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初回のテーマは「食と対話」です。

 

人が生きていくうえで欠かすことができない「食」,そこには多くの「対話」があり,「文化」も強く結びついています。

疲れたときの食,がんばるための食,ご褒美としての食,など食を通した自分との対話。

親から子への食,疲れているあの人への食,友達と集まるときの食,など食を通した他者との対話。

 

食を通した対話とはどのようなものでしょうか?

発せられたことばは全てほんとうのことばでしょうか?

発話には表れない多くの対話がそこにはあるのではないでしょうか?

 

初回は私の個人的な経験について,5年前の視点で振り返ってみたいと思います。

小吃店の老闆

週に2回,職場近くの小吃(シャオチー:屋台や店の簡単な料理)店の老闆(ラオバン:店の主人)に日本語を教えている。

今日も小吃と一人では到底食べきれない量の果物をもらって帰る。

 

老闆は大学で日本語を専攻し,卒業後の兵役は南沙諸島の島で1970年代に港を造っていた。

時々,捕まえるウミガメはご馳走だったという。

兵役が終わってからは地元で果物農家として生計を立てていたが,

行き詰まりを感じ,30代後半で家族を置いて都市に出て小吃店を始めた。

料理の経験はなかったので,当然,客が来るはずもない。

危機感から研究に研究を重ね,今ではこの都市で一番の繁盛店になっている。

生活にもゆとりができ,50代後半になった老闆は日本語をもう一度学びたい思ったらしい。

 

日本語を教えるとは名ばかりで,小さな店の中で老闆が日本語で話す日々の出来事を聞くというのが日課である。

たまに日本では見かけない野菜の名前を聞かれる。

調べて伝えるも,やはり聞いたことがない名前なので,日本語にする必要はないかもと曖昧な答えをすることも多い。

ただ,何となく満足しているようだし,老闆の日常は私の非日常である。

店の中での授業は客から見れば不思議な光景だろう。

小柄で細身の老闆が,近くの高級ホテルのレストランに一年の半分以上サラダを食べるためだけに,

通っていることを客は知るはずもない。

授業中に株の取り引きをしていることは従業員は知っている。

が,額を奥さんに知られるわけにはいかない。

日本語だからという解放感で,話は尽きない。

授業が終わると,老闆に「先生,今日は何を食べる?」と聞かれる。

ほぼ毎回,「肉羹湯と湯青菜」と答える。

この店の肉羹湯(ロウグンタン:肉のつみれの入ったとろみのあるスープ)はよく売れる。

近くの有名な某ファーストフード店よりも客数が多いぐらい売れる。

時々,魯肉飯に浮気するが,基本的には「いつもので」老闆に伝え,用意してくれてある果物と一緒にもらって帰る。

そんな授業がもう4年も続いている。

 

時々,老闆にとっての肉羹湯と果物とは何かと考える。

40元の肉羹湯は原価率が高くなっても,農薬などが使用されていないこだわり抜いた材料と手間をかけて作られている。

また,少しずつ改良が加えられた老闆の研究の結晶である。

果物も果物農家として培った眼力で,季節ごとに最高のもの厳選している。

果物は健康に欠かせないという何か根拠がありそうな老闆の信念のもとに渡してくれる。

さすがにヤシの実を2つもらった時は,困ったが,それがその時の最高のものだったのだろう。

果物は老闆の30代後半までの人生であり,肉羹湯は老闆の30代後半からの人生である。

 

何気ないやりとりだが,毎回,食べたいものを老闆に伝え,持ち帰って食べるというルーティーンは,

発せられたことば以上の対話をまとっている。

 

帰国して5年が経ちますが,老闆との対話は,私がまとった文化として今も続いています。

内山喜代成