見出しを追加 (7).png

Guest 10

守るべきものを守る大人

お客様:技術士(建設部門・環境部門ほか)

 聡子さん

名称未設定のアートワーク (28)_edited.jpg

大人とは、何かを守る人。守るべきものを守れる人。

街に音を立てて雨が降っている。春の花も美しいけれど、雨に濡れる緑も美しい。まきこママがぼんやりと店の窓から街路樹を見下ろしていた、その時。サササっと何かがビルとビルの間の隙間を縫って走っていくのが目にとまった。

 

「なんだありゃ? 猫より大きかったけど…」

 

最近、コロナ禍で屋内に篭りがちなママはペットを飼いたいと思っている。でも、借りているアパートはペット禁止。それで、だ。ペット型ロボットで代用するのはどうだろう? AI技術の発達により、リアルな猫の姿をしたロボットなどがAmazonで売られていたりする。スマホで「ペット型ロボット売上ランキング」を見てしまったので、それこそAIがママの購買意欲を察知して、連日さまざまなペット型ロボットの宣伝を、ママがSNSにアクセスするたびに送りつけることになった。リアルでかわいいけど、やっぱ本物の動物じゃないしなあ、と悶々とする。ビルの合間を走っていったものが再び現れないかと窓の外を見やる。

 

チーーーン。

ママは窓から視線を入り口へ移す。

 

聡子:こんばんは。

ママ:あら、聡子さん、いらっしゃ〜い。お仕事の帰り?

聡子:そう。やっと鮎の調査が終わったと思ったら、今度はコウノトリの調査だったの。

 

 聡子さんは、折りたたみ傘をしまいながら店に入ってくる。

 

ママ:相変わらず日本中飛び回ってるわね。ささ、冷た〜いビールをどうぞ。

 

 ママはビールの大瓶の栓をしゅぽっと抜いて、グラスに注ぎ、聡子さんの前に置く。

 

ママ:まさか、その作業服のまま電車に乗ってきたんじゃ??

聡子:そうだよ、このまんま新幹線。JRのポイント貯まってたからグリーン車で。

 

 強者である。社名が刺繍された紺色、厚手の作業着を着た聡子さんは、大きなリュックを背中から下ろして隣の椅子に、キャップを取ってカウンターにそれぞれ置き、グビグビとグラスのビールを喉に流し込む。キャップには、コウノトリが翼を広げた小さなピンバッチが付いている。強者だが、お茶目である。

 

例えば、A地点からB地点までの道路建設が計画されるとする。A地点からB地点には豊かな自然が広がっている。当然、さまざまな野生動物が暮らしている。道路の建設により、既存の生態系はどうなるのか。…壊れる。壊していいのか? どうしたって壊れるけれど、できる限り野生動物を守るのが、開発を進めようとする人間の使命である。そこで、聡子さんのような技術士に、A地点からB地点付近の既存の生態系を調べる仕事が来るわけだ。調査だけではなく、対策も任される。他にも環境に関する仕事がどんどん聡子さんのもとにやってくる。例えば、ダム。ダム建設によって何が変わるのかを調査する。調査だけではなく、多くの人からダムの存在に理解を得るために、ダムのPR活動なんかも頼まれちゃう。

 

聡子:ああ、そうそう、ママ。この前は、ありがとう。

ママ:とんでもない。私も楽しかったよ。初めてダムの放流見たよ。バッシャーって迫力あったわね〜。

聡子:外国人の方々も楽しかったかな?

ママ:喜んでたよ、とても。

 

 先日、ママは、聡子さんの会社が企画したダム見学のモニターツアーのお手伝いを頼まれた。オリンピックを前に、ある山里がインバウンドを狙ってダム見学ツアーを思いついた。魅力的なツアーをつくるため、聡子さんの会社は山里から依頼を受け、チームを作ってモニターツアーを企画した。しかし、コロナ禍で外国からの観光客をモニターとして見つけるのは非常に困難だった。もうインバウンドなんて言ってられない。そこで、外国人に知り合いが多いママの元に、聡子さんからモニター集めの依頼があったのである。ママは、東京で暮らしている知り合いの外国人に声をかけまくり、ママも一緒にモニターツアーに参加した。集まった外国人モニターたちは、出身国がさまざまだった。聡子さんのチームは、モニター公募のチラシを日本語と英語で作成した。ツアー中の説明にも英語を用意した。

 ところが、である。集まった外国人たちの中には英語をコミュニケーションのメイン手段とする人が全くいなかった。代わりに日本語が通じた。もちろん、ダムに関する専門用語などは理解できなかったが、それは日本語母語話者のママにもちんぷんかんぷんだった。

 

聡子:外国人さんたちには、英語は要らなかったんだ、簡単でわかりやすい日本語がいいんだって、あの時、私たち気づいたのよ。

ママ:そうでしょー。私は新幹線とかの英語のアナウンスが余計なものに聞こえて仕方ない。

聡子:だよね。ああ、そうそう、それから、ダムのそばの食堂。あのツアー以来トマトカレーがダムカレーのメニューに加わったのよ!

 

 新メニュー、「トマトカレー」とは? 説明しよう。

 「ダムカレー」はダムファンがダム見学に行くと必ず注文すると言っても良い人気メニューである。デデン!と高く盛られたご飯はダムに、カレーソースは貯水に見立てられる。聡子さんが企画したモニターツアーにもダムカレーをランチに食べる時間が組み込まれていた。外国人モニターの中にはムスリムの人がいた。ママは、ダムカレーに豚肉はNGであることをあらかじめ聡子さんに伝えていた。ムスリムの参加者には個人でお弁当を買ってきてもらう、という流れになった。ところが、食堂のマスターが、ムスリム用に、メニューにはなかった肉無しトマトカレーを作ってくれることになったのである。この特別メニューが、今やあの食堂のレギュラーメニューとなったとは!

 

ママ:日本に暮らす外国人が、世の中をカラフルにしたってことよね。

聡子:うん、それに、あのお祈りの件も、私たちには新しい気づきだった。

 

お祈りの件とは? 説明しよう。

ツアー当日、その食堂でムスリムのモニターが、小さくていいから膝まづけるスペースを貸して欲しいとマスターに告げた。マスターは「??」と一瞬固まったが、ママが「お祈りです」と言うと、すぐに察して、店内の普段使っていない部屋の鍵を開けて自由に使わせてくれたのだった。

 

聡子:お祈りが日常の人もいるし、いろんな背景を持っている人たちがいるんだから、周りがいろんなことに配慮して環境を変えていくべきって思った。

ママ:いろんな背景の人がいろんな文化を持ってきてくれるから日本はますます豊かになるのよね。

聡子:日本語は日本人だけのものじゃないって思ったし、外国人も日本社会の一員で、環境を変えていく存在ってこともわかった。あのモニターツアー、やってよかったよ。

 

 そのモニターツアーは、もはやオリンピック客やインバウンドを目的とするのものではなくなっていた。既に日本に住まう人たちの文化を、相互に理解するイベントとなっていたのである。

 

ママ: いや、しかし、本当に聡子さんのお仕事って幅が広いよね。聡子さんみたいなお仕事している女性、私、他に知らないわ。どんな勉強をしたらそういう仕事に就けるの?

聡子:私、出身は愛媛大学の農学部なの。修士までそこ。当時、愛媛大学の農学部って「環境保全」っていう学科があって、大学受験の時はそこが第二志望だったの。親から国立大学しか行かせない、って言われてて、環境保全学科がある国立大学は、日本に二つしかなかったのよ。

ママ:昔から野生動物を愛してるのね。

聡子:本当は小学生の時から獣医になりたかったの。ちょうどその頃、象牙の乱獲とかが問題になってワシントン条約が締結されて、野生動物の保護に興味が湧いてきたの。それで、帯畜(帯広畜産大学)に行きたくて行きたくて、帯畜に合格できるように勉強頑張ろうって思ってた。でも、高校受験に失敗しちゃって、志望の高校に行けなかった。だから、高校の時は部活もしないで予備校通ってた。だけど、結局、大学受験もうまくいかなくて一浪。再挑戦したものの帯畜には合格できなくて、第二志望の愛媛大学に行ったってわけ。

ママ:貫いてるなー、信念! 愛媛って『坊っちゃん』よね? 道後温泉よね?

聡子:うん、道後温泉の近くに下宿してたよ。なーーーんの期待もなく、縁もゆかりもない松山に行ったんだけど、なんとも素敵なパラダイスだった。

ママ:松山、気に入ったのね?

聡子:周りの人がよかった。大学の人たちも土地の人たちも優しくて、私を認めて褒めてくれるし。私、埼玉出身で、自分では田舎者だと思っていたし、高校受験や大学受験も思い通りにいかず、自分に誇りを持つってことができなかったんだけど、「埼玉?都会から来たのね、愛大(あいだい)行ってるの?すごいねー」とか言われて、嬉しかった。

ママ:認められ、褒められる。それ、人として生きていくための肥やしだと思うわ〜。

聡子:松山に行ったのは、運命だと思う。下宿先にお風呂がなかったから毎日銭湯に行ってたんだけど、そこは常連ばかりで、ある時その中の一人のおばちゃんから小料理屋のアルバイトにスカウトされて。もう、その店のおばちゃんとおじちゃんは、親代わりだった。私のことも、お客さんには「娘」って言ってた(笑)。大学は大変だったけど、生活は楽しかったよ。

 

聡子さんが学部時代所属した研究室の学生はみんな、修士課程に進むのが前提で研究に勤しんでいた。聡子さんも当然のように修士課程へと進んだ。そして、就活。だが、聡子さんの就活の時期は、「氷河期」だった。バブルが完全に弾けきり寒風吹き荒ぶ状況で、特に「女性かつ院卒」は、多くの企業が採用したがらなかった。院卒は学部卒より最低2年、歳をくっている。会社の採用面接に行くと「結婚したら、仕事どうするんですか?」と聞かれた。

まきこママも聡子さんと同い年だが、ママの就活時期は、バブルが弾けた直後で、かろうじて売り手市場と言えた。だいたいの学生が社会人への切符を手にしていたが、その時も「女性かつ院卒」は煙たがられていた。ただ、全ての企業の採用試験がそうではないが、学部卒でも「結婚したらどうすんの?」という質問はされた。1986年に施行された男女機会均等法が「絵に描いた餅」にならぬよう、企業は女性の雇用を積極的に進めていたはずである。しかし、この手の質問はしぶとく存在した。「女性の総合職」というキラキラネームを使って「うち、女性の雇用頑張ってますんで!」という素振りを見せる企業も、仕事量と責任を男女平等にするだけで、生理休暇が取りやすい職場環境にしようなんて考えてなかったんじゃないだろうか。ママは、ひととき一般企業でOL(これは死語かもしれない)をしていた。制服こそなかったが女性社員の「お茶汲み」が慣習となっていたのは、今から考えると、なんとおぞましいことか!!

 

ママ:で、今の会社に就職したのね?

聡子:うん。ずっと同じ会社。新入社員の時から役割としては女性っていう扱いは受けてないかも。

ママ:ふむふむ。じゃ、女性社員がお茶汲みするなんていうくだらない習慣はなかったでしょうね。

聡子:いや、あったよ。入社した年は。でも、次の年から私が先輩っていう立場になって、同じ部署の新人ちゃんに、男女関係なくお茶当番をしてもらったの。

ママ:なるほど。うちの会社はいつの間にか消滅してたけどねえ、お茶汲み。

 

 ママは、薄暗い給湯室を思い出す。お茶汲みは馬鹿らしかったが、給湯室は束の間の逃げ場でもあったかもしれない。給湯室の外は、男社会だった。

 

ママ:ねえねえ、聡子さん。「リケジョ」(理系女子)って呼ばれたことある?

聡子:あるよ。でもね、私は自分がリケジョって思ってない。理系脳だから理系に進んだわけじゃないし、理系が特別得意だってわけでもない。獣医になりたかったから、理系に進まなくちゃいけなかったの。

ママ:なるほど。

聡子:理系、文系って分ける必要ないと思う。誰にもどちらも必要。それに女子と理系の関係がどうとか、関心なし。

ママ:ふむふむ。

 

 ママは数学がダメだ。だけど、車の運転中ナビが「700メートル先、右折です」と言ったら道路の混み具合に応じて何分後に交差点が現れるかわかる。物理もダメだ。しかし、スキー板のどの辺に体重を乗せてどのくらい足裏の角度を作ったら、どのくらいのカーブを描くか滑走中にビビッと来る。文系が得意なわけでもなく、しょっちゅう漢字を間違えるし、本を読むスピードがひどく遅い。地理も弱くていまだに四国の各県の配置がわからない(愛媛が四国のどこなのか、実はわからない)。でも、手紙やメールは打てるし読めるし、回り道をしても目的地には必ず到着する。「文系」と「理系」が指すものって、一体なんだっけ??

 

ママ:なんだか、今夜は「境界線」を引くことのナンセンスさについて考えされられるわ。外国人と日本人、女性と男性、理系と文系…。うーん、大人と子どもには境目はないのかしら?

聡子:境界線は引くことないかもしれないけど、大人と子どもは違うと思うよ。

ママ:あら。じゃあ、お聞きします。ジャンジャジャーン。このスナックへいらしたお客様には必ずする質問です。聡子さん、大人とは?

聡子:大人とは、何かを守る人。守るべきものを守れる人。

 

聡子さんには双子も含めて三人の子どもがいる。三人の子育てをしつつ日本中を飛び回りながらフルタイムで働き続けてきたのである。

 

ママ:守るって、子どもをってこと?

聡子:子どもだったり、組織だったり? 仕事だったり?

ママ:ふむふむ、野生動物だったり?

聡子:野生動物もね、本能で子どもを守るよ。子どもの前に出て身を持って守るの。危険な場面では、親が犠牲になろうとするの。もちろん、美談ばかりじゃなくてね、親が死にかけて弱っている子供を食べちゃったりすることもあるよ。でも、それは次の世代を親が残すためなんだよ。

ママ:なるほど。

聡子:でもね、人間はね、少年兵とか、戦争に行かせることがあるよね。大人のために子どもを犠牲にしてしまうことも。大人が弱いものを守らなければいけないのにね。大人は、子どもに守られるものではない、と私は思うの。

ママ:あ、そういえば、さっきね、ビルの間を小さい動物みたいなのが走っていったの。

聡子:それは、ハクビシンかアライグマだな。

ママ:そんなの、この街にいるの?

聡子:いるよ。人がいるところにもね、親は子どものごはんを探しに危険を冒してやってくるの。

ママ:そっかー。私は何を守るかなあ。そうだ、このスナックを守るぞ。仕事帰りで家に帰って家庭人の役割をする前や、誰かに叱られたり誰かと喧嘩したりした後や、孤立して寂しい時や、誰かと何かをお祝いしたい時、そんな時にふらりと寄れる場所、私自身も楽しめる場所。店主とお客様の境界線をあんまり感じない場所。そんな場所を守ろう。

聡子:ママもビールどうぞ。ご馳走よ。

ママ:あら、いいの? やったー。今夜は飲もう飲もう!

 

 スナックでは、カウンターが店主と客の境界線となる。サービスの提供者と受益者。サービスのやり取りだけがスナックの目的ならば、AIロボットがママにとって代わってもいいだろう。そうはいかないところがスナックである。笑いや怒りや驚きといったやり取りはカウンターという物理的な境界線を超え、客も提供者になりママも受益者になる。AIロボットではなく、動物であるママは、表情豊かに客と一緒に笑ったり怒ったり驚いたり。

ああ、でもAIロボットも表情豊かな動物の真似ができるのかもしれない。マツコ・デラックスのAIロボットも開発されたし。「AIにも〈人権〉を!」とAIロボットがデモを行い、人間とAIの間の境界線が曖昧となる日も近いのではないか。読者の皆さんは、どうだろう? 動物じゃないAIママが水割りを作る。そんなAIスナックへと続くエレベーターを選ぶだろうか…。

スナックマキコの大人エレベーター。それは、様々な文化を育む大人が場末のスナックに語りにやって来るエレベーター。次回はどんな客が訪れ、何を語るのだろうか。乞うご期待!

​名嶋 義直