコッとする。それだけではない。ずんどうの足をクロスさせてモデルのようなポーズを作ったのだ。
「おお!」と母親。「うわ、まりちゃんおだってるよ!かわいいじゃん!」と父親。父親の笑顔は煮込んだ肉じゃがのじゃがいものように崩れそうである。
「マリチャンオダッテルヨ…カワイイジャン」
ママは、若い父親の言葉を頭の中でリフレインする。
学生時代、方言研究会に所属していたママは、「オダツ」が方言であることを認識する。そして、その意味を知りたいと思う。しかし、首からタオルをぶら下げたトラック運転手のおっさんと、口の周りをソフトクリームだらけにして愛らしいポーズを作るまりちゃんの共通点がどうしても見出せない。
十勝の宿での夕飯の時間、ママは思い切って宿主に聞いてみた。宿主はすぐに教えてくれた。
「調子に乗るって意味ですよ。例えば、おめえ、ちょっと新しいiphone手に入れたからってみんなに見せびらかしておだってんじゃねえよ、スマホがすごくたっておめえがすごいんじゃねーよ、みたいな?」
ははーん。3歳が調子に乗っても害がないから可愛いってことになるんだな。でも、中年が調子こいてしまうと、醜く見えちゃうんだな。
ママは、ハッと我にかえる。「自由」なんて言ってフェリーで生ビール飲んで、片手ハンドルで高らかにドリカムを歌い、ソフトクリームぺろぺろしてたやつは誰だ。私だ。おだってるぞ、私。どうして、今、北の大地に一人のほほんと糸の切れた凧状態でいるのだ、私。大洗港から苫小牧まで運んでくれた船長さんはじめ「さんふらわあ」のスタッフの人たち、高速道路を荒野に引いてくれた人たち、美味しいソフトクリームを作ってくれた人たち、何よりも場末のスナックから北の大地に送り出してくれた周りの人たち。私の自由はいろんな人たちの努力と汗から生まれてるんだぞ! 突然ママは「無駄におだってないでこの世界のために何かしなくちゃ」と思い立った。
というわけで、ママはあちこち放浪しながらその土地の「ことば」を拾って、そのことばから感じたことを『トガル』の読者に届けることにした。それが読者にとって何の役にも立たなかったとしても、ある土地のことばを見つけてそれにちょっと注目することで、そのことばを使う人たちにも興味を持てるんじゃないだろうかと思うのだ。人に関心を寄せることは大切だ。すべての不幸は無関心から始まるとママは思っている。
「よーし、北は北海道から南は九州、沖縄まで、巡り巡って『トガル』の読者にバンバン情報届けちゃうぞー。あたしってすごい!」
張り切るママ。
「おだってますね、ママ」
冷静に指摘する宿主。
さて、次はどの土地からどんなことばが届くのだろうか。乞うご期待。