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#20

「漁村と彼女の美しさが問うもの」映画『宵闇真珠』

宇佐川拓郎

 この映画を観たのは今から7年前になる。以下に書き記した感想は、当時の私が感じ一部書き残していたものを改めて文章として書き起こしてみたものとなる。最後に、当時私の中で生まれた問いかけを再び思い起こしながら、どう、現在の活動に繋げていけるかまとめてみた。

フィルムの内実

 クリストファー・ドイル。観たいみたい、と思っていたが、いつも機会を逃していた。「一ファン」とも言えるオダギリジョーが出ているとだけあって、今回ばかりは観るに漕ぎつけた。予告を見ていた段階で、その「妖麗」にも思える世界観に惹きつけられていた。

 少し謎めいた、だけど透明感の漂う女優が放つオーラ。彼女を主軸として、香港の漁村の「小さな世界」がくるくる廻る。そこに立ち籠めるは、摩訶不思議な空気観。

 妖麗な女優・アンジェラ・ユンは、落日の漁村で漁をして生計を立てる父の一人娘として登場する。幼い頃から「肌が弱い」という理由から、日に当たらないように父親にかばわれてきた。外に出る時は日除け帽と大きなサングラスを常備し、肌の露出も控えている。そうした父から娘への「配慮」が結果としては、その白い透明感ゆえの、独特の妖麗さを彼女の全身に纏わせることとなった。

 ある日、オダギリジョー演じる「旅人」風情の異邦人が村にやってくる。事情等は明かされぬが、一人、高台にそびえる廃墟に寝泊りをすることに決める。その廃墟が一風変わった趣なのだ。内部に取り付けられた装置を操作すると、建物がくるくる廻る。と同時に、外の村一面の景観が、鏡越しに映る。まるで、遊園地のアトラクションさながらなのである。しかも、廃墟として、時代からも、村からも取り残されてしまった観があるのである。

 とある日、オダギリ演じる異邦人は、鏡越しに、白くて「美しい」女性を見かける。アンジェラ・ユンだ。心を囚われるままに、彼女のいる場所へと向かう。波打ち際の河岸で、イヤホンから流れ出る音楽に合わせてひらりと踊るその娘と出逢う。

 ユンは戸惑うのも束の間、同級生から「白くて、見えない、幽霊」扱いをされる自分のことをちゃんと見付けて、自然に言葉をかけてくれたことになんとも言えない喜びが込み上げてくる。一方で、どことなく寂しさと哀愁が全身から漂う彼女と言葉を交わした時、彼は悟る。「君は、僕と同じだーーー」

 彼とのこの出逢いに後押しされる形で、ユンは「なぜ、自分が、こうも父親にかくまわれているのか」、自問自答を深める。なにか、別の事情があるのではないか。いなくなったと聞かされている自分の母親は、どんな人なのか。そこに、秘密が隠されているのではないか。父親に対して詮索をかけるも、釈然としない。唯一分かったのは、母親がどうやら自作の歌を唄う歌手であったのではないか、ということ、、、。

 その事実が、彼女に力を注ぐ。この落日の村で、陽の当たらない場所で、暮らしていたくはない。もっと華やかな場所へ、煌びやかな衣装を身に付け、繰り出したい。陽に当たりたい。閉じられた村の中で、容易には「外」へと出られない環境下で、彼女の芽生え始めた願いを満たしてくれるのは、異邦人である彼の存在であった。

 自分の住む村を見降ろす高台にある彼の元へ行き、言葉を交わす。そんな日が、何度かつづく。だけど、深い関係には発展しない。「君は、僕のようだ」と感じたオダギリではあったが、彼女の困惑を、深い共感をもって受け入れるには至らないのだ。

 一方、二人の成り行きと並行して、漁村を観光地化しようとする一団が村へやって来る。やつらへの「売り渡し」を一部の「地元民」が企む展開が進む。最終的には、オダギリも一役買い、その一団の「企み」を暴き出し、村を買収の魔の手から救い出すこととなる。

 そしてその翌日、異邦人であるオダギリはユンに言葉をかけることもなく、村を後にしてしまう。
 ユンが再び廃墟を訪れた時には、彼と会うことはない。

 映画のラストシーン、村のまなかいを流れる河を船で渡る彼女の眼を通して、「村」並みの「自然の成す美しさ」に観客の眼も奪われようとする時、その景色の中に一体となってたゆたってゆくユン自身の「美しさ」に改めて、魅了されている私自身に気付いた。

フィルムが私に残した問い

 そしてこの作品は、いくつかの問いを残してフィルムは終えた。

 ひとつ目に、辺境に位置するこの漁村が、「観光地化」や「グローバル化」といった現象により、その自然のもつままの美しさを一部的にも、場合によっては永久的にも、喪われてしまうことの如何について。

 ラストシーンに分けても象徴的に描かれてはいるが、ひとつひとつどの場面を切り取っても、そこに屹立する漁村の世界観には得も言えぬ美しさがある。一種のノスタルジアなのか、おとぎ話の世界なのか。だが、登場する滑稽なかかしや、手作りのカメラなど、村民がつくるもの一つとってみても、自然への親愛の念が滲み出ている。そして、それが奏功してか、村の確かな存在感が暖かみをもって確立されている。

 私たちの日本の邦においても、ほかの諸地域においても、同じではないにしろ、こうした「ノスタルジア」を感じさせる村や町並みは数多くあろう。住民の意向を踏みにじって、というのは大いに難があるにしても、こうした自然のままの、そこにあるだけで「美しさ」そのままであるところのものを、観光地化やグローバル化といった波に流さるるままに、他に「差し出す」ことは行われて然るべきことなのだろうか。自然がつくったままの美しさや良さを、健気に、時に謙虚に、受け容れてみる姿勢は今こそ大切にされても良いのではないか。

 メディアと交通の発達により、地球の色々な地点の自然織り成す美しさにアクセスし易くなった。「差し出され」ずに済むためには、そうした姿勢の作法を、意識して身に付け直すことが必要かもしれぬ。そうすれば、自然と歴史とかつての人びとが織り成してきた「美しき」街並みや村並み、それらを含めた文化を、私たちは垣根を越えて愛でる機会に恵まれよう。

 ふたつ目は、アンジェラ・ユンの存在について。

 彼女の(父親の「配慮」も一役買っているとはいえ)その妖麗なる美しさは、漁村が放つ天然のままの美しさに重なって見えてはこないだろうか。村の美しさがユンの美しさを際立たせていると同時に、彼女あってしてこの村の比肩なき美しさが強調されているようにも思える。ユンは、きっと間違いなくこの村の「シンボリックな」存在なのだ。

 もし、異邦人との出逢いにより、ユンが村を出ることを決めよう展開にもでれば、この村の美しさそのものが崩れ去ってしまうのかもしれない。ということは、『宵闇真珠』の美しさは、フィルムを通して保たれたと言えるのだろうか。

 しかし一方では、彼女の当事者性に立つ時には、深く葛藤も覚える。

 ラストシーン、村のまなかいを漁船で渡る彼女が漁村の風景を見つめ返す時、どんな想いや像が彼女自身の中では去来していたのだろうか。同時に、漁村に暮らし続けたゆたうそんな彼女のたたずまいから、今を生きる私たちが受け取るものや、フィルムを終えて織り成すビジョンは、どんなものだろうか。

問いから活動へ流れる力

 と、ここまで書いてみて、この作品と私の関係を整理してみると、実はこちらの作品を観たのは、今から7年ほど前であった。私が学生を卒業した頃か、小学校の教員をしていた頃だったと思う。その時、観た感想を書き綴ったノートを元に、当時の感覚を縫い合わせるかのように書き綴ってみた。してみると、7年ほど前(20代半ば)の頃に感じていた「最後の問いかけ」は、そのまま今の私自身に照り返してくる。

 さて、私は現在、埼玉県秩父郡は最西端の町・小鹿野町にて地域おこし協力隊の任に就いている。そこで、「社会教育×まちづくり」の取り組みである「大人の学校」をつくる活動をしている。「大人の学校」とは、地域、世代、職種を超えた人たちが集い、趣味や学びをきっかけに繋がりを紡ぐそんなコンセプトの学び舎である。そこに関わる人たちは、学びのきっかけや繋がりなどから自分の可能性を広げ続けることができ、地域や社会の未来をより良く生み出す一員であるという実感がもてる場所であることを目指している。現在、 活動を始めて3年目に入った。

 しかし、このフィルムとの出逢いと問いに照射されながらこれまでの道のりを思い返してみると、困難や葛藤を感じた場面が浮かんでくる。その中核にあったのは、北海道育ち、東京でも暮らしていた自分が、長年培われてきた関係性や文化がある「地域」へ入り込んで、実現したいコンセプトや理念を展開しようとする時に生じるコンフリクト(現実に起きるもの、内面で生じるもの両方を含めて)であった。背景には、土着の伝統や考え方に馴染むことができないできた自分もいた。

 だが、このフィルムを通して私自身が残した問いは、そんな私の「物の見方」「地域の捉え方」に疑問の投げかける。「土着の伝統」とはどういったものか。そこで育まれ保たれてきた関係性とは何か。なぜ、私はそこに窮屈さを感じるのか。

 少し視点を変えてみると、地球の基底には、「自然」がある。この自然との共生を図りながら、人はある地域に住みつき暮らしてきた。支え合うために「集落」を作り、生活を少しでも豊かにするために「文化」を築いてきた。それらが積み重なってくると「伝統」と呼ばれるようになるのかもしれない。そして、ある共通文化をもったり交流をもてたりする範囲を「地域」と認識してきたのかもしれない。そこには、もしかすると、権力者による線引きや搾取も存在してきたこともあったかもしれないが、一方で、壮大な自然を前にして、自然との共生の知恵と技術を交流や支え合いを通して共に培っていく必然性もあったろう。それは内発的で自然の流れであったのかもしれない。

 してみると、そうして負ってきた、あるいは築いてきた「歴史」が、地域の中に織り込まれているということだろう。であれば、その地域の上に立ち何かをしようと考える時には、よそから来ているからこそ尚更、地域の過去と現在へのリスペクトと理解が必要なのだと今あらためて感じる。と同時に、その歴史は「自然との共生」の歴史でもあったということも忘れてはならないのであろう。宵闇真珠の漁村のように、その地域が形づくってきた景観は、まさに自然と人間(文化)との共生の結果として見てみることもできるのかもしれない。

 その一方で、その地域に住んできた人々が織り重ねてきた歴史故に、関係性が固着し、言いにくくなっていることや、解決しにくくなっている課題が生まれていることも確かだと感じている。自然と文化、今ある景観、そしてそこに住まう人へのリスペクトや過去への想像力を働かせ培いながら、現地点の地域や社会をよりよく働かせていく能動的な動きを果敢に行って。その拠点になる場所として、学び舎としての「大人の学校」をより良く構想していけたらと思う。

紹介した人:うさがわ たくろう

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