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#05

ドキュメンタリー『中国からの贈り物-小さな留学生』

​瀬尾悠希子

高校3年生のとき。たぶん夕食後だったと思う。何気なくテレビを見ていると、まさに今中国から到着したばかりという女の子が映っていた。日本で働いているお父さんと暮らすために、お母さんと日本にやって来たのだ。快活そうな子で、「日本でも勉強を頑張って1番になる!」と言っていた。少女はすぐに日本の小学校に転入した。

転入初日、新しい担任の先生が少女をクラスのみんなに紹介し、少女は覚えたての日本語のフレーズであいさつをする。その後、みんなはいつもの朝礼と同じように歌を歌い、続いて授業が始まる。先生がクラスに何か問いかけ、みんな手を挙げる。中国で優等生だった少女は何が行われているのか周りを観察するが、分からない。固まってじっと座っている。次の活動が始まり、隣の席の子が指で教科書をなぞってどこをやっているのか教えてくれる。休み時間になると少女の机の周りに何人も集まり、話しかけてくれる。でも、みんなが何を話しているのか分からないし、何も話せない。ついに気持ちが満杯になり、涙があふれる。

少女の涙があふれたとき、いつの間にか私も涙が出ていた。一緒に番組を見ていた母が驚いていたが、自分でもびっくりした。たぶん、頭ではまったく意識していなかったけれど、少女と同じぐらいの年齢だったときの自分の感情と重なったのだと思う。小2でドイツの小学校に転入したとき、ドイツ語がほとんど分からず、今は何をする時間なのか常に周りを見て動いていた。周りの様子から何をするべきか分かっても、言葉が分からなければ何もできないこともあった。そのときの心細い感じというか、悲しい感じというか、そういう気持ちは長年忘れていたけれど、テレビの中の少女を見て心が思い出したのだろう。

その後、日本語教育が学べる大学に進学し、卒論ではドイツの日本語補習授業校で学んだ人達のライフストーリー研究をした。今の研究もその延長線上にある。ただ、このドキュメンタリーがきっかけで進路を選んだり研究テーマを決めたりしたわけではなく、この番組自体に直接的に影響を受けたとは言いにくい。それでも、この原稿を書くにあたって最初に思い浮かんだのが、上に書いたシーンだった。普段は意識していないが、私が今取り組んでいる研究・教育の根底には、この小学生の女の子の姿や自分自身の子ども時代の経験があるのだと思う。大人に連れられてやって来た未知の場所で、これから何が起こるのだろうという不安、今までの自分とは違う無力な自分としてしかいられない心細さ。もちろんそれは最初だけのことで、この少女も私もそこで時間を過ごすなかで新しい人間関係を作り、できることも増えていった。そういうふうに、新しい場所にやって来た子ども達(あるいは大人もそうかもしれない)が最初は不安で心細くても、やがて「あ、大丈夫だ」と感じられるような場所や社会を作るには、どうすればいいのだろうか。大人になった今、そのようなことを考えている。

紹介した人:せお ゆきこ

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