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Guest 9

夢を分割してかなえる大人

お客様:Junior Maeda(写真家)

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”Adulto significa colocar em prática sonhos e projetos, ter responsabilidades para aprender mais e compartilhar conhecimentos , reconhecer erros e aprender com eles.”

(大人とは、夢やプロジェクトを実行に移すことであり、より多くのことを学び知識を共有するための責任を持つことであり、失敗を認めそこから学ぶことである)

​名嶋 義直

夏だ。

 

マキコは暑さに弱い。

極寒の北海道は耐えられても、真夏の東京は耐えられないシロクマ。

早く北に脱出したいが、スナックマキコは今日も夜開く。

 

夜19時半、開店直前。

暑さで気分の上がらないママは景気づけに最近イチオシの藤井風の「さよならべいべ」を歌いながら突き出しの準備だ。

 

「ワシかてず~といっしょに~おりたかったわ~」

 

今日はウナキュウ。ウナギをあぶりながらきゅうりとミョウガを刻む。

夏はウナギを食べるために許された季節だと思っているくらい、ママはウナギが好きだ。

自分の晩御飯用も兼ねて3匹のウナギをコンロ上の網でアブる。

すると小林幸子がでてきそうなほどの煙がスナック内に充満した。

さすがに換気扇では間に合わず、マキコは窓と入口のドアを開けた。

煙が外に吸い込まれていく

 

「そういえば、こんな写真、どっかにあったわね」

 

ママが何かを思い出そうとしていた時、チーンとドアの前のエレベータが開く音がした。

 

Oi! ママ!Boa Noite!

 

Oi! Junior? Tudo Bem? 

 

スモークの中から登場したのは何年振りかの珍客、写真家のジュニオールだった。コロナでなければ抱擁して再会を喜ぶ。それがブラジル流だ。



 

ママ:あんたまたすごいいい時にきたね~ 今ちょうどウナギ焼いてたところなのよ!

 

ママ:あ、そっか!あの写真にそっくりなんだ!

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© Junior Maeda

(30年前の日本で暮らす日系ブラジル人の光景。大量に肉を焼くと煙が出すぎるのでドアを開けて調理)

ジュニオール:あ~ あの写真ね! ほんと!すごい煙! ママうなぎ焼きすぎだよ~ 僕が全部食べてあげますからね!

ママ:だめよこれは! ていうかまだ開いてないのよ。うちは8時から。まあでもせっかくだか

ら座って!一緒にうな丼食べよ

ジュニオール:ママ優しいね~

 

カウンターにうな丼を二つ並べて ママも横に座って食べ始めた。

 

ママ:そういえばさ、ジュニオールはいつ、なんで、日本に来たんだっけ?

 

ジュニオール:ぼくですね。日本に来た時ですね。まあほんとブラジルで生まれたんで

もう14歳から日本に来ましたんですよ。その時がね、あの1990年?でまあ

デカセギのみんなも同じことで、あの仕事で働きに来たとか

なんかねまあ、何年間で日本に働いてててお金まとめてブラジルに

戻るとかその考え方の来たんですよ。ぼくもお父さんと働きにきて、大学の学費とバイクのお金ためたら戻ろうかな~って。結局お金もたまってないんですけど笑」


 

ママ:へー、なんで写真撮るようになったの?

 

ジュニオール:まあ、おじいちゃんとお父さんがカメラマンですね

で若いときからずっとでカーメラとか写真のことってさ、遊んだりとかやってんだけど、やっぱりね、そのときはカメラマンになりたくなかったんですよ

まあ今ちがいますけど

昔がねぇまぁやっぱりもう、あの写真が、やっぱり年上の人の話かなって思ってて

やっぱりサッカーとかなんか他のスポーツやりたいなって思ってたんですよ。

 

で仕事現場作業員で、すごい長くで働いていました

でまぁ、ずっとね、死ぬまでね。あの現場作業員するかなーって思ってて

でやっぱりですね。まぁぼくね、ずっとねカメラのこと好きだったから

でまぁちょっとね遊びで、」

 

ママ:日本語すごいペラペラだよね。ブラジルいるときからしゃべれたの?

 

ジュニオール:いや、全然しゃべれなかったですよ。すぐに帰ろうと思ってたから。

まあ、僕仕事してながら、やっぱりでも14歳の時もう日本に来ましたから、

あの14歳の人をやっぱり8時間も現場の仕事もできないから、

まあ仕事のパートで5時間か6時間で働いてて、働いてながら日本語を勉強しなきゃいけないんですよ。

そしたら僕ね、なんかね日本語学校って言うんだけど 英語と日本語をしゃべる人を先生にしててでこの周りがねもうフィリピン人とかあのパキスタン人とか中国人集めて

でまぁ日本語を教えてくれたんですね。でそれちょこっとだけ覚えたんだけどやっぱりあまり使わないですよね。なんか動物の名前とかそれだけしか覚えてなくて。

こういった最初ね、だからやっぱりもうちょっと勉強したほうがいいかなーって思ってた

んだけど、やっぱりもう仕事やってるから勉強する時間もあまりなかったんですね

 

でまぁ結婚しました。離婚もしました。30年間の中で一回だけブラジルに戻ったんですよ。1998年1か月だけブラジル戻ったんだけど、やっぱりもうだめですね。自分の気持ちも外国人になりました。ブラジルに行ったら同じ気持ちになったんですよ。日本にいたときずっと外国人ですよ。自分の国だからショックにならないかなと思ったけど、もう違うんですね。日本に長くいる人ね、やっぱりブラジルにいっても日本に住んでも両方で外国人だからさ。みんなこっちにきたとき日本語全然わからなかったから、でも生活も仕事とか日本人と結婚したりとか、今30年前の人にインタビューしてるけど、みんな同じ。友達できてから日本語勉強始まったって。

30年前からいろんなこと変わったから、30年前にやってたこと、みんな覚えてないんですよ。日本に外国人220万人くらい。浜松で7000人くらいブラジル人いる。日本で5番目に大きいのがブラジル人なんだけどみんなバラバラね。なんでみんなバラバラなのって日本人思うんですよ。

 

で、たまたまブラジルのマスコミの手伝いで写真の仕事で働いたんですね。そのとき撮影手伝ったんですね。で、イベントの写真を撮りにいったとき、古いところの場所をみつけたんですよ。そのときなんか懐かしい気持ちになったんですよ。あ、27年前の自分が見た景色だ、と思って、遊びで写真とったんですよ。

そんでその写真入れたフォルダにデカセギの名前つけたんですよ。

そんで少しずつ写真増やして30年前の再現もして写真撮ってfacebookにアップしたら、それみた人が「あ、これどこでとったんですか?」「磐田でとったよ」っていったら「これ何十年前の写真ですか」「最近だよ」「え、30年前じゃないの?」っていわれて、それで

「それ、写真展したら?」って友達にいわれて。

 

そのころは会社で働きながら日本語と写真の勉強をしてたんですよ。

そんでみんなに言われて写真展しようかなって思ったんですよ。

でも、周りの人になんて言われるかわからないからちょっと迷ってたんです。

でも、周りの日本人に「周りの人関係ないよ。自分がやって、自分がいい気持ちになればいいじゃないか」っていわれて

 

ぼく、これまでいっつも自分の生活でチャンスがあっても、うまくいくかどうかこわくて、いつもやめて、いつも同じ生活してたんですよ、カメラちょっとならって、日本語ちょっとならって、

 

仕事いってタイムカードおして、タイムカードおして家にかえって、

それを何十日も何百日もつづけて

ボタンをおすだけしかしてて

これをずっとするのかなって

 

それでHICE(浜松国際交流協会)に誘われて、

30年前のデカセギの写真展やったんですよ。

 

そしたら日曜日の1日だけのつもりでやったのに、1週間やってくれっていわれて

平日もやってほしいっていわれて。そしたらなんかインタビューしたいって明治大学の学生がきて、すごいびっくりして、12~13人くらいがいて。

その中にブラジルの日系人もいて。

NHKの人もいて。

 

そのあと、いろんな新聞やさんが取材にきて、すごいことになったんですよ。それで、日本語話せないからだめだなって。5年前だから全然話せなかったんですよ。45枚の写真展つくって、30年前のブラジルのデカセギの生活教えてくれって。

 

ブラジルの日系の人は日本の日系にいる人が恥ずかしいんですよ。ブラジルで行き場がないひとがこっちに働きに来た。ブラジルでなんにもできないから日本に働きにいった。みんなこっちの人恥ずかしかったんですよ。デカセギのいうことと馬鹿野郎のいうこと同じって。それで写真展やってみせたいって思って。

そんで今デカセギの30年後の写真もつくってるんですよ。デカセギで社長さんになった人もいる。大きい人の社長になった人もいるんですよ。JRグループの社長になった人もいる。

それをブラジル人でも日本人でも見せてあげたいって思ったんですよ。

 

それで、TEDx Hamamatsuの人がぼくに面接したんです。TEDx Hamamatsuでたいですかって?ぼくね、日本語できないですから。そんでみんなえらい人ですし。

でもまあやってみようって思って、最初は文章つくって日本語翻訳して、それを覚えて。でもTEDの後のパーティで日本語が全然ちがったらだめだなと思って自分のことばにした。

毎日一生懸命練習した。

 

TEDx Hamamatsu

https://www.youtube.com/watch?v=D_tdPf2eTa8

 

ジュニオール:実はTEDでデカセギの全く日本語話せないブラジル人がでたのが初めてだった。

そんな人いなかったんですね。

そのときにまたやっぱりもっと日本語話せるようになりたいなーって思って、日本語勉強するようになったんですよ。

 

そしたら今度日本人の写真館の人が会いたいってメールきて。それ静岡のめちゃ有名な写真館だったんですよ。ブランドメーカーみたいな。

なんかアルバイトでも頼まれるのかなあ、って思っていったら、社長さんがTEDxHamamatsuみて、このタイプのカメラマン、自分の写真館にほしいって思って、自分の写真館で働きませんかっていわれて。

マジ?って思って。

正社員でどうですかって?

で一年半前から働き始めました。

でもそこはすごい古い写真館で、結婚式の写真とかも撮るところで。

結婚式とか七五三とか撮るの全然わからなかったんですよ。今は振付もやります。帯揚げとか帯締めとかも覚えました。専門学校、アカデミー入りました。振付とか昔の光の使い方とか勉強してそしたら仕事はじめました。

 

ママ:「なんでそんなに変わったの?」

 

ジュニオール:最初が、やっぱり日本にきたとき普通の日系の考え方だった。

日本来て、日本語しゃべらないし、自分の国じゃないし僕何もできないって思ってた。

やっぱりここはそうでもないですよ。

みんなチャンスあるんですよ。

どこまでいけばいいとかさ、なにすればいいとか自分できめないといけないんですよ。

そしたらね自分の夢、みんな大きな夢にするんですよ。

家買いたいとか思う人多いけど、お金の分もまとめるまで何年間もあるんですよ。

その何年間なにしてるかっていったら何もしてないんですよ

その何千万になるまでずっと働くんですよ。

日本語勉強しないし、ただね働くだけ。

そうなるとそういう人はブラジルでも日本でも何もできない。

だから、自分の大きい夢を分割してちっちゃい夢にすればいい。

今は有名人のカメラマンになりたい。

なれるまではまずは静岡でおっきいカメラマンになる。次は関東で有名人になる。

おっきい夢が分割すればいい。

ちっちゃい夢が少しずつできていったら大きくなってないかなって。

 

だからね、デカセギの人が日本にずっと住みたいんだったら、日本語勉強して夢もったほうがいい。

普通の派遣会社とかだけじゃなくて

セブンイレブンのバイトしたり

そうしたら次はサイゼリアになるし

次はさわやかとか自分で店長になって、、、

 

ママ:「うん。なるほどね。」

 

ママ:「ねえ、写真見せてよ」

 

ジュニオール:「これです」

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© Junior Maeda

ジュニオール:これね、30年前の再現写真。携帯もインターネットもなかったから公衆電話で電話して。日本のテレホンカードつかってるから、めっちゃ高いんですよ

夜の12時くらいでさ、安くなるから、みんな並んで。ぼくも並んでました。

 

でこっちは30年後

この人は会社の社長ね

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© Junior Maeda

好物のうな丼がすっかり冷めてしまったが、

なんだかマシンガントークが耳に心地よかった。

そうだ、あの質問をしてみよう。

 

ママ:ねえ、ジュニオール

 

ママ:"O que significa ser um adulto?

(「大人」ってなんだと思う)

 

ジュニオール:“O que adulto significa para mim?”

(自分にとっての「大人」の意味?)

 

ママ:“Sim”

(うん)

 

ジュニオール:“Adulto significa colocar em prática sonhos e projetos, ter responsabilidades para aprender mais e compartilhar conhecimentos , reconhecer erros e aprender com eles.”

(大人とは、夢やプロジェクトを実行に移すことであり、より多くのことを学び知識を共有するための責任を持つことであり、失敗を認めそこから学ぶこと)

 

ママ:“Muito obrigada!

Pensei que sua resposta era uma representação precisa de sua vida até agora. Continue sendo o adulto maravilhoso que você se define a ser!”

(ありがとう。ジュニオールのこたえは、ジュニオールのこれまでの人生を的確に表していると思った。自分が定義する素晴らしい大人であり続けてね!)

 

ジュニオール:“Fico muito feliz pelo teu apoio!!! Muito obrigado!!”

私はあなたのサポートにとても満足してるよ!!!。ありがとう!!!"

 

パタン

 

ささっと鰻丼をたべてジュニオールさんは帰っていった。すっかり冷めた鰻丼を改めてチンして食べるマキコ

 

「日本で一番有名な写真家になったら、私に鰻丼おごってね」

 

っていえばよかった。と後悔しながら

 

「夢か・・・」

 

そんなこと、考えたことあった時期もあったかなあ・・・

 

まあ、ここでみんなの夢を肴に飲むのも、悪くないか。

 

「夢は夜~ひらく~」

 

藤圭子を口ずさみながら今日もマキコは客を待つ

 

文とイラスト:西のマキコママ


 

◆Wマキコママのアフター◆

 

夜更けのチーン。

マキコママは、二人いる。西と東に。ジュニオールがやってきた日は、西のマキコが担当した。スナック閉店後、東のママが西のママの仕事を労いにエレベーターに乗ってやってきた。ちなみに東のママも鰻が大好きである。

東:お疲れちゃーん。

 

西のママはビブラードを巧みに響かせ「圭子の夢は夜ひらく」を歌っていたが、東のママに気づくと、アフター用の白ワインを開けにかかる。

 

西:あのねー、今日は「デカセギ」の夢の話を聞いたのよ。

 

二人でキンキンに冷えたワインを飲みながら、西のママはジュニオールが語ったことを東のママに伝える。

 

東:夢の分割って新しい発想! その「自分の国じゃないから何もできないと思ってた、それが日系の普通の考え」ってとこ、私も他の国から移住してきた人たちからよく聞くセリフよ。

  だけど、ジュニオールは「違ってた」って考えたんだね。みんなにチャンスがあるって考えたんだね。んで、夢を成長していくわけね、セブン→サイゼリア→さわやか。ん?さわやかって何? まあ、いいわ。

  なんか、わらしべ長者みたい!

  私もそうかもしれない。「このへんで満足しといたろ」とか、「ここまで来られりゃ十分、十分」とか思わなかったからスナックマキコのママになれたんだと思う。

  夜に夢を咲かせる藤圭子はさー、後ろも前も見ない、よそ見したら失敗したとか歌ってるけど、どこ見てんだろうね。ジュニオールはいろんなとこ見てるよね、後ろや前や、他の夢が見えるかもしれない脇もね。ジュニオールにとっての「大人」の意味。「失敗を認めてそこから学ぶ」って、わかっちゃいるけどなかなかできないのよねー。

  後ろをチラッと見たら、すぐ前を向いて進む。そういう生き方、私もしたいなあ〜。

  あー、さっきからなんか鰻の蒲焼の匂いがするわ。ずいぶん食べてないなあ、鰻。

 

西:ごめん、鰻はもう無いの。はい、前を向きましょうね〜

東:あーん。マキコの鰻の腹はいつ開くの〜?

 

アフターの文:東のマキコママ