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​第4回

誰かのために頑張り、自分のことも大切にできる大人

 

お客様:城西国際大学 大学生 はるさん

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盛夏。

 コロナ禍でも夏を楽しまなければ。夏って短いから。ママは店の椅子に腰掛け、冷え冷えのビールを缶のままグビグビやっている。子どもの頃は夏休みが待ち遠しかった。家族と遠くへ出かけられるからという理由もあるが、とにかく学校に行かなくていいのが心底嬉しかったのだ。小学校3年生までは。

…と遥か昔のことを思い出しながら、2本目のため冷蔵庫を開けようとしたその時。

 

はる:こんばんは。

 

 元気はつらつな笑顔の若い女性が現れた。

 

ママ:はるさん、いらっしゃい。しばらくね。

はる:はい、卒論書くのに忙しくって。

ママ:そうか、もう4年生なのね。早いわね〜。 

 

 ママははるさんの前にグラスを置く。チャミスルのロック。

 

ママ:はるさんの卒論のテーマ、知りたいな。

はる:フリースクールの実践について書きます。不登校の小、中学生たちが通っている学校です。

ママ:へえ! フリースクールに実際に行ったの?

はる:はい、春休みに3週間にわたって、見学させてもらいました。

ママ:フリースクールってどんなことするの?

はる:うーんと。不登校っていう同じ問題を抱えている子たちが一緒に散歩したり、博物館に行ったり、ゲームをしたり…。

ママ:どうして、フリースクールを卒論のテーマに選んだの?

はる:卒論って、自分のために書くんじゃなくて、社会に何か発信して社会に役に立つことを書くべきだって、大学の先生が言ってたから。

ママ:うーむ。そうか、その通りかもね。

はる:私、生きづらさを抱えている人に関心がありまして。

ママ:なるほど。それで、どうして不登校の子どもに注目したの?

 

 はるさんは、グビリとチャミスルを喉に流し、はにかむように少し微笑む。

 

はる:私自身が当事者だったからです。

 

 一瞬流れる沈黙。その後、ママも自分のグラスにチャミスルを注ぎ、はるさんのグラスにカチンと合わせる。

 

ママ:私もよ。「不登校」とは呼ばないと思うけど、私も小学校三年生までしょっちゅう幼稚園と学校休んでた。問題児だった。学校行こうとするとお腹が痛くなるの。

はる:わかる〜!!

 

 はるさんとママは、腹痛の話で盛り上がる。学校に行こうとすると、あるいは学校に行くとお腹がキューッと痛くなる。病院に行っても「問題なし」と言われる。母親に「仮病使うんじゃありません」と叱られる。でも、本当に痛いのだ。

 

ママ:はるさんは、どうやって腹痛を乗り越えたの?

はる:乗り越えったっていうか、諦めました。慣れました、腹痛に。薬もらっても効かないし。

ママ:そうよね。精神的なものだもの。じゃあ、不登校はどうやって乗り越えたの?

はる:私が不登校だったのは中学校の時で、高校に入ったら不登校じゃなくなりました。

ママ:何が変わったの?

はる:環境。

 

 はるさんが入学したのは定時制高校だった。中学校と一番違ったのは登校時間である。夕方から学校に行くので、それまでに学校に行く体勢が整えられた。

 

はる:朝、登校ってなると、前日の夜から嫌な気持ちになるんですよ。でも、夕方からなら心の準備ができるので楽になりました。昼間は中華料理屋でバイトしてました。全然日本語が話せないコックさんと私だけが店にいて、共通の言葉がないからお互いにジェスチャーでやり取りするのがおもしろかったな。

 

ママ:そっかー。高校生活は充実してたんだね。

 

 環境が変わると学校に行けるようになる。そういうこともあるだろう。ママの場合は、担任の先生が変わったので学校に行けるようになった。小学校一年から三年までは同じ担任だった。保護者からの絶大な人気を誇る若い女性の先生だった。なぜ人気があったかというと、ものごとに細かくて真面目で厳しかったからだ。あの頃は躾がちゃんとしてそうな教師が保護者たちにウケたのだ。しかし、ママにとっては地獄の閻魔大王みたいに怖い存在だった。特に忘れ物に厳しかった。ママは「忘れん坊」だったので、よく叱られた。毎朝、ランドセルの中身と時間割を突き合わせ、母親にもチェックしてもらっていたけれど、なぜか忘れ物はなくならなかった。恐る恐る学校で過ごし、友達もできず、遠足の時も一人でお弁当を食べた。

 しかし、四年生になった時、とても呑気な担任に変わった。三年生までの担任よりも年齢は上だったが、ベテランの雰囲気は全くなかった。保護者からの人気はなかった。ママが国語の教科書を忘れ、ビクビクしながらその担任に「教科書忘れました」と蚊の鳴くような声で告げた時、「立ってなさい」と言われる代わりに、信じられない言葉が降ってきた。その担任は表情ひとつ変えずに言った。

「私のを貸してあげるね」

 先生の教科書は魔法の教科書だ。赤い文字でたくさん解説が書いてある。先生から質問されたら、赤字を読めば完璧だ。細かくて真面目で厳しい大人より、大雑把で呑気で親切な大人がママは好きだ。

 

ママ:ねえねえ、はるさん。どんな大人になりたい?

はる:そうですね、誰かのために頑張ることができる大人ですかね。だけど、自分のことを大切にできる大人になりたいです。

ママ:不登校児だったはるさんのその言葉、心に沁みるわ。じゃあ、どんな仕事に就きたいの?

はる:温泉施設。

ママ:へ??

はる:最近の温泉施設って、岩盤浴があったり、漫画コーナーがあったり、ハンモックがあったり、ストレスが和らぐ癒しの空間じゃないですか。そんな場所を提供する仕事がしたいです。イベントを企画したり。

ママ:なるほど。自分のことを大切にするっていうポイントを仕事に反映できるわね。

 

 フリースクールのことを卒論に書くと言うので、てっきりそういう学校で教師になりたいって言うのかな、とママは想像していた。が、温泉施設と聞いてびっくりした。でも、はるさんにピッタリかもしれない。自分を大切にするって簡単じゃない。でも癒しをシステマティックに生み出す空間にいれば、心のイガイガが溶け、自分を大切に思えるのかもしれない。

 

 はるさんが笑顔で店を出て行った。その笑顔にママはエールを送る。学校に行けない辛さを乗り越えた人は、結構いろんなことを乗り越えられるもんだよ。あの時の自分には絶対戻りたくないって思うからね。

 

スナックまきこの「大人へのエレベーター」。次にスナックを訪れる若者は誰だろう。その若者はどのような大人へとつながるエレベーターを選ぶのだろう。乞うご期待!

 

(了)

文章:東のマキコママ

イラスト:西のマキコママ

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