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#15

ナウシカの思想――宮崎駿『風の谷のナウシカ』

松本裕典

 『風の谷のナウシカ』といえば、スタジオジブリ映画(1984年)として高い知名度を誇る作品だが、わたしが今回ご紹介するのはその原作漫画(1982~1994年)のほうである。映画でも監督を務めた宮崎駿さんが雑誌『アニメージュ』に連載していたもので、徳間書店から全7巻の単行本が刊行されている。映画はこの漫画の冒頭2巻分ほどのエピソードを脚色して制作されており、設定や結末は異なったものとなっている。映画では描かれない漫画後半のエピソードやそこに至るまでの主人公ナウシカの成長を通じて、「人とは何か」「生きるとは何か」を強く考えさせられる作品である。

 「その朝が来るなら私達はその朝にむかって生きよう」(7巻198頁)

 これは物語の終局でナウシカが墓の主に対して告げるセリフだ。墓の主とは約1,000年前の「火の7日間」と呼ばれる戦争で滅びた旧世界の神であり、ナウシカたちの生きる汚染された世界を創り出した張本人である。「その朝」とは汚染された世界を腐海と呼ばれる森によって完全に浄化し、人類を取り替えて穏やかな世界を再建する日のことである。ナウシカたちは腐海の毒に苦しむが、実は腐海は大地を清浄化しており、汚染に適応した人工の人類であるナウシカたちは清浄な世界では生きられない運命を持っている。物語はこの真実を知ったナウシカがその運命をどのように受け入れ、生きるのかが核となっている。そして、このセリフこそがナウシカの出した結論であり、ナウシカの思想を象徴するものである。

 もう一つ印象的なエピソードがある。クシャナ率いるトルメキア軍に従軍して出陣する際に「風の谷のわたしが王蟲の染めてくれた土鬼の服を着てトルメキアの船で出かけるのよ」(2巻94頁)と述べ、王蟲や人間を破滅から守るため、ひとり立ち上がる。その後もナウシカはマニ族や森の人、蟲使いや巨神兵など、あらゆる登場人物たちを次々と仲間にし、破滅の元凶である墓の主に立ち向かっていく。トルメキアと土鬼というふたつの国は互いにいがみ合い、戦争をしているのだが、ナウシカには敵も味方もなければ、人も蟲も区別がない。ただ運命を押し付けてくる墓の主だけを痛烈に否定する。そして周りの人々もナウシカと言葉を交わすことで、それに感化されていくのである。「生きることは変わること」(7巻198頁)であり、変わることでまた別の何かが変わっていく。

 わたしの専門とする日本語教育でも同じことだろう。「正しさ」に押し固められたこうあるべきという日本語教育観に抗い、わたしの運命はわたしが決める。『風の谷のナウシカ』はわたしが実践や研究において大事にしていることを改めて確認させてくれる作品なのである。​

紹介した人:まつもと ひろのり

紹介した本の情報はこちらから(Amazon)

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