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Guest 8
足跡を残す大人
お客様:W大学事務職員(謎の怪人三十面相)
桜はあっという間に散り、新緑の季節はすぐそこ。少し開けた窓から、心地の良いそよ風がスナックマキコの店内に流れ込み、窓の外にまったりとした白色の花を広げたハナミズキが見える。爽やかな気持ちでまきこママは開店準備を始める。春風とともに訪れる、今日最初のお客様はどなたかしら?
チーーーン。
ママ:いらっしゃ〜い。
ママは、爽やかモードのまま爽やかな笑顔を店の入り口に向ける。
怪人:どーも〜。
ママ:ひゃ! 現れたな、怪人三十面相!!

木彫りの仮面をかぶった男が入ってきた。仮面はママが見たこともない奇抜なデザインである。くっきりとした二重瞼の両眼(くり抜かれた眼の奥には怪人の黒い瞳がのぞいている)、分厚い両唇はしっかりと閉じ、頭のてっぺんからは山羊の角のようなものが額に左右から垂れ下がっている。その表情は、人間の愚かさを嘲笑うかのようにも、観音のように慈愛に満ちた笑みを浮かべているようにも見える。ママの爽やかモードの灯は猛スピードで鎮火していった。
怪人:ママ、いつものお願いね。
ママは怪人の前に冷えたルイボスティーを置く。怪人は酒を飲まない。仮面の顎部分を前方にずらし、コップを口元に運んでグビグビとお茶を飲む。
ママ:今日はお仕事の帰り?
怪人:いやいや、ある峠を視察に行ってね、その帰りに気になっていた別荘風カフェに寄ってコーヒー飲んで、その後、霊園を散歩して掃除してきた。
ママ:はい? 意味がわかりませんけど。
怪人:いやー、コロナでねえ、仕事で海外に行く機会もなくなっちゃったからねえ、近くでできることをするのみだよ。
ママ:あいかわらず、お忙しいのね。
怪人三十面相は、50代後半。W大学の職員で言語教育部門の管理職である。この部門に配属される前には、実にさまざまな部署で仕事をしてきた。社会人向けの講座を企画する仕事、様々な国から留学生を大学に受け入れる仕事、有名アーティストとのチャリティコンサートを企画する仕事、学生寮の運営など、ありとあらゆる業務に携わってきたのだ。
ママ:怪人さん、ちょっと前には海外の大学めぐりがご趣味って言ってたけど、それは何のためなの?
怪人:仕事場が大学で、国際関係の部署にいたから留学生と話す機会が多くてね、ほら、「僕もキミの大学行ったことあるよ、いいところだよね」みたいに話ができるといいでしょ。実際行ってみないと、その大学の雰囲気ってわからないし。アメリカだとプリンストンとスタンフォードのキャンパスが良かったなあ。カナダだとUBC。ヨーロッパだとソルボンヌとかも歴史を感じたなあ。アジアだとマラヤとかNUS。韓国の高麗と延世もいいよねえ。
ママ:へえ、海外の大学では、どういうところを見るの?
怪人:図書館は必ず。あと、Book Storeに寄って大学のオリジナルネクタイを買う。
ママ:大学のネクタイの蒐集家なのね。
怪人:蒐集といえば、ちょうちんもね。
ママ:ちょうちん?
怪人:僕、「峠研究家」でして。
ママ:は、はい?
怪人:日本にはたくさんいい峠があってね。名勝地の峠だとちょうちんが売ってたりするんだよ。それ、集めて、実家に並べて飾っといたんだけど、母親がハタキかけてる時にいくつか破れちゃって、それでやめました。貴重なコレクションだったんだけどねえ、はははは。
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ママ:そーなんだ…。なぜ、峠を研究することに?
怪人:きっかけは柳田國男の『峠に関する二、三の考察』。山路、峠の魅力について書いてあるのを読んだんだよ。それで、柳田がね、日本の峠は大小一万くらいはあるのに、誰も統計を取ってない、と。峠の統計をとって作表する篤志家はいないのか?って言ってるんだよ。それじゃあ、僕がやりますよって、それで始めたの。最初は山梨の夜叉神峠(やしゃじんとうげ)を探索。それから、いろいろとね、車で行ったり、車で行けないところは途中から歩いたり。長野県と静岡県の境にある青崩峠(あおくずれとうげ)、いいよー。武田信玄が越えたらしい。あれは雰囲気あったね。カナダのロジャースパスも凄かったよ!ママ、行ったほうがいい!
ママ:か、考えとくわ。
ママは、妻夫木聡ファンで、映画『悪人』を観てすっかりハマり、その物語の殺人現場で福岡県と佐賀県を結ぶ三瀬峠をわざわざレンタカーで通ったことがある。映画の雰囲気を味わうために日が暮れてから訪れたその峠は、ゾワゾワっとくる迫力に満ちていた。しかし、その話を、今、怪人の前でするまい。したら、峠の話で夜が明けてしまうだろう。
ママ:怪人、何か他にも集めてるもの、ありそうね。
話題を変えるママ。
怪人:1/18スーパーカーのミニカー。サーキットの狼世代だからさ。北海道のアイヌ人形の二ポポも集めてる。あと新書をブックオフでしょっちゅう買ってて、毎年200冊くらい増えていく感じ。将来私設図書館作ろうと思ってるから。近所の竹林にコミュニティカフェ開いて図書館併設ね。だから、今、いろいろなカフェを参考のために巡ってる。あー、それから、木彫りの仮面。これはいろんな国のを集めてて、寝室の壁に30個くらい(※注:「三十面相」の名は仮面コレクションの数から来ている)ダダーっと並べて飾ってるの。妻が不気味だからやめてくれって言うけど、僕は、神々に守られている気持ちになれるんだよね〜。
ママ:今日、かぶっている仮面もそのコレクションの一つね? この前来た時はマレーシアのマラッカの行きつけのお土産物屋さんで買ってきたってのをかぶってたわね。
怪人:そうだっけ? 今日のは一番のお気に入り。アフリカのグロ族の。南アフリカの空港で買ったんだけど、これ、日本では高く売れるよー。
ママ:なんか、さっきから、怪人の話、とっ散らかってるわね。一体いくつ趣味があるの?
怪人:え。てゆーか、趣味が少ないっていう人いるけど、何で?って不思議なんだけど。好奇心の塊だからいろいろと気になるものがあってさ。
ママ:ま、そうかもね。
ママも趣味がとっ散らかっているので、(人のことは言えないわ)と口をつぐむ。そして、また話題を変える。油断して口を挟めば怪人の風変わりなコレクションの話で夜が明けてしまう。
ママ:で、今日、霊園の掃除をしたって言ってたわね。
怪人:うん。近所の霊園は自然が豊かなんだけど、樹林の中にワンカップの空き瓶とか結構落ちてるんだよね。きっとお供えのお酒を飲んじゃう猛者がいるんだよ。それを林の中に捨てる。。。
ママ:ああ、よくお供え物として缶ビールとか置いてあるよね。
怪人:霊園って本当は清らかな場所でしょ。ゴミが落ちてると霊人が悲しむと思うんだよね。だから、風に飛ばされた切り花を拾ったり、空き瓶や空き缶を回収したりするわけ。
ママ:さぞかし、お墓の中の仏様は喜ぶわね。
怪人:うん、実際ね、喜んでると思う。霊園掃除を続けているとね、僕がお墓の脇を歩く時に卒塔婆(そとば)が風もないのにカタカタカタ!!って音をたてて迎えてくれるようになったんだよ!カーナビが何故か霊園を通り抜けろってしゃべることもあるよ!
ママ:ひーーーーーッ!
怪人:歓迎されてるでしょ。
ママ:そ、そ、そうね。怪人、社会貢献してるわ。
怪人:荒れてるお墓も結構あるんだ。掃除してあげたいけれど、やはり他人の財産だから、勝手なことしちゃうとまずいんで、手が出せない。そのうち、正式に霊園にボランティアを申し込もうと思う。
ママ:怪人、本当にいろんなことしてるのね。
怪人:僕はね、二番煎じが嫌なんだよ。誰もやってないことをやってみようって思ってる。誰かが敷いたレールを走るのは、つまんないからねえ。だからね、これからも前例のない新しい教育プログラムを作り続けたいって思ってる。
ママ:へえ〜。怪人、すごいわ。さすがだわ。大人だわ。そうだ、怪人。大人ってなんだと思う?
怪人:大人、大人、大人…。ふーむ。そうだね、どこかに足跡を残した人かなあ。
ママ:足跡を残す?
怪人:何かを成して、それを残すってこと。僕は、ある大規模チャリティイベントを大学で開催したんだよ。W大学史上初なんだって。あと、アメリカの国立公園にも足跡を残したなあ。
ママ:へー、なるほど。怪人がコレクションしている仮面も、それぞれ伝統あるものよね。それって誰かが残した足跡のようなものね。怪人がしてきた前例のない仕事、私設図書館併設のカフェ、峠の研究もきっと足跡になるんでしょうね。誰かが怪人の足跡を辿って、それをもっと先へと延ばしていくかもしれないわね。
怪人:そうだといいねえ。さあて、そろそろお暇しようかな。
ママ:え、もう? これからどこか行くの?
怪人:ブックオフに寄って古本を調達してから、骨董の店へ。根付とか古道具を集めてるんでね。
ママ:骨董も!! 趣味に限りがない。そしてフットワーク軽っ!!
怪人:足跡はね、どこかへ足を運ばなければ残らないのだよ、明智クン! はっはっは。また会おう。
怪人は少しずれた木彫りの仮面をしっかりと顔の中心に直し、春風とともに去っていった。次はどの国の仮面でやってくるのだろう。
スナックまきこの大人エレベーター。それは、様々な文化を育む大人が場末のスナックに語りにやって来るエレベーター。次回はどんな客が訪れ、何を語るのだろうか。乞うご期待!
(了)
文 東のマキコママ
イラスト 西のマキコママ