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書名:結婚移住女性のエスノグラフィー
―地域日本語教育の新しい在り方―

(早稲田大学出版部、2023.12.25)

福村 真紀子
(茨城大学)

 

 『トガル』の連載、「スナックマキコの大人エレベーター」と「言語文化放浪記」を担当してきた私に、「自著を語る」のコーナーを受け持つ機会が訪れることになるとは!! 本当に驚きです。せっかくいただいたチャンスなので、「自著を語る」も私らしく、堅苦しさを取っ払って肩の力を抜き、たまに尖りながら語ってみたいと思います。

 まず最初に、この本の主人公になってくださった4人の結婚移住女性と調査にご協力くださった2人の日本の女性に、心からお礼を申し上げます。子育ての忙しい中、私のために時間をつくってインタビューに応じてくださり、私のことを信じて個人的なことを語ってくださったことは本当にありがたいことです。

 「自著を語る」という本題からは外れますが、「本を世に出す」ということにちなんで、子どもの頃の夢について述べます。

 私は小学生の頃から小説家になりたいと思っていました。仮病を使っては家で物語(主にファンタジー)を書いたりしていたのですが、中学生になってからは部活や友達付き合いで忙しくなり、物語づくりから距離を置きました。ずいぶん大人になってからカルチャーセンターの小説教室に通い始めたのですが、蓋を開けてみると、講師は官能小説家つまり「エロ作家」のプロでした。私が書いた純文学的な物語が、その講師の余計な指導によってはちゃめちゃになっていくのが耐えられず、小説教室からは撤退し、コソコソと書いてはいくつか懸賞小説に応募しましたが、もちろんダメで挫折しました。そんなこんなで小説家の夢は叶えることができていません。よって、「本」の出版という点からすると、『結婚移住女性のエスノグラフィー:地域日本語教育の新しい在り方』は、「本を世に出す」という砕けた夢のリベンジかもしれません。

 

 本著は、博士論文に加筆修正を試みたものなので研究書のカテゴリーに入るのですが、私にとっては物語です。とは言っても、小説家が書く物語ではなく、フィールドワーカーが描く物語です。「書く」ではなく「描く」と表現したのは、博士論文を執筆していた私は文字を綴っているというよりは、人の Life(人生、生活、命)を巨大な模造紙に絵巻物のように描いているような感覚を持っていたからです。

 本著の主人公は、ナルモンさん、リンさん、レイラさん、アンさんの4人(いずれも仮名)です。4人とも日本人男性と結婚し、日本ではないアジアの一国から移住してきた子育て中の女性です。言葉、文化の壁が目の前に立ちはだかって戸惑ったり、出自国と夫の国である日本との経済格差が夫婦間の力関係にも影響を及ぼし、夫の前で萎縮したりする姿を私は見ました。もちろん、戸惑っているばかりではなく、逞しく異文化で生活している様子も見せてくれることもあります。しかし、どうしたって、移住者である彼女たちは、同じ子育てをしている日本の女性に比べるとアドバンテージを取れないことがたくさんあります。例えば、幼稚園や保育園の入園は日本語で情報を得て、日本語で申請書を書かねばなりません。こうした手続きに出遅れると子どもを自宅の近くの幼稚園や保育園に入れられないこともあります。また、「日本語ができない」と思うことで、コミュニケーションに問題を感じて「ママ友」をつくりづらかったりします。仕事がしたくてハローワークに行っても、日本語能力を問われて希望の職に就けないことも多々あります。漢字の読み書きができなければ、ファミリーレストランのホールの仕事はさせられない、と言われるケースもあったのです。今やほとんどのファミリーレストランでは、メニューの番号を客が指差し、ホール係はその番号を端末に打ち込んでピピっと送信すれば事足りるのに、です。

 そんな彼女たちに、私は子育て期にあった自分をオーバーラップさせました。私は、言葉や文化をまたいで結婚したわけではないですが、夫の経済活動を優先させて、日本の中を移住し子育てをしました。血縁、地縁が絶たれた状態で子育てをするのは本当に「しんどかった」のです。今の時代「イクメン」という言葉が流行し、育児休暇を取得する男性も増えてきました。しかし、「イクメン」という言葉が持て囃されていること自体、子育ては女性の役割であるという考えが社会から抜けきれていないことを表しています。子育ては本当に素晴らしい仕事ですが、一人でするのは「しんどい」と私は感じていました。また、職に就いていないという状況は、社会とのつながりを絶たれたような感覚がありますし、自己有用感が得られないこともあります。子育て中の女性が抱える問題には、人的ネットワークと自己有用感が足りないことがあげられます。「あげられる」と書きましたが、そのケースは私自身のケースです。

それで、私は自分のことを思いながら彼女たちのLifeを描きました。

 

 私は、日本語教育に携わる立場から、さまざまな国や地域にルーツを持つ親子のためのサークルを運営しています。子育て期の自分の「しんどさ」がこのサークルの原動力になっています。サークルでは、日本語を明示的、体系的に教えることはせず、料理や農作業などを参加者と一緒にしています。コミュニケーションの方法も日本語にこだわっていません。日本語にこだわらなくても、裏には〈ことばの学び〉を促す日本語教育という目的があり(本著を読んでいただければわかっていただけると思います)、私は、地域日本語教育の一つの形だと思っています。本著の主人公、ナルモンさん以外の女性は、このサークルのレギュラー的メンバーです。彼女たちの〈ことばの学び〉とは何か、彼女たちにとってサークルはどんな意味があるのか、これからサークルをどうしていけばいいのか、そんな問いに向き合いながら、エスノグラフィーという形で、彼女たちのLifeの物語は出来上がりました。

 

 小説家という夢は、もう儚くなりましたが、私は4人の物語を描くことで「本を世に出す」ことができ、本当に幸せだと思っています。そして、本著を読んでいただき、地域日本語教育をどうしていくのがいいのか一緒に考えてくださる人が一人でも増えてくださることを祈念します。

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