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Guest 3 多様な人間の存在を愉しめる大人

お客様:『芸術新潮』編集者 伊熊泰子さん

収束の気配を見せてくれないコロナ禍。「スナックまきこ」にも存続の危機が迫っている。

しかし、まきこママは慌てない。

建て付けの悪いサッシ窓をガタピシと開け、消毒液を含ませた布でそこら中を拭きあげる。カインズで買ってきた透明のアクリル板を加工したパーテッションがカウンターに設置してある。そのぐらつきを養生テープで補正しながら客を待つ。コロナが落ち着くまで客は3名までと決めている。客が全く来ない日もあれば常連3名が閉店まで居座る夜もある。

今夜は客足が遅く、ママは暇を持て余し水森亜土の真似ごとをしていた。

チーーーン。

油性マジック両手使いで「ふんふん♪」歌いながら、パーテッションにウェービーヘアの少女とネコを描いていたまきこママは、開け放った扉の向こうのエレベーターに視線をやる。ママと歳格好の似た女性が「やあ」と手を上げる

伊熊:ママ、何してるの?

 

女性は、客席でパーテッションを抱えるようにして座っているママを訝しげに見たあと、その手の先のマジックの落書きを見つめる。

 

ママ:芸術ですよ、げ、い、じゅ、つ。

伊熊:なんだ、亜土ちゃんのパクリか。

 

おしぼりを差し出しながら苦笑するママ。

 

ママ:なんにします?

伊熊:んー、赤。フルボディ。

伊熊泰子さんは『芸術新潮』の編集者である。新潮社入社当時、今はなき『フォーカス』編集部に配属され、アイドルや政治家を追い回し、尖った記事を書いていた強者である。もともと演劇が大好きで、美術や工芸にも興味があり、今の配属先では彼女の趣味がそのまま仕事となっている。

 

ママ:お母さんは元気?

伊熊:うん、なんとか。コロナだから直接は会わないようにしてるけどね、こないだ傘寿だったから久しぶりにご飯作りに行ったよ。

ママ:そうか、懐かしいな、伊熊家で英語を習っていた頃。

 

ママと伊熊さんは同郷人で、ママは小学生の頃、母親の勧めで伊熊さんのお母さんが自宅で運営していた子ども英語教室に通っていた。

 

伊熊:ママはなんであの時、英語習おうと思ったの? 結構長い間通ってたよね。

ママ:まあ英語は全然身についてないけどね。うちの母親が、私の将来のレールを勝手に引いてた時期が

あってね。女は結婚して子ども産んで近所の子ども集めて英語でも教えてればいいのよ、的な?

伊熊:ああ、うちもそうだったよ。私はバイオリン習ってたんだけど、音大にでも行って結婚して近所の

子どもたちにバイオリン教えて楽しく暮らしていけばいい、みたいな。

ママ:なぜ、女の幸せの理想は、結婚して家でガキんちょ集めて何か教えることなんだろうか。訳分から

ん。そう言えば私たちが子どもの頃、家で子ども対象のミニ教室開いている主婦多かったね。書

道、そろばん、くもん、絵画、ピアノ。今もあるけど、今よりずっと数が多かったような。なんか、

既婚女性が家に閉じ込められているイメージが…

伊熊:私ね、高校ですっごく男尊女卑を感じてたね。

ママ:男子が女子の二倍の数いる高校だったよね。

伊熊:そう。体育祭の時にね、ハチマキを作るんだけど、女子が男子の分まで作ることになってたの。女子は男子の半分の数だから、自分の分も合わせて3本作らないといけないの。男子も女子も

それが当然って、なんか知らないけどそういう慣習があった。学園祭でもリーダーシップとるのは基本的に男子で、私がクラスの代表として会議にでたら、10クラス中うちのクラスだけだった、女子が出てたのは。女子は一段下に見られている気がした。

ママ:うちの高校も、そういうのあった。体育祭のチーム、学年縦割りだったんだけどチームの団長は男

性しかいなかったね。団長だけ米米クラブみたいな長いマント? ヘンテコな衣装着るんだけど、

衣装係がいて団長の衣装縫ってた。衣装係は全て女子。あの頃、教科も女子は家庭科、男子は技術

科って決まってたよね、選べなかった。私は制服のスカート縫わされた。できないから家に持ち帰

ったらバレてひどい成績だった。技術科で本棚作ってたら絶対いい成績だったのにー。悔し〜。

 

ママは、カウンターの自作パーテッションを愛しげに見つめる。

 

伊熊:大学もね、女子は浪人せずそこそこのとこ行っとけばいいみたいな雰囲気が高校にあった。女子は

結婚して夫の経済的活動を支えればいいみたいな。

ママ:うーん。今や夫の経済活動なんぞに頼れる妻はそんなたくさんいるとは思えないが…。

伊熊: 結局、そこそこの道に進んだ後、結婚しなかった女友達がたくさんいる。そして経済的な自立ができずに親と一緒に暮らしてる。結婚しない未来を描くことができなかったんだよね、なぜか。

ママ:ふーむ、なるほど。昭和40年代生まれの私たちの父母、祖父母の時代の女性は専業主婦が多くて、娘や孫娘も同じ道を進むだろうと、あまり深く考えてなかったのかもね。

伊熊:サラリーマンが増えたってのもあるね。夫のみが働いてそれで生活はできて。そういうのが一般的になっていって…。だけど、自営業のとこは、夫も妻も同じように働いて、お互い働きがいを感じているのかもしれないよね。

ママ:明治以前は女性もガンガン社会で働いてたよね。第一、今のような家父長的な家制度ってないもんね。(ママは暇な時、落書きのほか、上野千鶴子著『近代家族の成立と終焉(新版)』を興味深く読んでいる。)

伊熊:そうだよね、専業主婦の時代って近代の妻の在り方で、すごく限定されている期間よね。

ママ:伊熊さんは江戸の女性よろしく平成時代から編集者としてガンガン働いてるよね。どうして編集者になろうと思ったの?

 

ママは、『水戸黄門』にときどき出てくる瓦版売りを思い出す。しかし、その瓦版売りの姿として、男性のイメージしか浮かんでこない。「てえへんだ、てえへんだあ!」と瓦版を売りさばく女性はきっといたに違いない、なのになぜ時代劇には女性の瓦版売りが登場しないのだろう…。

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伊熊:私、学生時代1年間アメリカにいて、外から日本を見て日本はとっても中央集権的だなあと思った

の。んで、マスメディアで何か発信すれば日本中に波及するんじゃない?って思ったの。まあ、何

がやりたかったかというと、「みてみてー、これ、おもしろいよ〜!」って自分が見つけたおもし

ろいものをたくさんの人に伝えたかった。

ママ:なるほど、なるほど。今、仕事をしている世界では男も女も対等な感じなのかな? じゃ、この世

の中全体はどうかな、男尊女卑は改善されていってると思う? さっき話した私の高校では、最

近では女子の団長さんがたくさん登場しているらしいんだけど。

伊熊:少しずつ改善はされてると思うけど、すごくスローな歩みだと思う。こんなこと言うと、ある種の女性から反感買うかもしれないけど、「男子は適当におだてておけば、私たちは楽に暮らせる」みたいに考えている女子もまだまだたくさんいるんだよね、実際。男子だけじゃなくて女子も意識を変えないとどうにもならない。甘え合う関係じゃなくて思いやりを持って接する関係を築けることが理想なんだなあ。人それぞれ得手不得手があるし、パートナーの女性の収入の方が多いからといって男性が不甲斐なく思う必要もないし、専業主婦も専業主夫も誇りを持ってればいいんだと思う。

ママ:そうね、うちの店でもカップルできて女性も男性も同じくらいの量飲んでいくのに、支払いするの

は大体いつも男性ね。収入に差があるのかもしれないけれど、飲んだ分は自分で払うほうが気

持ちよくない?って思う時がある。男性はかっこつけさせてほしいって思ってるのかもしれない

けど。まあ、お互いにそれで納得して楽しければ、私が口を挟むことではないね。

伊熊:「楽しい」と「楽(らく)」って同じ漢字なのに、なんか真逆のニュアンスがあるね。私は楽をするより多少苦労したほうが人生楽しいと思うんだけど、そうではない人もいるので、そのへんは人それぞれだね。

 

伊熊さんは、5杯目の赤ワインを美味しそうに味わう。酒にはめっぽう強い。

 

ママ:伊熊さん、いきなりだけどね、大人とは何でしょう?

伊熊:大人? うーん。私にとって大人とは、多様な価値観を持った人が世の中にはいるってことを受

け入れられることかなあ。

ママ:受け入れるってどういうこと?

伊熊:「人の身になって考える」ってのは本当は不可能で、自分は人とは違う考え方を持った人間だって

ことを常に自覚すること。だから、違う考え方の人間と関係を結べないなんて、最初から決めるこ

とはできない。そんなふうに決めたら誰とも関係を結べなくなる。多様な人の存在を愉しまねば。

ママ:ならば、「男」「女」が一括りにされるのは、本当にナンセンスね。一人一人違うんだから。

伊熊:そういうこと。

 

5杯目を飲み干し、そろそろへべれけになってきた伊熊さんに、ママは仕掛ける。

 

ママ: ねえ、このパーテッションの私の絵、『芸術新潮』で取材させてあげてもよくってよ。イマドキじゃない? ウケるかも!

伊熊:ウケないよ。完全にオリジナリティに欠けるでしょ。自分の価値観、生かそうよ。

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「私の絵、亜土ちゃんそっくりなんだ!」とちょっと嬉しく感じるママであった。

 

スナックまきこの大人エレベーター。それは、様々な文化を育む大人が場末のスナックに語りにやって来るエレベーター。次回はどんな客が訪れ、何を語るのだろうか。乞うご期待!

 

(了)